
(48)The final showdown ~奪還への戦い~ 倉島昂大「本来の明治のスクラムを見せる」
「今年こそ絶対に優勝を取りにいく」。木戸大士郎主将(文4=常翔学園)が今年度のスローガン『奪還』に込めた意味だ。関東大学対抗戦(対抗戦)、そして日本一『奪還』へ。栄光を勝ち取るため闘球へと捧げた学生生活。最後の戦いに向かう4年生に明大での4年間とラストシーズンへの意気込みを伺った。10月26日より連載していく。
第9回は倉島昂大(営4=桐蔭学園)のインタビューをお送りします。(この取材は10月16日に行われたものです)
――大学4年間を振り返っていかがですか。
「1、2年生の頃は試合に携わることができなくて、ケガも多かったので悔しい期間が長かったです。3年生になってやっと選手権(全国大学選手権)にも出させてもらって、チームの一員という自覚が湧いてきて、今4年生になってスタメンという立場を任されてからは、より責任感を感じるようになってきました」
――初紫紺の時の率直な気持ちはいかがでしたか。
「初紫紺は(3年時の)同志社戦でした。同志社はスクラムにすごく自信を持っていて、スタメンの人たちも警戒していたので、自分がどれぐらい通用するのかすごく不安でした。前半の時もスタメンの人たちがスクラムを1回押されてしまったことがあって、この試合に自分は出て大丈夫なのかっていう思いがすごくあったんですけど、今考えるとそういう緊張感があったからこそ、試合に出ていいスクラムが組めて、そういった部分ですごくいい経験になったかなと思います」
――4年間で一番印象に残っている試合を教えてください。
「3年の時のジュニア戦(関東大学ジュニア選手権)の帝京大学戦がすごく印象に残っています。自分はスタメンを任されていて、その時にはスクラムにそこまで自信を持つことができていませんでした。でもその時に1番だった中山律希(令6政経卒・現静岡ブルーレヴズ)さんや、ロックの亀井茜風(令6政経卒・現東芝ブレイブルーパス東京)さんがすごく鼓舞してくれたので、結果的にいいスクラムを組めて、最後にリザーブの人たちがいいスクラムを組んでくれて逆転できたので、自分自身そこで1歩成長できたかなと思います。やっぱり帝京にはどうしても苦手意識があったので、そういう風に勝ち切れたのはすごくうれしかったです」
――4年間で一番つらかったことを教えてください。
「やっぱり1年生の頃はすごく大変でしたね。自分自身、高校までスクラムは1番を任されていて、大学でも1番でプレーしようかなって思っていたんですけど、人数的に3番が足りないっていうことで、3番に転向してプレーをすることになりました。選手としても本当にゼロからのスタートっていう感じで、1年生から試合にも出れなくて、本当に苦しかったっていう思い出はありますね」
――左プロップと右プロップの違いを教えてください。
「あんまりうまく言えないんですけど、利き手と同じことを利き手じゃない方の手でやれみたいな感じなんですよね。実際高校まで1番をやってましたけど、今1番の組み方をしろって言われたら多分できないです(笑)。やっぱりそれぐらい体に染みついていくものなので、すぐ1番から3番にシフトするっていうのは、大学1年生の時は明治っていうレベルの高い環境では本当に難しかったですね」
――つらい時期をどのように乗り越えましたか。
「先輩に本当に恵まれてたなっていうところと、FWコーチの滝澤さん(佳之・平13政経卒)もすごく親身になってくれて教えてくれました。上のチームじゃないんですけど、Bチームぐらいの試合にちょっと出させてもらう機会があって、そこで高い強度で経験を積めたっていうところと、周りの先輩たちの支えがあったので、そういう部分で3番としての組み方っていうのをどんどん身につけていけたのがすごく大きかったなっていう風に思います」
――4年間ラグビーをプレーし続けられた要因はありますか。
「一番は先輩たちの存在がすごく大きかったなっていう風に思いますね。ただ1、2年生の頃は同じポジションの古田空(令6商卒)さんとか、そういう人たちに助けられましたし、3年生になって試合に出るようになった時は、為房慶次朗(令6文卒・現クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)さんの背中をずっと追いかけていた感じなので、その人たちがどういうプレーをして、どういう行動をしてたっていうのは自分自身見てきています。4年生になった今でも、振り返って思い出すことはありますし、それが自分の今のモチベーションにもなってるかなっていう風には思いますね」
――同期の存在はいかがですか。
「1年生の頃は本当にどこの誰だみたいな感じで、なじめてはいたんですけど名前を覚えるのに必死でした。お互い新しい環境だったので、ちょっとギクシャクしてしまう部分もありました。上のチームでは木戸大士郎(文4=常翔学園)とかがずっと出ていて、(自分と)同じレベルだと田中翔太朗(政経4=長崎北陽台)とかも一緒にスクラムをずっと組んでいて、そういう部分で周りにいる仲間が頑張る姿っていうのを見てきました、4年生になった今でもみんなそれぞれのグレードで頑張ってくれてて、一番高いグレードで、実際に大士郎とか、佐藤大地(法4=国学院栃木)とかと一緒にプレーできてるのはすごくうれしくて、今のモチベーションにつながっていると思います」
――倉島選手にとってスローガンである『奪還』の意味はどのようなものですか。
「もう何年も明治は優勝できてなくて、例えば『ONE MEIJI』や『MEIJI PRIDE』とかいろいろなスローガンを立ててきたんですけど、自分たちが最終的に何をしたいかって考えた時に、王座を奪還するっていうところだったので、『奪還』っていうスローガンにはすごく気持ちが入っているなと思います。強かった先輩たちが取ることができなかったものを自分たちの代で取るっていうところの意識付けとして、めちゃくちゃいいスローガンだなっていう風に考えています。王座を取らなきゃいけないっていう意識が毎日の練習でも思い浮かんでくるので、個人個人成長し続けなきゃいけないんだなっていうのを、チームとしてはすごく実感していると思います」
――残りの大学ラグビー生活に向けて意気込みをお願いします。
「もう僕は社会人でラグビーをやらないので、僕のラグビー人生最後の3ヵ月ぐらいなんですけど、今明治の3番を背負っているので、それをどうやって体現していったらいいかっていうところで、それはやっぱりセットプレーの部分だと思います。帝京戦でも早稲田戦でも、本来の明治のスクラムっていうのをお見せできたらなっていう風に考えています」
――ありがとうございました。
[晴山赳生]
◆倉島 昂大(くらしま・こうだい)営4、桐蔭学園高、174センチ・108キロ
明大ラグビー部公式インスタグラムのスタメン紹介動画では、歌舞伎のポーズを披露。その理由は「その時左目を打ってあざみたいになっていて、それが歌舞伎の隈取りに似ていたのでノリで撮りました(笑)」
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