(47)The final showdown ~奪還への戦い〜 金勇哲「ラグビーをやめるという選択肢はなかった」

2024.11.02

 「今年こそ絶対に優勝を取りにいく」。木戸大士郎主将(文4=常翔学園)が今年度のスローガン『奪還』に込めた意味だ。関東大学対抗戦(対抗戦)、そして日本一『奪還』へ。栄光を勝ち取るため闘球へと捧げた学生生活。最後の戦いに向かう4年生に明大での4年間とラストシーズンへの意気込みを伺った。10月26日より連載していく。

第8回は金勇哲(営4=大阪朝鮮)のインタビューをお送りします。(この取材は10月19日に行われたものです)

——大学での4年間を振り返っていかがでしたか。
 「ラグビーに関わらず、初めての寮生活だったんですけど、もう終わりかっていうあっという間の4年間でした」

——首のケガに関して教えてください。
 「2年生のジュニア選手権(関東大学ジュニア選手権)の決勝で、スクラム中の相手の反則で頸椎を損傷してしまい、それが11月の末だったんですけど、その3日後、4日後ぐらいに手術をして、2月にもう1度手術して、最初は1年を目安に復帰でしたが、1ヵ月早まって丸11カ月での帝京の秋のC戦で復帰することができました。その1年間でリハビリもしていましたけど、初めて11か月間ラグビーから離れました」

——ケガの期間頑張り続けることができた要因はありましたか。
 「逆に今までずっとラグビーしかしてこなかったと言っても過言ではないので、そこから急にラグビーをやめるって選択肢も(人によっては)あると思うんですけど、僕の中ではその選択肢はなかったです。明治に入った以上、やり続けるというのは自分の中でも絶対にしたいことでありましたし、僕の友人でもラグビーをしたかったけど、大学でもうできない子とかも見てきたので、自分は今ラグビーをできる状況でラグビーをやめるという選択肢はなかったです」

——4年間でご自身に変化はありましたか。
 「難しいですけど非常にいろんな意味で勉強になった4年間でした。僕自身は朝鮮学校に通っていたこともあって、地元も在日のコリアンばかりの生活をしていたので、周りが全員普通の日本人という生活も初めてでした。もちろん偏見とかも最初は持たれていましたし、大阪朝鮮高で安昌豪選手(令2商卒・現三菱重工相模原ダイナボアーズ)の次が僕と昂平(金・政経4=大阪朝鮮)で、先輩もいない中(明大に)飛び込みましたが、生活する中で周りの偏見とかをいい意味で変えることもできましたし、4年間ラグビーもそうですけど、日常生活含めて成長できた4年間でした」

——金昂選手とは高校時代から一緒に明大に行こうなどと話はされていましたか。
 「先に昂平が決まっていて、僕は他の大学に行く選択肢もあったんですけど、僕が後に決めたという感じです」

——明大ラグビー部独自の良さを教えてください。
 「まずは日本一を狙えるようなチームを経験できることは、一番いい魅力だと思いますし、色んなものが他の大学の話を聞いても、明治は食事も練習環境も全てにおいて非常に良い環境でラグビーができているので、そういう部分が魅力だなと感じます」

——地元を離れて感じたご家族の支えなどはありましたか。
 「今もわざわざ東京まで試合に来てくれますし、一番大きかったのはケガの時に背中を押してくれるのが家族だと思うので。その時に2人ともラグビーを続けることに反対していたんですけど、最後は背中を押してくれて、今も応援し続けてくれているので、本当に助かっていますし、モチベーションになっていると思います」

——チームの中で尊敬されている方はいらっしゃいますか。
 「先輩にも何人かいらっしゃるんですけど、やっぱり大きかったのは同期だと思います。4年間過ごしてみて、自分が足らない部分とかを感じさせてくれたりしてくれたのは同期ですし、色んな気づきとかも与えてくれたので一番尊敬していると言いますか、そういう風に感じています」

——金勇選手にとってスローガンである『奪還』の意味はどのようなものですか。
 「選手権優勝から5年ぐらい離れているんですけど、歴史を見ても優勝するべきチームだと思うので、優勝に向けて真っすぐ『奪還』という意味もありますし、『奪還』の還は立ち返るという意味なので明治がそういうチームに立ち返るという意味もあると思います」

——ありがとうございました。

[佐藤比呂]

◆金 勇哲(きむ・よんちょる)政経4、大阪朝鮮高、174センチ・98キロ
 木戸選手のインスタグラムでヨン様と呼ばれていた金勇選手。「安田(昂平・商4=御所実)が変なあだ名をつけるのが上手くていつもヨンと呼ばれているんですけど気まぐれでヨン様とも呼ばれます(笑)」