
(3)パリ五輪卓球日本代表・戸上隼輔/明大スポーツ第538号特別インタビュー
4年に一度の世界最大のスポーツの祭典・パリ五輪の開幕まで残りわずか。本記事では紙面に載せ切れなかった戸上隼輔選手(令6体育会卓球部卒・現井村屋グループ)のインタビューを掲載します。
(この取材は5月18日に行われたものです)
――今のご自身のコンディションはいかがですか。
「(今年2月の)世界卓球の時に体調を崩してしまって、そこからかなりコンディションや体重、競技でも影響が出てしまいました。あれから数カ月経ってだいぶ元に戻ってきているので、今のコンディションはすごくいい状態です」
――世界ランクが上昇している要因として国際大会での結果が出てきている部分があると思います。マカオで行われた4月のW杯ではシングルスベスト8という結果でしたが、いかがでしたか。
「初めてW杯の個人戦に出場させてもらいました。やっぱり大きな大会ということもあってかなり不安もあったのですが、まずは自分のプレーを最大限に発揮できるよう、楽しんでプレーしたいなと思って試合に挑みました。かなり出来も良くて、たくさんのトップ選手に勝つことができたので、非常に成長を実感できたいい大会になりました」
――具体的にどこの出来が良かったですか。
「特に自分の長所である両ハンドドライブのラリー戦で得点を重ねることができたりとか、細かな技術も非常にミスが少なく、積極的にアグレッシブにプレーができたところはすごく良かったなと思っています」
――エジプトのアサール選手、ドイツのダンチウ選手など中国以外の各国エースも撃破しましたが、自信になりますか。
「2人ともオリンピックに出場する選手で、今後ライバルとなるような選手です。以前アサール選手には負けていましたが、(今回含めて)負けていた選手に対してもここ最近勝てるようになってきて、すごいいい感触を感じています」
――準々決勝では中国の馬龍選手を相手に2―4で敗れました。振り返っていかがですか。
「立ち上がり、1ゲーム目から3ゲーム目までかなり自分の展開で、いい流れで自分の得意とするところで戦えていたのですが、4ゲーム目以降は自分の弱点というか苦手な部分を徹底的に狙われてしまって、最終的に何も対応できず、終始打ち込まれてしまったなという印象でした。(スコアは)2―4でしたが、終盤につれてだいぶ実力差っていうのが見えてしまい非常に悔しいなと正直思っています。ただ、その中でも本当にたくさんの経験だったり、収穫というか学ぶことがありました」
――修正力という点で、中国選手と差があるとお考えですか。
「7ゲームは試合時間でいうと大体1時間ぐらいかかるのですが、非常に長くて、そう簡単に4―0とか0―4で終わることもないですし、ましてや相手が中国選手となると、そう簡単にうまくいくとは思っていませんでした。最初は通用していたものが、終盤にはもう全く通用しなくなっていたりとか。そうやって試合をやっていく中で相手の情報を取り入れながらできるのが中国選手の強みかなと思うので、完全にやられてしまったなっていうのはあります」
――WTTチャンピオンズ仁川とサウジスマッシュではシングルスで世界ランク1桁常連のカルデラノ選手(ブラジル)と対戦されてどちらも2―3と惜敗しました。ご自身ではこの結果をどう受け止めていらっしゃいますか。
「正直本当に五分五分の戦いで、いつも対戦していて割と競ったりとか、かなりいい勝負になるのですが、ラストゲームで自分が崩れてしまったり、相手に思い切って来られて、最後の最後に自分の戦い方を見失ってしまいました。それは本当にこれから直していかないといけないですし、トップ選手ということもあって経験豊富ですごく自信に満ちあふれているような、そんな感覚だったので悔しかったです。今まで勝ったりもしていたカルデラノ選手に対して、ここ最近で3連敗していたので、この大会では勝ちたかったなという気持ちは強いです」
――サウジスマッシュのダブルスでは篠塚大登選手(愛知工大)とペアを組まれて戦っていましたが、準決勝ではフランスのルブラン兄弟のペアをストレートで撃破しました。フランスは五輪開催国ですし、急成長していて日本からすると意識する国だと思いますが、勝てたことは大きな意味を持つと考えていらっしゃいますか。
「オリンピックの団体戦の種目ではダブルスが1番にあって、フランスもすごく強い選手がたくさんいて、ダブルス種目がかなり重要になってくるという中で、こうして3―0で勝つことができたのは日本としても、僕たちにとってもすごく大きな自信につながった試合となりました。あの舞台で勝てたのは本当に良かったなと思います」
――戸上・篠塚ペアの強みを教えてください。
「お互い卓球スタイルは違って、自分たちができることを理解し合ってパートナーのために、パートナーのことを思ってサーブレシーブをしたりとか、打ちやすいようにしたりとか、お互いがお互いを知り尽くしているからこそ、いいペアリングができているなと思っています。篠塚選手の良さであるカウンタープレーを引き出すために、自分は徹底して中陣から一発を狙っていくのは、トップ選手たちに対してもすごく有効的だなと思ったので、お互いのスタイルが違うからこそ相手もやりづらいというのはあるのかなと思います」
――決勝は中国ペアとの試合でしたが、ストレート負けを喫しました。
「やっぱり中国選手は僕たちと違ってかなりパワーもあって、なおかつ台から距離を取らず、上から狙ってきました。徹底してプレッシャーをかけてくるのがすごい怖さもありました。(加えて自分たちの)凡ミスも増えてしまったので、プレッシャーのかけ方だったりとか、もちろん技術の精度というところもまだまだ差があるなと痛感しました」
――最近の国際大会でシングルスダブルス問わず手応えを感じた大会はありますか。
「一番はやっぱり去年の11月頃にあった中国のWTTの大会(WTT太原)で準優勝できたことで、すごく自信を持って世界に挑めるようになったというのがまず大きな一歩かなと思っています。そして今年のW杯でベスト8に入ることができたことです。決勝トーナメントに上がったメンバーが僕より格上の選手ばかりで、当時(世界ランクが)まだ26位とか25位ぐらいだったのですが、10位台の選手ばかりだったのでチャレンジャーの気持ちを強く持ってプレーできました。初めて出場した大舞台で生き生きとプレーできたので『オリンピックでもこうやって戦えば自分の調子が上がるのか』というのが分かった、大きな収穫になった大会だなと思います」
――パリ五輪直前ですが今の心境はいかがですか。
「本当に楽しみであり不安っていうのは本当変わらないです。自分は自分なりにオリンピックという舞台を楽しんで、その先で100%、120%の力を発揮できると思っているので、そうやって発揮できた時に初めてメダルを獲得できるチャンスが生まれてくる。そう考えているので、とにかく今はオリンピックに向けて頑張ろうと思っています」
――楽しみと不安は何対何くらいですか。
「やっぱ不安の方が大きくて、大体7割ぐらいは不安ですかね」
――卓球男子日本代表における、戸上選手の役割とはご自身でどう考えていらっしゃいますか。
「今回2番手として出場する形にはなると思うのですが、相手のエースに対して自分も勝てるぞというぐらいの実力まで持っていかないといけないと思っています。自分の立場というのはすごく日本にとって大事になってくるので、自分が勝てばおのずと日本は勝利しますし、自分が日本を引っ張っていくぞという強い気持ちをもって、本番でも戦いたいなと思います」
――現実味を持って五輪を意識し始めたのはいつ頃からですか。
「現実的に見始めたのは、大学2年生の全日本(選手権)で優勝した時です。大学1年生の全日本は自分がコロナの濃厚接触の疑いで出場できず棄権という悔しい形で終わってしまいました。一度は遠のいたオリンピックという舞台だったのですが、次の年の全日本で優勝することができて、そこで日本のトップ戦線に加わることができました。そして国際大会の出場機会もそこからたくさん増えて、少しずつですけどアピールチャンスが増えていって、オリンピックに日本代表として出場できる実力はまだまだなかったんですけど、そこでまず『出場したい』という覚悟というか気持ちが強くなっていきました。そして大学3年生の全日本で2連覇した時に、2連覇するのは本当何年ぶりかの快挙だったので、自分としても本当に自信になって『次は世界を取る』という気持ちがそこで芽生えました。(こうして振り返ると)初優勝した全日本の時にオリンピックを見据えて頑張ろうって思いました」
――水野裕哉前コーチのインタビューで、 2021年の世界選手権代表選考会の帰り道の電車の中で『オリンピック狙っていこう』みたいな話をされたらしいのですが、覚えていらっしゃいますか。
「確かに言われたかな・・・正直ちょっと覚えてなくて、こうやって言われてそうだったなと(笑)」
――守りの技術、ブロック面での技術の成長に関してご自身ではどう評価していますか。
「(明大に)入学する前と比べて今とでは本当に安定感というか守備力というところでかなり成長したなというのは正直思っています。攻撃面はかなり自信があったのですが、入学当初は本当にブロックの精度がなかなか上がらず、本当にたくさん練習していろんな人に教わりながらちょっとずつ上達していきました。4年前と比べて本当に見違えるほど技術は上達したなと思っています」
――攻撃面はすごく自信を持ってらっしゃると思いますが、特にウィークポイントを大学の中で成長させたという感じですか。
「どっちかと言えば、ウィークポイントを積極的に底上げしながらストロングポイントを磨きつつという感じでした。全体的に練習しながら自分の苦手な部分、苦手な技術をかなりの時間を使って練習に取り入れました」
――印象に残っている水野前コーチの言葉はありますか。
「何だろうな(笑)。全く覚えていないです(笑)。コーチはコーチなのですが、かなり距離感の近いコーチで、本当に失礼に当たるかと思いますが、かなり友達感覚に近いような感じで接してくれました。練習を見てくれている時はそばに常に居て『こうした方がいいんじゃない』『ああした方がいいんじゃない』とコミュニケーションもたくさん取ってくれましたし、精神的支えとなってくれていました。特に大学は単独行動が非常に多い中、水野コーチが積極的にそばにいてくれて、自分を優先にいろんなことをサポートしてくださったので、どういうアドバイスとかどういうことを言われたというのは覚えていないのですが、かなり大きい存在だったなと思っています」
――大学時代に印象に残っている言葉や今でも生きていることはありますか。
「一番うれしかったことがあって、入学した時に髙山(幸信)監督と2人で話す機会がありました。入学して間もない頃だったとは思うのですが、僕の同期には宇田(幸矢・令6商卒)がいたりとか、宮川(昌大・令6情コミ卒)がいたりとか、かなり強い選手がたくさん集まっていました。入学した当初は宇田の方が成績も良くて世界でも活躍していて、何より全日本での優勝も高校3年生で成し遂げていたので、自分は当初2番手だったのですが、髙山監督と1対1でミーティングをした時に『明治大学所属として、(戸上を)全日本優勝に導きたい』ということを言ってくださりました。本人が覚えているか分からないですけど『それは一つの自分の目標だ』というのも伝えてくださりました。本当に明治大学に入って良かったなとその時から思っていますし、本当にこの卓球部に所属していた4年間自分を第一にサポートしてくださったので、それが今こうしてオリンピックに出場する選手となっていることにつながっていますし、本当に感謝してもし切れないです。その言葉があったからこそ、大学1年目から優勝したかったなっていう気持ちも強かったです。(残念ながら大学1年時は)棄権しましたが翌年(全日本)優勝できて少しでも恩返しできて、その当時本当にうれしかったです。髙山監督、水野コーチ、2人とも本当に熱心に指導してくれて、あの2人が大学の監督、コーチだったからこそ今があるのかなと思います」
――明大での4年間は、ご自身にとっても一番成長したなと思う4年間でしたか。
「本当に成長できた4年間でした」
――人間面でも技術面でも成長を感じたのでしょうか。
「技術面もそうですが、髙山監督に人間性も厳しく指導してもらったり、両方の面で厳しく指導していただきました。出会えて本当に良かったなと思っています」
――パリ五輪では、卓球のどんな部分に注目して見てほしいですか。
「卓球は意外と心理戦のスポーツだったりするので、本当にテレビ越しでも伝わるような緊張感というのも実際に感じてもらいたいですし、ラリー戦で自分のストロングポイントの強打や両ハンドドライブも見てもらいたいです。何と言っても日本代表はチーム力が他国と比べてかなりあると思っているのでそういう絆と、そして特に今年は平均年齢が若く、自分が最年長で20歳2人が出場するのでそういう若い選手なりの勢いだったりチーム力も見ていただきたいなと思います」
――戸上選手の代名詞〝カミソリドライブ〟をご自身で説明していただけますか。
「カミソリドライブの定義がすごく難しくて、すごく分かりづらいというか(笑)。ただ自分のドライブの特徴はやはり他の選手と比べてボールの鋭さだったりとか球速が他の選手と比べて速かったりなどそういう部分で、カミソリのような鋭いドライブ(通称カミソリドライブ)と命名されたのかなと思います」
――ご自身で命名されたわけではないですもんね。
「僕ではないですね、いつの間にか(笑)」
――驚きはありましたか。
「ありましたね(笑)。何で最初〝カミソリ〟なのかなと思ったりしたのですが、でもこうしてたくさんのメディアに取り上げてもらういいきっかけにもつながっているので。(代名詞が)ないよりはあった方がましかな(笑)」
――今はしっくりきていますか。
「本当にいろんな人に〝カミソリドライブ〟って言ってもらうようになりましたし、こうしてメディアにもたくさん取り上げてもらえて、(そして)実際に他の選手にも〝カミソリドライブ〟をたくさん認知してもらえて本当にうれしい限りです」
――明大の後輩方や関係者の皆さんへ向けてメッセージをお願いします。
「まずは明治大学の髙山監督だったり水野コーチ、水野さんはもうコーチをやめてTリーグの監督になったとは思いますが、あの時お世話になった方々に対して、あの4年間があって、第一にサポートしてくれたからこそ、今の自分があると思っています。本当にコロナ禍で活動の制限もあった中でもできる限り練習環境を提供してもらえたので、本当にありがたかったなと思っています。そしてやっぱり後輩の選手には、自分でもオリンピック選手になれたり、全日本で優勝できたのでみんなもできるチャンスはあるぞっていう一つの道しるべを提供できたのかなと思います。自分の背中を追って頑張っている選手に大きな背中を見せられたのかなと思うので、まだまだこれから自分の競技人生は続いていくと思いますが、明治が掲げているスローガンである〝思いは叶う〟という言葉を信じてこれからも後輩たちには頑張ってほしいなと思っています」
――ファンの皆さんへメッセージをお願いします。
「ファンの皆さんに対しては、やっぱ苦しい中でも、成績がいい時でも悪い時でも変わらず応援してくださって、自分にとっては本当に生き甲斐というか励みになっているので、変わらずこれからも熱い声援を送ってほしいなと思います」
――五輪の目標と意気込みをお願いします。
「2種目出場させていただくのですが、両方とももちろん金メダルを目指して頑張っていきたいなと思っています。特に団体戦では『打倒中国』を一つのスローガンにチーム一丸となって頑張りたいと思います」
――ありがとうございました。
[末吉祐貴]
◆戸上 隼輔(とがみ・しゅんすけ)令6体育会卓球部卒。2001年8月24日生まれ、三重県出身。パリ五輪には男子シングルスと男子団体の2種目に出場。世界ランクは15位(7月18日現在)。今年4月から地元三重県に本社を置く井村屋グループに所属。大のプロレス好き。170センチ・64キロ
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