(2)パリ五輪サッカー日本代表・佐藤恵允/明大スポーツ第538号特別インタビュー

2024.07.19

 4年に一度の世界最大のスポーツの祭典・パリ五輪の開幕まで残りわずか。本記事では紙面に載せ切れなかった佐藤恵允選手(令6文卒・現ヴェルダー・ブレーメン)のインタビューを掲載します。 

 7月3日、日本サッカー協会はパリ五輪に出場する18人を発表。佐藤恵允(令6文卒・現ヴェルダー・ブレーメン)も名を連ねた。メンバー入りを知った瞬間を「率直にうれしいという気持ちと驚きがあった」と振り返ったが、驚きの理由はAFC Uー23アジアカップカタール2024(パリ五輪アジア最終予選)での悔しさからだった。

 大学2年時10月でのU-22日本代表初招集から代表に定着。3年時にはAFC U-23アジアカップウスベキスタン2022に唯一の大学生として選ばれると4試合2得点と活躍。4年時3月の欧州遠征ではU-22ドイツ、ベルギー代表から1点ずつ奪った。また4年時夏にはサッカー部を途中退部。Jリーグを経由せずに、異例となるドイツ1部リーグ・ブンデスリーガでのプロ生活のスタートを決断した。渡独後の昨年11月、U-23アルゼンチン代表との親善試合でも先制点を記録。しかし、パリ五輪への雲行きが怪しくなったのはそれ以降だ。10番を背負って臨んだ今年4、5月のパリ五輪アジア最終予選で、チームは優勝するも自身は無得点「悔しい思いも大きかった大会。最終予選では自分の納得のいくプレーができなかった短い期間ではあったがチームに戻り、自分自身に足りないものというのを見つめ直す良い機会があった」。メンバー選出への不安視をする声もあった中で、U-23日本代表の大岩剛監督から名前を告げられた佐藤にはうれしさと驚きが入り混じった。

 北京五輪以来のオーバーエージ(OA)不在で挑む今大会。それでも目指すは56年ぶりのメダル獲得だ。「OAの選手たちが今回はいない中で、自分自身個人的にはすごくやってやろうと言う気持ちが強い。アジア最終予選の時もこの世代だけではパリ五輪に行くのは厳しいという声も世間からもあった。OAなしでは難しいと言われているのも含めて、やってやろうという気持ち。日の丸を背負った18人のうちの1人として全試合勝ちにいって、メダルを取りたい」と言葉を強くした。

[石田聖]

◆佐藤 恵允(さとう・けいん)令6文卒・現ヴェルダー・ブレーメン。日本人の母とコロンビア人の父の間に生まれる。プロ内定会見で語った目標はパリ五輪出場と2026年W杯出場178センチ・75キロ