(1)ルーキー特集 第1弾 ~山﨑舞美編~

 今年度も頼もしいルーキーたちが紫紺の門をたたいた。7回目を迎える今回のルーキー特集でも例年に引き続き、競技の話から普段は見えない選手の意外な一面まで、それぞれの魅力をお届けする。

(この取材は2月9日に行われたものです)

――スケートを始めたきっかけはお母様の影響だと伺いました。初めてスケートをしたときのことを覚えていますか。
 「北海道は寒くて、外よりもリンクが寒くて、こんな寒いところで少し嫌だなというのと、あとは転ぶのが痛かったです。最初はあまり好きではなかったという感じです」

――初めて大会に出場したのはいつですか。
 「小学校3年生の時に、北海道の大きな大会に初めて出場したんですけど、まだ1年目の時は練習で試しに出てみようみたいな、結構軽い気持ちでした。北海道選手権に出た2年目の小学校4年生の時も全然順位とか気にせず楽しくやっていたんですけど、その時に下のクラスで優勝したことがきっかけで、釧路だと本格的にスケートをするのが少し厳しいので、帯広の方に車で2時間かけて通うようになって、本格的に練習量を増やしました」

――初めて出場した大会はいかがでしたか。
 「あんまり覚えてはいないんですけど、初めて釧路以外の北海道の選手の演技を見たりして、少し世界が広がったなと感じました」

――小学校4年生の頃の北海道選手権は覚えていますか。
 「すごく覚えています。今と違って本当にスケートを楽しんでいて、勝ちたいとか優勝したいという気持ちよりも、曲に合わせて楽しくスケートを滑っていました。なので、優勝するというのが信じられなくて、すごくうれしかった記憶があります」

――これまでの練習拠点について伺いたいです。
 「平日は釧路で練習をして、土日は日帰りで基本的に車で帯広に行って、コーチが帯広の方なので、そのような練習を小3あたりから続けています。(今もその形ですか)そうですね。でもコロナとかで練習量が減ったり、あとは受験勉強も最初はしていて推薦ではない方を考えていたので、勉強で忙しい時はビデオ電話で釧路の練習で帯広のコーチとつなげてという練習が高校生になってから増えました」

――コロナ禍の時期は移動しての練習が大変だったと思います。モチベーションの方はいかがでしたか。
 「コロナ禍は中学生の頃だったんですけど、当時は結構伸び悩んでいた時期で、あまり滑れないことが少し苦しいことではあったんですけど、でもその分今まではずっとスケート(ばかり)だったので、他のことをして楽しんでいた時期ではあります」

――スケート以外では具体的にどのようなことをしていましたか。
 「その時はデザインに興味があって、兄がその時大学受験生だったので、(私は)中学生だったんですけど、大学のことも考えながら、大学に行くために釧路の高校はどこに行ったらいいかというのをずっと考えていました。やはり将来のこと考えるとわくわくするので、デザイン系の学部を調べたりとか、そういうことばかりしていました」

――これまでの競技人生で特に印象に残っている大会や練習はありますか。
 「先程言った小学校4年生の頃の北海道選手権での優勝もそうなんですけど、小学校5年生の頃に全国有望新人発掘合宿(以下、野辺山合宿)という小学生の各地方で予選を勝ち抜いた人たちが集まる合宿があって、その合宿の選考会に出たんですけど、そこで3位に入ったことです。長野で行われる野辺山合宿は、活躍しているオリンピック選手とかもみんなが通る道だったので、それに参加できるというのはすごく大きなことでした。選考会で3位になった時に初めてうれし泣きをして、一番印象に残っています」

――野辺山合宿は実際にはいかがでしたか。
 「すごく上手い同い年の人たちが集まる合宿なんですけど、見たことないぐらい、これほど同い年でスケートがうまい子がいるんだという感じで刺激を受けました。そして、東京の子とかとも仲良くなったりして、北海道選手権に出た時以上に世界が広がった感じがします」

――高校2年次には特別国民体育大会冬季大会(以下、国体)にも出場しました。
 「高校2年生の時はインターハイが開催地の都合で少し特殊な形でした。夏の時点で、今年のインターハイは規模を縮小しますという案内が出て、その夏の時点で7級を持っていないと、秋の全国大会や秋の大会の点数で出れるか出れないかが決まるということになったんですけど、その時点で7級を持っていなかったので、そもそも予選にすら出れないというのが確定していて。すごくつらい、一番つらい出来事だったんですけど、その分国体に出て『インターハイにこの子がいないのはおかしい、インターハイに出ていてもおかしくないレベルだな』と思われるぐらい、国体で自分のスケートを多くの人に見せたいという気持ちでいました。国体には一番気持ちが懸かっていた感じです」

――衣装はお母様が作っていらっしゃると伺いました。こだわりはありますか。
 「デザインは私がして、お母さんに作ってもらうという感じです。映画の曲やドラマの曲を使っていて、その映画とかドラマの主人公のドレスとか、そういうのを参考にしてデザインをしていて、そこがこだわりです」

――FS(フリースケーティング)は『タイタニック』のプログラムですよね。その衣装も映画からインスパイアされたものですか。
 「はい。『タイタニック』にネックレスが出てくるんですけど、そのネックレスをモチーフにして。胸に大きいストーンを付けてもらって、ネックレスのデザインにしてもらったという感じです」

――FSで『タイタニック』の曲を選んだ理由はありますか。
 「映画を見てすごく感動して。やはりFSは4分と長いので、ストーリー性があった方が味も出るかなというところで。船が出航したり、沈み始めたり、最後の感動的な曲だったり、それが一番FSに使えるなと思いました。あと、今まではあまりきれいな曲を使ってこなかったので、少し大人っぽいイメージに変えたいなというのもあります」

――今までのプログラムはどのような曲調のものが多かったのですか。
 「アップテンポな感じで明るかったり、どっちかというと手拍子が起きるような雰囲気の曲が多かったです」

――早い段階からシニアに移った理由があれば教えていただきたいです。
 「東北北海道ブロックのジュニア世代の子はすごくうまい子が多くて、自分がそこのジュニアで出たらその先に進むのは厳しいなって思ったことと、ジュニアの中学生の子たちはジャンプを跳ぶ子たちが多いんですけど、自分はやはり、ジャンプもそうですけど、ジャンプよりも滑りの部分を頑張ってきて、シニアになるとジャンプが跳べなくてもすごく美しい滑りで戦っている選手もいるので、やっぱりジュニアでは多少ガチャガチャ滑ったり、ジャンプだけでという部分もあるので、シニアの大学生の美しい滑りや、パワフルなジャンプだけじゃないスケートをしているシニアの人たちの中で戦いたいなっていうのが一番の理由です」

――昨年出場した東日本選手権(以下、東日本)はいかがでしたか。
 「今まで国体もすごく緊張したし、すごく上手な選手がたくさんいるんですけど、周りも少年女子、高校生だったのに対して、シニアで東日本に出ると3人しか高校生がいなくて、他は全員大学生で。北海道は大学生が少ないので、なおさら大学生と自分の滑りの違いを実感した大会でした」

――明大のスケート部で目標とする先輩や憧れの先輩はいらっしゃいますか。
 「住吉りをん(商3=駒場学園)選手です。何日か前もリンクでお会いしたんですけど、やはり全然オーラも違って、ジャンプの質もいいしスピンも上手で、全ての分野において尊敬しかないので一番の憧れです」

――明大スケート部に対してどのようなイメージを持っていますか。
 「インスタグラムとかを見て、合宿とかでみんなが楽しそうな写真もあって、他の大学のスケート部より少し人数が少ないと思うんですけど、すごく上手な選手ばかりが集まっているので、その中で一緒に練習できるのが自分にとっては刺激的で、すごくいい環境だなと思って楽しみにしています」

――小さい頃に目標にしていた選手はいらっしゃいますか。
 「樋口新葉(令5商卒)選手です。すごくパワフルな滑りで、ジャンプも大きいジャンプを跳ぶので、それこそ明大の卒業生で神宮で練習していて。その明大に入れるというのもうれしいですし、神宮で練習できるのもすごくうれしく思います」

――明大についてどのような印象をお持ちですか
 「リバティタワーがすごく印象的でした。和泉キャンパスとか、そういう大学の方をイメージしてたので、リバティタワーに行った時にすごくびっくりしました。都会のキャンパスライフに結構憧れがありました」

――スケート以外に大学生活で頑張りたいことはありますか。
 「勉強は、明大に入ったからには頑張りたいなと思います。先程話したようにそのスケートで大学に進むというのは想像していなかったので、入試の方法はスポーツ推薦という形になってしまったんですけど、それでもちゃんと勉強して、資格とかも取れるものは取りたいなと思っています。やはり文武両道で、高校でも勉強はずっと頑張ってきたので、ここでスケートだけとならないようにどちらも頑張りたいと思っています」

――明大進学を決断した時期とその理由を教えてください。
 「時期は8月の後半あたりなんですけど、本当に結構ギリギリで。それも基本的にスポーツ推薦だとスケートは7級がないと取ってくれないと思うんですけど、その7級に合格したのが8月20日頃で、それこそ東京に来て神宮でテストを受けて合格したんですけど高校に来ていた明大のブース相談会には、一般だったらどの学部がいいかとか、そういう話をした時にスケート部の総監督が来ていて、その時に話をしてそこから話が進んだんですけど、一般でも私立だったら一番明大に行きたいなと思っていたので、自分からしたらスポーツで声が掛かって、もう行くしかないなと思っていたのですぐに決めました」

――高校生活はいかがでしたか。
 「勉強もスケートも、他にも友達と遊んだりとか中学生の頃に比べたらすごく充実していたなと思います。中学生の頃は勉強もスケートもどちらも中途半端になってしまって、スケートも伸びなかったので少しきつい3年間だったんですけど、高校に入って1年生の時にインターハイに出たり、2年生はインターハイには行けなくても国体に出たり、スケートで自分なりに目標達成ができていたし、大会がない時は勉強も頑張って行事とかも全力で楽しんで充実していました」

――特に印象に残っている行事はこざいますか。
 「体育祭です。高校3年生の時の体育祭は夏休みからみんなで集まって練習したりして、もうガチ勢でした(笑)」

――練習やオフの過ごし方について教えてください。
 「最低限でも週に1回はオフを取って、練習が取れない時もあるので、そういう時は学校が全日制なので、学校終わってすぐ帰ってゆっくりしたりという感じです」

――スケート以外に趣味はありますか。
 「アイスホッケーが北海道は多いんですけど、アイスホッケーを見るのがすごく好きで、結構試合とかも一人でも全然気にせず行ったりします。あとは試合の動画を見たりしています」

――東京のリンクはいかがですか。
 「もう一週間ちょっと滑っていて、最初は暖かいなと思っていたんですけど、徐々に慣れてきて、今日とかは寒いなってなって。北海道に帰ったら大変だなと思っています(笑)」

――上京してやってみたいことはありますか。
 「特に何かをやりたいとかはないんですけども、今住んでいるのが田舎なので、都会での生活が楽しみです」

――今まではお母様と二人三脚でスケートを行ってきたと伺いました。今後の予定はいかがですか。
 「母は仕事で出張の時に東京に来たりすることも少しあるのでたまには会えるんですけど、やはり離れていて。今までは直接的なサポートでしたが、今後は間接的になると思いますけど、やはり北海道でやるよりもお金がかかるし、大変な部分が多い中でも、大学4年間続けられるという感謝を持ちながら、いい報告ができるように頑張りたいなと思っています」

――大学4年間での目標を教えてください。
 「釧路、北海道での選手生活から環境がすごく大きく変わるので、やはり東京に来たら周りは上手な選手ばかりで追いかける立場になると思うので、うまい選手から刺激を受けながら練習するという環境が今まで自分が望んでいた環境なので、ガラッと大きく変わって、大げさではあるんですけど、一からというか、第二のスケート人生くらいの気持ちでいます。今までずっと東京にいる選手とは違って、大きく変わってこれからだなという気持ちです。大学4年間で最終的には全日本選手権(以下、全日本)に出て、北海道の人とかもスケートを見る機会はあまりないと思うので、全日本はテレビで放送されるので、地元の人にも見てもらえるように、最終的には全日本を目標に頑張ろうと思っています」

――ありがとうございました。

[髙橋未羽]