
(11)卓球部 木方圭介 新歓号拡大版/新歓号特別企画
昨年度、全国高等学校選抜大会(以下、選抜)で9年ぶりの優勝を果たした野田学園高。この快挙に大きく貢献した芝拓人(情コミ1=野田学園)と木方圭介(政経1=野田学園)がそろって明大に入学する。2人はこれまでどのような卓球人生を送り、明大で何を志すのか。本記事では高校在学中にプロ卓球チームのT.T.彩たまと契約を結んだ木方に迫る。
物心ついた時には既に卓球を始めていたという木方。小学3年次から試合に出場したが、あまり目立った成績ではなかった。それでも「強い学校で練習してみたいと思った。攻撃的な選手が多くてかっこいい」と強豪校・野田学園中に入学した。野田学園は中高一貫校のため、6年間寮生活。小学校卒業後すぐに親元を離れることに関しては「両親や弟妹たちがいないのは寂しく、少し不安だったが、寮生活してみると楽しいと思えた」と慣れることができた。
「同学年で入ってきた選手たちの方が全然強かった」。入学直後はあまり自信のなかった木方だが、ひたむきに練習を重ね、中学1年次に出場した全日本選手権(カデットの部)でベスト4入りを果たす。中学2年次には団体戦にも出場。順調にステップアップしていたが、中学3年次は新型コロナウイルスの影響で大会が軒並み中止に。それでも気落とさず持ち直せた要因は周りのおかげだと言う。「周りの人も同じ状況で、自分だけだったら乗り越えられなかった。周りの人がいたから、みんなで次に向けて頑張ろうと思えた」。限られた練習時間の中で「試合ができるようになった時にすぐに勝てること」を意識して取り組んでいた。
高校生になった木方は変わらず野田学園で腕を磨く。野田学園高が目指すのは選抜優勝。選抜は愛工大名電高が7連覇を果たし、絶対王者として君臨していた。「愛工大名電に勝たないと優勝はないと思ってみんなで戦っていた」。OBからのアドバイスを基に戦術をつくり「同級生4人で試合に出るので、自分たちの代では絶対に優勝しよう」と自身を奮い立たせ、最後の選抜へ向かった。
決勝まで勝ち進んだ野田学園高は愛工大名電高と顔を合わせた。木方はまずダブルスで出場。ダブルスでは珍しく全員が左利きの対決となったが「対策はある程度してきた。長いラリーになるとボールが一瞬見えなくなる時があるので、早い段階で点を取るように心がけていた」。しかし2ゲームを連取され苦しい展開に。ゲームカウント1―3で敗北を喫し、8連覇に王手をかけられてしまう。「1、2ゲーム目どちらか取れていれば勝てた」と悔しさが残った。
ダブルスの後は芝のシングルスがあり、その後に木方がシングルスで戦う予定だった。しかし時間の都合上、2試合を同時進行で行うことに。敗戦直後からの気持ちの切り替えに苦労したかと思われたが「その時はすぐ切り替えられた。もう自分が勝つしかない。芝のことは芝に任せて、自分は自分で勝てばいいんじゃないかなと思った」と吹っ切れた木方。「(ベンチから)レシーブから仕掛けていこうとアドバイスをもらって、そこから自分のプレーができるようになった」。第1ゲームこそ落としたものの、その後は3ゲームを連続で奪い、見事勝利。「ほっとした。自分が負けて終わらなくてよかった」と胸をなでおろした。
試合終了後はすぐに芝の応援へ。そして芝がフルゲームの末に勝利し、野田学園高が9年ぶりに優勝を果たした。「戦力的に見て自分たちの代はチャンスだと思っていたので、実力が同じくらいの中で優勝できたのは自信になった」と振り返った。
選抜優勝で自信をつけた木方が進学先に選んだのは明大。「父が明治大学で活躍していて、自分も一番いい環境で強くなりたいなと高2の頃に思った」。チームは昨年度2010年以来の無冠に終わり、戸上隼輔選手(令6政経卒・現井村屋)ら主力選手も卒業。新戦力の台頭が望まれる今、木方にとっては大きなチャンスだ。「自分が試合に出て、結果でアピールしていかないとダメだと考えているので、試合に出てまず勝てるように練習していきたい」。アピールポイントと話す「両ハンドをバランスよく振れる」ことを武器に、即戦力サウスポーが新風を吹かす。
[北原慶也]
◆木方 圭介(きほう・けいすけ)政経1、野田学園高。4きょうだいの長男で、弟妹たちも全員卓球選手。幼少期は「一番上なので、しっかりするようにはしていたと思います。そこはできていたかはよく分からない(笑)」。177センチ、63キロ
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