(10)卓球部 芝拓人 新歓号拡大版/新歓号特別企画

2024.04.03

 昨年度、全国高等学校選抜大会(選抜)で9年ぶりの優勝を果たした野田学園高。この快挙に大きく貢献した芝拓人(情コミ1=野田学園)と木方圭介(政経1=野田学園)がそろって明大に入学した。2人がこれまでどのような卓球人生を送り、明大で何を志すのか。本記事では野田学園高の主将を務めた芝に迫る。

 兄の影響で卓球を始めた芝。両親も元卓球選手で、練習は父から教わっていたという。始めた当初は「他のことをしたり、遊びたい気持ちが強かった」と、卓球に対してあまり前向きではなかったが、小学5年次に小学生以下の日本代表に選出されたことがきっかけで「もっと強くなりたいという気持ちが芽生えて、頑張ってみようと思った」。意識が変わった芝は「卓球に真剣に向き合いやすいところだな」と考え、野田学園中への進学を決意。出身の京都府を離れ、一人山口県へ飛び込んだ。

 入学後「レベルの高い選手しか集まってこないので、このままではついていけないかもしれない」と感じた芝。周りに食らいつくため「自主練習の時間を増やして、毎日他の人よりも少しでも多く練習する」ことを継続して行ってきた。そのかいあって、個人戦では上位入賞。団体戦でも中学1年次からレギュラーに名を連ねるなど、早くから結果を残していた。しかし中学3年次に新型コロナウイルスが猛威を振るい、試合が全てなくなった。「なんで今練習しているのだろう」。モチベーションが下がる中でも、いつか開催されることを願って準備を続けた芝。「ずっと練習できるこの期間が強くなれるチャンスだ」と自分に言い聞かせていた。そして野田学園高に進学後、再び大会も開催されるようになった。

 卓球の強豪である野田学園高だが、勝てない相手がいた。愛工大名電高だ。選抜は大会7連覇を果たし、野田学園高は幾度も決勝の舞台で涙をのんだ。このチームを前に、芝は「本当に強い選手たちばかり」としつつも「勝つチャンスが絶対ないとは思ってなかった」と王座奪還へ気合いは十分。練習では「愛工大名電の選手のボールのスピード、回転量は他校の選手とは全然違うので、強いボールを打たせない」技術面と「1本取りたい場面で、自分のやりたいことをできるか、しようと思ったことをできるか」というメンタル面の両方を意識して取り組んできたという。同期4人で「優勝できる」と話し、最後の選抜に臨んだ。

 迎えた選抜、決勝の舞台。相手はもちろん愛工大名電高。試合は相手が先に王手をかけ、苦しい状況となった。だが芝は「ここで負けたらどうしようとマイナス思考になることはなくて。王手をかけられている感じもなかった」と冷静。「緊張感は相当あったが、そういうのを割り切ってやるしかない」と覚悟を決め、コートへ向かった。試合は主将対決にふさわしく、シーソーゲームの展開となった。「集中していたが、ベンチからの声も聞こえて冷静になれていた」と落ち着き払っていた芝。デュースにもつれ込む場面でも粘りきり、優勝へ向かって腕を振る。

 芝が出場した4ゲーム目と同時に5ゲーム目も始まっていた決勝。5ゲーム目に出場していた木方が先に勝利を収め、ゲームカウント2―2。そして芝の試合の最終ゲーム、カウント11―12の場面。芝のフォアハンドに相手が返すも、球は台の外へ。その瞬間、野田学園高の9年ぶりの選抜制覇が決まった。「やっと優勝できた。中学1年の頃から決勝で何回も愛工大名電に負けてきて、今回こそはという気持ちで臨んだ大会だった」。長年の悲願を、主将の手でつかみ取った。

 明大へ興味を持ち始めたのは中学3年次。「明治大学でプレーしている人たちを見て、このチームで卓球を頑張りたいなと思うようになった」。野田学園高から明大へ進学する先輩が多いこともきっかけの一つだった。今後の目標としては「安定感をもっと高め、その中で一撃で決められるボールを打っていきたい」と話し、大学4年間を通しては「今まで以上にもっと真剣に、卓球に向き合っていきたい。そうすることで結果もついてきて、チームを引っ張っていけるような選手になれる」と芝。リーグ戦や個人戦で躍動する姿を見る日は、そう遠くないだろう。

[北原慶也]

芝 拓人(しば・たくと)情コミ1、野田学園高。今年3月、ドイツ・ブンデスリーガに参戦。「不安はあったが、行ってみたい気持ちの方が強かった」。174センチ、64キロ