
(31)シーズン後インタビュー 松井努夢
今シーズンも銀盤を彩った選手たち。日本学生氷上選手権(インカレ)では惜しくも2年連続のアベック優勝は逃したものの、チーム力は健在。各自の目標に向けて、チーム一丸となって一冬を戦い抜いた。本記事ではシーズン後の選手たちの声をお届けする。
(この取材は3月11日に行われたものです)
第9回は松井努夢(政経4=関西)のインタビューです。
――今は春休みですが、最近はどのように過ごされていますか。
「スケートの競技が終わって、練習も終わって、何もしてないのもちょっとむずむずしちゃって。友人だったりいろんなところでスケートお疲れ様とかそういったお疲れ様会みたいなのをありがたいことにやってもらったりということが多くて。で、ちょっとこのままだと僕、本当にただのデブになっちゃうと思って、最近ジムに通って運動するようにしています。それで、もう今本当に学校もないし、バイトをやっているわけでもないので、家のことをやったり、あとは友達とご飯に行ったりジムに行ってトレーニングしたりっていう結構のんびりな生活を送っていました。あとは、この間、地元の岡山に帰省して家族との時間を過ごしたり、そういう感じで結構ゆったりした生活を送っています」
――これまでのスケート人生を振り返っていかがですか。
「僕が選手としてスケートを頑張ろうと始めたのが、小学校2年生ぐらいで、ずっと地元の岡山で練習してたんですけど、岡山は大先輩の髙橋大輔さんがいて。僕が憧れてやりたいと思ったきっかけが、髙橋大輔さんなんです。あとは同期でいったら島田高志郎(早大)とか木科雄登(関大)とか強い選手、うまい選手ばっかりが自分の同期で、そういうメンバーの中で岡山でずっと一緒に練習して楽しくやってたんですけど、一時期、僕がスケートとうまく向き合えない時期があったりしてちょっとスケートと離れる時間もあったんですけど、高校生になってインターハイに向けて頑張ったりして、そこで大学進学についてどうするってなった時に、スケートを大学生になってもやりたいんだったら、大学から呼んでもらえるぐらいの成績を出さないとスケートはこれ以上をやらせてあげられないと親に言われて。そこで、僕はこの先もスケートがしたいのかな、それとも他のことがしたいのかなと考えた時に、やっぱりスケートがしたい、ここでスケート終われないなというか。もっと頑張ったらできるんじゃないかなと思ったりして。そこで、大学から推薦ももらって、ちゃんと呼ばれる形で大学進学してスケートも続けたいなって思って頑張って、その結果明大に推薦をいただけて、こうやって進学して東京に上京してきて、スケートを続けられて、今大学4年間スケートを頑張って終わった、という、自分のスケート人生を通して、大学でもスケートをやりたいと思って頑張ったのは間違いじゃなかったなと思うし明大に入れて本当に良かったなって思うし、明大に入ってなかったら今のこういう先輩や後輩や素敵な人たちに出会うことはなかったんだろうなっていう、本当に明大に声を掛けていただけたというのも正直自分の中では奇跡だなと思っています。その中で、東京に出てきたからこそ自分の今の先生で恩師の樋口先生にも出会えて、樋口先生に出会えたからアイスダンスというものにも挑戦することができて、だからこそ、アイスダンスで全日本選手権に出ることができて。その中でも、やっぱり先生に出会えたことで、シングルでの自分の表現力だったり技術というのが少しずつ成長することができたし、もう本当に奇跡の連続というか、偶然の連続というか、本当に一つ一つが運命というか。いいことも悪いこともたくさんあったんですけど、一つ一つの出来事や出会いが自分の中では本当に運命的なものだったなと思いました」
――ここまでスケートを続けてこられて、自分自身の中で得たものや学んだこと、力になったことはありますか。
「フィギュアスケート界の中でいったら東京で練習していくことって、大学生でも高校生でも中学生でも、どの年代にもかかわらずすごく大変なことだと思うんですね。僕が明大に決まる前から、東京でスケートをやっていくのは大変だよ、とか、リンクは他の県に比べてあるけれど、でもそれだけ人口が多くてなかなか練習時間も他の県と比べて東京は取れなくて練習の環境でいったら決していい環境じゃないよ東京は、と言われたりしました。東京という一番都会なところでいろんな誘惑もあるわけじゃないですか。そういう中で東京で自分のスケートを高めていくっていうのはすごく大変。それなりのやるんだっていう自分の意思と精神力がないとやっていけないというのはずっと言われていて。それを、東京に出てくるまではそんなの分かってるって、やってやるって思ってたんですけど、やっぱり東京に出てきて、言われてた言葉の意味が、ちゃんと身にしみて実感したというか、こういうことなんだなっていう。自分の芯を曲げずに頑張るっていうのがどれだけ大変というか、こういうことなんだっていうのが、実際に東京に出て生活してみて分かりました。その中で、東京に住み始めて2年、3年たった辺りからは、本当にこのままじゃいけないみたいな。自分の意志は少しははっきりしたかな、強くなったかなという思いと、あとは、東京に出てきてからいろいろ失敗もしたし、大人の方に迷惑をかけたし、コーチにも迷惑をかけたしっていうこともあったりして、精神的な部分で、東京っていうところに出てきて少し鍛えられたかなっていう気はします。あとは、東京に出てきてそこまで練習環境がいいわけでもない中で、樋口先生のところに行ってアイスダンスもしてシングルもして、二刀流でシーズン通してやっていくっていう経験をした中では、本当にその時期は特に二刀流を両立していく大変さだったりとか、東京での練習環境の大変さみたいなものをすごい身にしみて感じて。アイスダンスでも千葉のリンクに行ったりとか長野行ったり、群馬に行ったり、もう東京を出て、いろんなところのリンクに行って練習したりとかっていうのもしていたので。やっぱりそういうところで忍耐力とか精神力っていうのが本当に鍛えられたなっていうところはあります。樋口先生と出会えたことに何より感謝だし、東京に出てきて自分の甘えた部分も出てしまった時期もあったけど、その中でもちゃんと言ってくれる先輩や大人の人がいて、その人たちのおかげで少しは1人の人間として成長できた部分があるのかなと思います」
――樋口先生をはじめとする、お世話になった方に向けて今どのような思いですか。
「とにかく本当に、本当に、本当にごめんなさい、本当に大変ご迷惑をおかけしましたと言いたいのと、あとは僕を最後まで見捨てることなく見守っていただけて本当に感謝してますということです。僕はこれからスケートを通して学んだこと、先生や先輩方を通して学んだことを絶対無駄にせずに、今まで以上に怠けずに、言葉だけではなく行動に移して全力で頑張りたいというのを伝えたいです」
――明治×法政 on ICE(以下、明法オンアイス)の思い出はありますか。
「そうですね。僕が引退生として滑るソロの演技の前に現役生と先生のメッセージが流れたと思うんですけどそれがやっぱり一番ですね。光翔(大島光翔・政経3=立教新座)と佐藤駿(政経2=埼玉栄)が2人で現役生として僕にメッセージをくれたんですけど、淡々と『お疲れ様でした。ありがとうございました。さようなら』と手を振る映像、その後に続いて樋口先生のメッセージで『今まで以上に頑張ってください。時間にルーズにならず』という。お客さんたちはすごい笑ってくれたんですけど、僕も正直笑ったんですけど、ちょっと恥ずかしいなっていうところがあったり。自分的にはすごい恥ずかしいんですけど会場が笑ってくれたので、なんかそれがちょっと救いという感じですね。光翔と駿の淡々としたメッセージのノリはあれは本当にただ面白がってやってくれてるネタというか、ノリでやってくれてるメッセージだなっていうのが普通に感じ取れたし、そのメッセージは、本番で流す前に光翔と駿から直接このメッセージ流しても大丈夫?というふうに2人が事前に伝えてくれて、わざわざ。本当はあれって卒業生へのサプライズだから見せないものなんです、多分。それでも、さすがに僕が傷つかないかっていう、多分そういう心配をしてくれたと思うんですけど。で、それで見せてくれて僕は最初なるほどね。そういうウケを狙いにいってくれてんのかなって思って。いいよって。でもやっぱりもうちょっとなんか違うものをやってほしいなって思ったから、やっぱり違うのにしてってもう一回言ったんですけど、言うのが遅すぎてそのままVTRにすでにデータが入っちゃって、それで結局あの映像がそのまま流れたんですけど、あの映像をこの時初めて見たわけじゃなかったんで、その前に1回見ちゃったので。それに、言ってた本人たちは僕を気にかけてくれたのか事前に言ってくれてたんでそこまで傷つかず。お客さんは笑ってくれたので、やっぱり僕に対する現役生たちのメッセージとか先生からのメッセージが一番印象には残っています」
――スケートを続けたいとか寂しいといった気持ちはありませんでしたか。
「ありましたし、僕のことを応援してくださったファンの方からも、松井くんのアイスダンスがやっぱりもっと見たい、松井くんはアイスショーとかに向いてるよとか、ありがたいことに、そういうお言葉をいただくことがあって。自分の中でもやっぱりアイスショーとかそういうのを通じて、こう表現したいな、自分なりの演技をお客さんに見せたいなとかは思ったりしたこともあったんですけど、今はもうちょっと勉強しなきゃいけないということで大学も通わなきゃいけないので、一度スケートから離れて、自分が本当に今やらなきゃいけないことはなんなんだろうっていうところで、今ここでこうして区切りをつけました。だからここでぐだぐだ言ってても何も変わらないし、一度ここで学業に専念しつつ、スケートも今後何かしらいいご縁があるなら、アイスショーだったりどういう関わり方になるか分からないですけど、スケートは今もこれからも大好きなので、また違う形でスケートと関わるきっかけがあれば、それはそれでうれしいなと思います。ただ、今現役を終わるっていう今の自分の気持ちとしては、自分の中で現役はここまでだっていう期限は分かってたし、終わりがいつなのかっていうのはもう分かってたので今さら未練があるとか、そういうことは別に言うつもりもないので、最後まで、ここまでちゃんと見ててくれた、声を掛けてくれた、応援してくれた、思ってくれた先生やファンの方や親に対して、本当にありがとうっていう気持ちでいっぱいです」
――これまでスケートを続けてこられた中で、スケート仲間の存在は大きかったですか。
「今まで岡山に住んでて西日本の選手だったので、大学で東京に出てきました。初めての東京選手権で、初めての東日本選手権。やっぱり西と東でちょっと温度差が違ったりとか、選手の雰囲気がちょっと違うっていうのは分かっていたので、いろんな不安がありました。最初の年とかは本当に、本当に不安で。とにかく怖くて。まず東京で練習することが怖かったですし、東日本での試合に出ること自体も本当に怖くて。そんな中で、明治大学ってやっぱりさすがで、先輩方もみんなどの大学にも負けないぐらいノリが良くて、明るくて、本当に元気で。本当に後輩を思ってくれる先輩方ばかりでした。最初は明大の先輩たちってどうなんだろう、怖そうだなって思ってたんですけど、本当にみんな優しくて、フレンドリーでとにかく元気で。先輩方からすごく勇気だったり、力をもらって、合宿だったり、試合だったりでも毎回声を掛けてくれたりとかして、自分も後輩たちにとってそういう存在になれたらいいなって思ってたんですけど、自分自身が今の後輩たちにそういう力をあげられてたかどうかっていうのは分からないんですけど。でも、逆に今の光翔だったり、駿だったりっていう後輩たちから僕は逆に勇気をもらったり、パワーをもらったりしてきてたので、やっぱり明治大学に入ってくる選手はみんな本当に個性的な選手ばっかりだな、先輩にも後輩にも恵まれて、僕は先輩のために、後輩のために何かできてたのかな、できなかったかもしれないとか思いながら、やっぱり自分は先輩からも後輩からもパワーもらうことができて、この大学でのスケート生活っていうのを4年間やってこれたので、本当とにかく恵まれてたなって、本当に明治大学に入って良かったなっていうのは思います」
――後輩の方に向けてメッセージがあればお願いしたいです。
「先輩なんて言えるあれじゃないんですけどって正直思ってて。後輩たちに先輩みたいな偉そうなことは正直言えないし、言いたくない。そんなこと言うのは恥ずかしいと思ってるんですけど。でもやっぱり明大生としては4年間過ごしてきた、そういう意味では先輩として、もっともっと明治大学を盛り上げてほしいなっていう気持ちでいます。もう明大といえば、団体ですね。やっぱりインカレをもっともっと盛り上げていってほしいし、何よりやっぱり明治大学としてもっと一人一人が活躍していってほしいし、それを自分は見守ってるし、応援してるし、もう本当に愚痴でもなんでもいいから自分の中でのストレスだったり溜まったものを吐き出せるんだったらいくらでも僕は相手してあげるよって言いたいです。先輩って思わなくていいからなんでも言ってって感じですね」
――松井選手にとってフィギュアスケートはどのような存在ですか。
「人生って感じです。自分の中の今の時点では、もうスケートっていうのは、自分の中での人生そのもの。全部がもう人生って感じ。これを生かして、スケートで得たものを生かして、絶対に腐らず、今後の人生に生かしていきたいと思います」
――ありがとうございました。
[布袋和音]
(写真は本人提供)
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