
(30)シーズン後インタビュー 堀義正
今シーズンも銀盤を彩った選手たち。日本学生氷上選手権(インカレ)では惜しくも2年連続のアベック優勝は逃したものの、チーム力は健在。各自の目標に向けて、チーム一丸となって一冬を戦い抜いた。本記事ではシーズン後の選手たちの声をお届けする。
(この取材は2月27日に行われたものです)
第8回は堀義正(商4=新渡戸文化)のインタビューです。
――明治×法政 on ICE(以下、明法オンアイス)を振り返っていかがですか。
「表舞台最後なんだみたいな実感は全然湧かなくてまだまだシーズンあるような気分でいるんですけど、練習とかはたまに行くと思うのでスケートからは完全には離れないと思います。ただぽっかり穴が空いた感じはありますね。ちゃんと考えてみたら僕にはシーズンないんだみたいな感じで大きな穴が空いた感じがします」
――明法オンアイスで一番思い出に残っていることを教えてください。
「一番はグループナンバーを滑ったことなんですけど、その他にもいろいろとあります。木科雄登(関大)が出ていたと思うんですけど、雄登は僕が幼少期の頃からずっと試合に一緒に出てきましたし、新人発掘合宿でもずっと一緒に行動してたり、すごい昔から仲が良くてプライベートでも遊びに行ったりとかもしているので、雄登はまだ全然現役続行しますけど、最後の最後に一緒に滑れたのは僕の一生の思い出です。光翔(大島光翔・政経3=立教新座)もすごく素敵なメッセージをくれて、昔から光翔も一緒に滑ってきたのでその2人と一緒に最後を飾れたのはすごく気分がいいというか思い出深いことだなと思います」
――ご自身の演技の際に音楽が止まるアクシデントがありましたが、その時の心境はいかがでしたか。
「毎年恒例の演出なのかなと思っていて、心のどこかでこれ僕あるのかなみたいな感じだと思っていたアクシデントではあったので全然動揺もせず、絶対演出だと思っていたので僕個人的には大丈夫だったんですけど、アンコールも終わった後に堀見華那ちゃん(商3=愛知みずほ大瑞穂)が多分曲をやってくれていたんですけど、堀見華那ちゃんがもう血相変えて『よしくん本当にごめんなさい』って言ってきて『いや全然演出だと思ったから大丈夫だよ』って言ったのが面白かったです」
――花束は住吉りをん選手(商2=駒場学園)からもらっていましたが何か言葉を掛けてもらいましたか。
「りをんちゃんも僕が小学校とか幼稚園の時から神宮で一緒に滑ってきたので、もう本当に妹みたいな存在です。日本代表とかですごい選手なんですけど、僕の中では妹みたいな感覚に近いので、りをんちゃんから花束を頂けたことは自分の中でもすごくうれしかったです。『本当に昔からお世話になってきてありがとうね』みたいなことも言ってもらいましたし『全然実感湧かない』とも言ってくれて、りをんちゃんの前で泣くのはちょっと恥ずかしいと思ったんですけどもう目の周りが熱くなるところには来てて感動しました」
――演技前のメッセージ動画の際も感極まる場面がありましたね。
「人前で結構お話しする機会は多い方だったと思うんですけど、そういう時も絶対に文章を書いて覚えたりとかはしないタイプなのであそこで言ったのは自分が心から言いたいこと、思ったことを率直に伝えたことなので間違いないですし、自分のインスタグラムでも昨日発信させていただいたんですけど、あの時言ったように僕のスケートというのは本当にケガも多かったですし、支えられて形作られたものなので一人一人に感謝しています」
――事前インタビューの際に『一番の見どころは最後のスピーチの時の気持ちのつくり方』とおっしゃっていましたが、その点に関してはうまくできましたか。
「その他にも主将たる姿を見せたかったので全然大丈夫だろうとは思っていたんですけどちょっと緊張はしたんですよ。緊張はしましたけど自分の伝えたいことは伝えられたかなと思いますし気持ちづくりもしっかりできたんじゃないかなと思います」
――今シーズンを振り返っていかがですか。
「今シーズンはラストシーズンでまたケガがあって実際今もリハビリ中です。僕が中学3年生の頃から苦しみ続けた疲労骨折がまた再発してしまって、今回限りは一番ひどい疲労骨折のステージになってしまったので、そこはすごく悔しかったんですけど、ラストシーズンだからこそ来シーズンに向けて治療とかをしなくてもいいという考えが自分の中であったので、そこは割り切ってやりました。けどやっぱり力が入らないところがあったりとか、至らないところとかが多かったので東日本選手権に進めはしなかったんですけど、ただその悔いが残らないようにしようと自分の中で決めていたので、できることを全てできたんじゃないかなと思っています。そんなに悲しいとか苦しかったシーズンとかというのはないです」
――今シーズンは主将も務められましたが、振り返ってみていかがですか。
「太一朗くん(山隈太一朗・令5政経卒)みたいに俺の背中についてこいみたいなタイプの主将になりたいなと元々は思っていたんですけど、やっぱり振り返ってみると自分のキャラクターとか性格上、自分についてこいというのはちょっと無理だなと思い、みんなに寄り添えるような主将になりたいなと思ったので、1年生から4年生まで全員の声を聞くように、本当に小さいこと、例えば『お茶飲む?』ということですらしつこく話していくみたいなスタイルを取ったんですよ。横と縦の関係性をつなげるというのを思って主将をしてきてそれはちゃんとできたんじゃないかなと思いますし、明治は特に仲がいいと思うのでそれもより強固にできたんじゃないかなと思います」
――今年度の部練に手応えは感じましたか。
「部練はやってはいたんですけど多くはなかったんですよね。シーズンとか入ってくるとなかなかできないこととかもありますし、海外遠征がある選手が多いのでまとまった時間がなかなか取れなかったんですけど、それ故にグループとかでも話とかはしていましたし、試合とかあれば必ず一緒に写真とか撮ったり言葉を交わす機会が多かったシーズンかなと思うので、部練は多くはなかったもののチーム感の強さはあったと思います」
――今シーズンで印象に残った大会や出来事などはありますか。
「明法オンアイスです。送り出される立場で出るのが初めてで4年間で1回しかないことだと思うので一番印象に残ってます」
――スケート人生を振り返って一番印象に残っていることを教えてください。
「全日本選手権の更衣室です(笑)。僕が入った更衣室の斜め前に宇野昌磨選手(トヨタ自動車)、左斜め前に羽生結弦さんがいたんですよ。僕はもう全日本ペーペーなんで皆さんにあいさつしようと思ってあいさつ回りしていたんですけど、数々の著名な選手にはできたんですけど、羽生くんだけがアップから帰ってこなくて、いざ羽生くんが帰ってきた時にあいさつしようと思って椅子を立とうとしたら立てないんですよ。緊張してオーラとかもすごいですし。頑張って腰を上げようとするんですけど立てなくてやっとの思いで立った時にまさかの羽生くんの方から『お疲れ』と言ってくれて、その時『あ、まずい言わせてしまった』というのと『まさかの羽生様とおしゃべりができた』みたいな気持ちでいっぱいになって頭が真っ白になって、もちろん『お疲れ様です』と言えたんですけど、ここまで後輩思いで素敵な人なんだなと。全日本に出れたというのはもちろん一番の思い出ではあるんですけど印象的といったらこのことかなと思います。実際に目の当たりにすると神々しくて運気上がりそうでした」
――改めてフィギュアスケートという競技に対してどのような印象を持っていますか。
「自分では繊細なスポーツだと思っていて、小道具とかないじゃないですか。小道具とかがなくて、めちゃめちゃ広いグラウンドみたいなリンクを1人で滑り切るというのはなかなか重い空気感というか、空気感を掌握するのは難しいことだと思うんですけど、360度のお客様の声援を独り占めできる素晴らしいスポーツだと思っています。ジャンプとか崩れるとプログラムが崩れがちだとは思うんですけど、美しく見せることがフィギュアスケートにとって一番なのでそこで繊細さをイメージして滑れればよりはかなさを表現できます。そういう点を踏まえて繊細なスポーツかなと思います」
――競技をすることにおいて意識していたこと、大事にしてきたことはありますか。
「来ていただけるお客様、一人一人の顔を見てあいさつするというのを大切にしてきました。試合終わってお辞儀するちょっとの時間あると思うんですけど、できる限り一人一人の顔を見て見回した後に頭を下げるようにしていたんですよ。そうすることで表情とかもちゃんと見るようにしていたので『今日の演技満足してもらえたかな』とかそこでモチベーションとを獲得していたので一番大切にしていました」
――明治大学での競技生活を振り返ってみていかがですか。
「意外と練習面においては変わらないなと思っていたんですけど、大学生というチームの中に入るというのが個人スポーツをやってきた自分からしたら新しいことでしたし、チームスポーツに憧れがあったので青春みたいなものを感じました。特にインカレとかは明治は一丸となって応援するとか、そういうところでやっぱり大学生してるみたいなのを感じたのですごく楽しかったです」
――後輩たちにメッセージをお願いします。
「一人一人が世界レベルの選手でその強さがあるからこそできる絆とかライバル関係とかあると思うので、そういうのをより強くして個々の技術を強く持って部の発展につなげていってもらいたいと思ってます」
――同期にメッセージをお願いします。
「努夢(松井努夢・政経4=関西)は自分がスケートでケガしまくって悲しんでた時期とか悩んでた時期に一番近くで支えてくれて、ご飯とかも連れていってくれましたしそういうのではやっぱり同期って偉大だなと思いました。高校生の頃とか大学入るまでほぼ喋ったことがなかったんですけど、そんな僕にも最初からフレンドリーに接してくれて、どこ行くにも一緒に行ってくれたり、明治合宿とかでも最初の方とか先輩方いっぱいいて緊張してたときとかも一緒に行動してくれたりしたので一番信頼がおけたというか、みんな信頼を置けるんですけどその中でも特に仲良くて、特に信頼が大きくて、思い出が多い人なのでこれから先も感謝はずっと続けていきたいです。真凜ちゃん(本田真凜・政経4=青森山田)は、大学入る前は新人発掘とかでたびたび話してはいたんですけど、あんまり話す機会は多くなかったんです。雄登が全日本でこっち来てる時に一緒に歩いててお茶でもしようみたいな時にたまたま高志郎(島田高志郎・早大)と真凜ちゃんに会って、4人で映画見にいったりボウリングしたりしました。その時に『同期です。お願いします』みたいな挨拶とかも済ませました。アイスショーとかでなかなか来れないこととかがあったので顔合わせる機会はそんなに多くはなかったと思うんですけど、ただ同期という存在だけで大きいものはありましたし本田真凜という存在感はすごいありました。たまに業務とかで連絡を取り合うときは誰よりも返信早かったんですよ。本当に2秒とかで返信が返ってきていたのですごく助かってました。季枝ちゃん(岡部季枝・法4=新渡戸文化)は兄妹みたいな感じで僕は4歳の時にスケートを始めたんですけど、その時からスケートを一緒にやってきたんですよ。同じリンク、同じ先生で一緒にやってきて僕は何年か前に先生変わっちゃったんですけど4歳から合宿も一緒、試合も一緒、遊びも一緒、勉強も一緒で何もかも一緒にやってきて体操教室とかも一緒でした。一緒すぎて特別な感情とかはないんですけど、ただその見てくれてるだけで安心感があったというか高校も一緒だったんですよ。大学まで一緒に行けるなんてアニメみたいな展開なんだろうって思ったこともあります。僕がスケートを続けてこれた理由の中にもありますし、僕がその形作られたというのをさっきお話したんですけどその中に季枝ちゃんも含まれているので必要不可欠な存在だったと思います」
――最後にファンの方へメッセージをお願いします。
「ケガが多くてジャンプとか技術とかもままならない自分をここまで応援してくださって本当にありがとうございますというのを伝えたいです。フィギュアスケートは応援してくださってる皆さまあってのスポーツだと思ってるので、僕も来シーズンからは応援側に回ると思うので一緒にスケート界を盛り上げていってほしいなと思ってます」
――ありがとうございました。
[冨川航平]
(写真は本人提供)
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