(24)ラストインタビュー 寺下拓海

2024.03.27

卒業式を終え、新たなスタートを切った前4年生選手たち。今回ラストインタビューと題し、戸上隼輔選手(令6政経卒)を除く5選手に取材を行った。第1弾は寺下拓海選手(令6商卒)のインタビューをお届けする。
(この取材は3月15日に行われたものです)

――明大卓球部での4年間を振り返ってみていかがですか。

「あっという間でしたね。1年目はもう本当に試合なかったので、コロナで。練習もなくて、寮生活だったので、遊んだりできて、それも楽しかったですし、2年からは少しずつ試合が入ってきて、でもあっという間でしたね」

――入学と同時にコロナがありましたが、その間はどのようなことをしていましたか。

「練習もダメみたいになっていて、しかも自分もコロナにそのタイミングでなったので、隔離されてって感じでした。あとは韓ドラ見たり、映画見たりして過ごしました」
 

――高校の時と比べて大学の卓球の練習はどうでしたか。

 「練習はハードじゃなかったです。でも時間というより質が高くて、高校の時とは周りでやってる人のレベルが全然違ったので、緊張感もあって練習できたかなと思います。あとは、監督から指示されることがあまりないので、自分で考えてって感じですね」

――質が求められる中で、どのようなところを意識して練習していましたか。

 「自分はサーブとフォアドライブが得意だったので、そこの練習を重点的にやってって感じでしたね。高校の時はあまりやってなかった、動いたりする練習も結構やっていました」

――練習は学年ごとか、それとも先輩と一緒にしていましたか。

 「Aチーム、Bチームがあって。Aが強い方なんですけど、自分は1年や2年の時はAとBのギリギリだったので。AでやったりBでやったりって色々あったんですけど、Aの方がみんな質が高いので、そこでできるようにっていうのは考えていました」

――寺下選手自身はどうでしたか。

 「もちろんBでやると疲れないし楽なんですけど、ただ楽なだけで意味ないので。頑張ってAで練習できるようにっていうのは思っていました」

――やる気を落とさずに練習していたのですね。

 「比較的です(笑)。他の人に聞いてみてください(笑)」

――2021年の関東学生新人選手権ではダブルスで準優勝に輝きましたが、その時を振り返っていかがでしたか。

 「ダブルスは割と好きというか得意だったので。ダブルスだと自分の強みが結構出る場面が多かったので、(上位を)狙ってて。でもその狙い以上に上まで行けたので、なんかパンパンパンって行っちゃったみたいな感じですね」

――実力はもちろん、流れも相まってかなり上に行けたということですね。

 「完全に流れです(笑)」

――先ほどの話にあった「ダブルスだと自分の強みが結構出る」というのは、具体的にどういうところですか。

 「ダブルスだと交互に打つので、ラリーのスピードがそこまで速くなくて。僕はフォアが得意なので(ダブルスだと)動く時間があって。シングルスだと(ラリーのスピードが)速いので、 全部フォアで行けないんですけど、そういうのもあって。あとは左利きなのもあって、結構相性が良かったかなって思います」

――ダブルスは主にどの選手と組んでいましたか。
 「村松(凜音・令6営卒)ですね」

――村松選手とは普段、ダブルスの練習はどのようなことしていましたか。

 「2人とも試合になると緊張したり、ミスが増えてイライラしたりするので。練習は結構いい感じなんですけど、試合で全然ダメみたいな感じだったので。多分お互い思ってることは一緒で、どっちかっていうと僕がめっちゃ緊張して入らなくなって、で、村松はなんか入らなくなってイライラして、みたいな。僕は『いや、落ち着いて』みたいなことを言って、村松は『いや、もっと力抜いて』みたいな、そんな感じで言いながら試合が終わるみたいなことが多かったので。そんなに難しい練習とかっていうよりは基本的な練習をして、『普通に練習通り行けたらそこそこいけると思うから』みたいなって話してて。最後の全日学(全日本大学総合選手権・個人の部)の時に練習通りにできたので、 それなりに勝てたって感じです」

――寺下選手はチーム内でどのような立ち位置でしたか。

 「ずっとふざけてばっかでしたね(笑)たまに変なことしている人がいたら怒るみたいな感じです」
 

――同期の中でもそのような感じでしたか。

 「割とみんな仲良かったので、あんまり怒るとかはなかったですね」

――特に仲が良かった選手は誰ですか。

 「本当にみんなと仲良かったですね。宮川(昌大・令6情コミ卒)と戸上はこの前3人でご飯行って、日置(希音・令6文卒)とは昨日一緒に映画行きました」

――いとこである寺下敏倫(営1=福井商)選手とはどのような関わりがありましたか。

 「練習している地元のクラブチームは一緒でしたけど、 卓球場でしか会わないみたいな感じでした。あとは親戚の集まりで会うとかで。大学入ってからも違う先輩と仲良くしてたので、僕は何かあった時に声を掛けるとか、そのくらいでした」

――寺下敏倫選手のプレースタイルについてはいかがですか。

 「僕と違ってバックドライブが上手なので、小さかった時と比べたら全然パワーもあるので、いいなって思います」

――今年度の全日本選手権(以下、全日本)は出場権を獲得したものの、ペアの選手が別の選手とダブルスを組んだことで出場できなくなったことについてはいかがですか。

 「元々、全日学の次にダブルスの全日本があって、それで大学生卓球人生最後の試合だと思ってたんですけど、 推薦とかいろんな関係で全日学の試合が最後だった、ってなって。自分的にはショックな部分はあったんですけど仕方ないっていうか、自分がもしペアの選手の立場だったら、多分自分も同じようなことになってたと思うので。そっちを優先すると思うので、それはしょうがないなって感じでした」

――気持ちの整理はすぐできましたか。

 「シングルスは全然ダメだったんですけど、ここ最近だったら割といい試合ができていましたし、石川でやったので家族が見に来ることができて。シングルスもダブルスも全然ダメだったら落ち込んでたと思うんですけど、それで切り替えてっていうか、しょうがないなって感じでした」

――全日本は見に行きましたか。

 「最後の戸上の決勝だけは見に行きました」

――決勝は見てていかがでしたか。

 「最高でしたね。応援するために行ったんですけど、ずっと大声出してましたね。普通に観客として見てました」

――チームみんなで応援しに行きましたか。

 「チームで行きました」

――部員の様子はどうでしたか。

 「やべー、やべー、隼輔強ぇ、みたいな感じでした。寮生活一緒にしてて、この前ご飯行ったりそういうのは普通の、ただの大学生みたいな感じなんで。やっぱり試合になると雰囲気あって違うので」

――普段の戸上選手はどんな方ですか。

 「めちゃくちゃいい子ですね。戸上のことを悪く言う人いないです。ただただいい子ですね、ずっと謙虚ですし」

――戸上選手に何かメッセージはありますか。

 「トランキーロ!!(焦んなよ!!)」

――リーグ戦などの試合に出れないことに対してはどう思っていましたか。

 「ダブルスが明治大学はそんなに強くなくて、自分はダブルス得意だったので、ダブルスだけに懸けて出れたらいいみたいな話してたんですけど、あまり結果残してなかったので。出ている人はみんな頑張っているし、 リスペクトしていたので、それで不満とかは全くなかったです」

――試合に出場できない中で、頑張ることができた要因は何でしたか。

 「元々、大学4年間でもう卓球は終わりって決めていたので、それが良かったですね。そこで終わりって分かっていたので、今までの集大成として周りの人に恩返ししたいとか、自分の中でもいい形で終わりたいっていうのがあったので。ゴールが決まっていたので頑張れました」

――特に印象に残っている試合はありますか。

 「最後のダブルスの全日学は試合してて楽しかったので、よかったですね」

――練習などで監督から何か言葉をかけられましたか。

「3、4年生になって結構アドバイスしてもらうことがあって。それはメモしたりしてやってましたね」

――後輩に対して何かしたことはありましたか。

 「友達みたいな感じだったので、いじられることもあるし、僕はふざけていたので、何をしてあげられたかは分からないですけど、ただ楽しくやっていた感じです。上級生が偉いわけじゃないし、みんな仲良くやってたらいいなと」

――4年間寮生活で1日中ずっと卓球をすることに関してはいかがでしたか。

 「卓球場もずっと空いてるので、やりたい時にできるというのはすごい良かったですし、あとは戸上とか強い選手も一緒にいるので、彼が1日どうやって生活してるかとかも分かるので、すごい参考になりましたね。寮生活だからこそできました」

――卓球に対する気持ちの変化はありましたか。

 「シングルスではちょっと、だんだんきついなって思っていたので、勝つのが。それもあってダブルスに懸けようみたいに思ったので。でもやりたくないとかはなかったですね」

――全日学で中央大学の選手とペアを組んだ経緯を教えてください。

 「中学校だけ一緒で、高校は違うんですけど。高校までずっとライバルみたいな感じだったので、お互いのクラブのコーチ陣がダブルス組ませたくないみたいな感じだったんです。でも自分たちの親同士が高校一緒の同級生でダブルス組んでて、ずっと知り合いだったので、大学のタイミングで(ペアを組んだ)。去年も組んだんですよ、去年予選1位で通って。それで全日本だってなった時に、試合の前の日にペアがインフルエンザになって出れなくて。今回は『中央の方と組む』って言ったので。完全にやられましたね(笑)」

――卓球を始めたきっかけも親の影響が大きいですか。

 「父親も明治の卓球部で、髙山(幸信)監督の先輩なんです。2年先輩でとても仲が良かったらしくて。ずっと髙山監督と遊んでいたらしいです」

――髙山監督はどんな方ですか。

 「試合会場に行くと熱はありますね。だから他の大学の学生からは、結構怖がられてるというか。でも、大学の中だったら全然優しいですし、色々教えて下さったりするんですけど、結果が出ないと、というのは結構強い思いがあるので。そういうところはシビアになったりするんですけど、それは大事な要素だなと」

――卒業後の進路を教えてください。

 「スポーツブランドですね」

――卒業後の進路は元からそういう方向に行きたいなと思っていましたか。

 「元々服が好きなので。卓球って結構陰キャのイメージがあるじゃないですか。でも戸上とかが頑張っているから認知度上がってきているし、 そういうのもあって。卓球がもっと有名、人気になってほしいなっていうのもあって、そういう職種に興味がありました。これからは卓球のウェアとかを作って、目指すのは日本代表のユニホームを提供して、戸上や同級生が着てくれるってことになったら一番理想です」

――明大卓球部に入ろうと思ったのはなぜですか。

 「父親の影響で大学の試合とか小さかった時に見に行ったりしていて。それこそ水谷隼さん(平25政経卒)がいた時とかだったので。すごい強いチームって分かってましたし、理想だったので。それでも入れるならって感じで、縁あって入れたって感じです」

――大学4年間の卓球生活を次のステージにどう生かしたいですか。

 「大学の時は結構いろいろな人と話したりしてたので、そういうコミュニケーションとかは生かしつつ、あとは言われたことに対してメモしたりして、それを吸収して毎日前進していきます」

――大学4年間を一言で表すとどんな言葉になりますか。

 「一瞬でした。楽しかったし、やらなければいけないことが明確だったので、それもあって結構すぐ終わりました。あとは戸上とか宇田(幸矢・令6商卒)とか強い選手が一緒にいると、そういう人たちはどういうことやってるかって分かって。ビジネスとかどの分野も成功する人って大体、マインド的には一緒だと思います。自分に負けずに、何かやるべきことをちゃんとできる人とか、 人から言われたこと素直に受け入れるとか、そういうのは今後も生かしていきたいなと思います」

――これからの目標をお願いします。

 「卓球界や明大卓球部に貢献できるようにしたいです。さっきの日本代表のユニホームの話も込みで。トランキーロ!!」

――ありがとうございました。

[北原慶也]