
(番外)2024年J加入選手特集 田中克幸編/明大スポーツ第535号特別企画
「明治の厳しい環境で4年間揉まれれば、プロの舞台でも通用すると思った」。こう語ったのは北海道コンサドーレ札幌への加入が内定している田中克幸(商4=帝京長岡)。田中は高校時代にJクラブからオファーを受けるも、明大に進学することを決めた。そんな彼が4年間過ごした明大で得たものは何か。
小学2年生から兄の影響でサッカーを始めた田中克は、高校進学時に地元岡山県を離れ帝京長岡高へ。高校3年次の全国高校選手権準決勝では強豪・青森山田高を相手に得意の左足でゴールを決めるなど、その実力は申し分ないものだった。実際、複数のJクラブからオファーがあったと言うが「高卒でプロに行って自分がすぐ通用するかと言われると、まだ自信を持って通用するとは思えなかった」と大学進学を選択。大学サッカー屈指の強豪・明大を進学先に選んだ。
明大入学後は寮生活の厳しさやサッカーのレベルの高さに苦しむ時期もあったと言う。それでも3年次にはリーグ戦11試合出場、4年次にはリーグ戦13試合に出場しリーグ制覇に貢献した。そして昨年12月に行われた全日本大学選手権決勝では4年間で培った力を発揮。ベンチスタートだったが「自分のやるべきことは、試合に出た時に違いを作ってチームを勝たせること」と強い気持ちを持って試合を見ていたと言う。その言葉通り、後半から出場した田中は左足で鮮やかにゴールを決める。田中のプレーには栗田大輔監督も「技術やテクニック、サッカーセンス、あとはわくわくするプレーができる選手」と太鼓判を押した。
「明治に来て本当に良かった」。インタビューを続ける中で田中は何度もこの言葉を口にした。高校卒業からそのままプロになるという選択肢もあった中で、もっと上を目指したいと大学進学を選んだ田中の決断は間違っていなかった。「明治に入って、サッカーだけではなく、人間性がサッカーにすごく影響しているということを痛感した。人間性を大きくすることでピッチでの振る舞いや考え方が変わって、プレイヤーとしても成長できた」。4年間でサッカー面でも精神面でもさらに強くなった田中は、大学卒業後に加入が内定しているJ1・北海道コンサドーレ札幌でも、力を十分に見せてくれることだろう。
[下元天花]
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