(194)箱根駅伝事後インタビュー⑬/橋本基紀、馬場勇一郎

2024.01.07

 第100回を迎えた箱根駅伝(以下、箱根)。悲願のシード権獲得を目指した明大だったが、往路での出遅れが響き総合20位とまさかの結果に終わった。失意の中で選手たちは何を思うのか。今回はレース後の声をお届けする。

 

 第13回は橋本基紀(商4=専大松戸)、馬場勇一郎(政経4=中京大中京)のインタビューです。(この取材は1月3日、4日に電話で行われたものです)

 

橋本基

――箱根を終えての感想をお願いします。

 「一言で申し上げるならやっぱり走れなかったことが悔しいというのが率直な感想です」

 

――出走しないことは、どの段階で決まっていましたか。

 「本当にぎりぎりまで8~10区が決まっていない状況でした。1月1日のミーティングの時に豪さん(山本駅伝監督)から区間が発表されて、そこで初めて自分が外れることを知りました」

 

――走らないことを告げられてから気持ちの切り替えはできましたか。

 「やっぱりずっと切り替えることができなくて気持ちも沈んでいました。それでも、当日はしっかり応援しようという思いでサポートの方に回らせていただきました」

 

――サポートを通してチームに貢献したことはどう感じていますか。

 「やっぱり走りたかったのはもちろんですが、7区の尾﨑(健斗駅伝主将・商3=浜松商)の情報伝達の時に、直接声を掛けたら反応してくれました。走り終わった後に尾﨑が『一番声が聞こえました』と言ってくれた時には、現地に行って直接声を届けることができて良かったなと改めて思いました」

 

――尾﨑選手の駅伝主将としての振る舞いを1年間ご覧になっていかがでしたか。

 「4年がやらなければいけない立場を尾﨑が買って出てくれて、本当に自分たちは尾﨑に感謝しています。自分たちから見て、尾﨑のキャプテン像は1人でチームを引っ張っていくのではなくて、みんなでチームを作っていくようなタイプでした。本当に絡みやすいというか、みんなとフラットな関係を築けているキャプテンなのかなと思っていました」

 

――来年度のチームは、どんなチームになっていくと思われますか。

 「今の2年生が強いので主力になってほしいと思います。3年生も今回は尾﨑と鈴木祐太(文3=鎌倉学園)しか走っていませんが、すごく力のある選手が多いのでそこが最上級生としての自覚を持ってチームを盛り上げてくれれば、総合力でも他大学に負けないのではないかと思います」

 

――後輩に伝えたいことはありますか。

 「今振り返ったら、4年間はすごくあっという間だったなと感じます。1回1回の練習を大切にして、箱根は4回しかチャンスがないっていうことを改めて思いながら競技に取り組んでほしいと思います」

 

――応援してくださったファンの皆さんにメッセージをお願いします。

 「私自身は駅伝を走れませんでしたが、直接現地で応援してくださったり差し入れを頂いたりしたことは、すごく競技へのモチベーションにつながっていました。明大で4年間やり切れたのも、皆さまの応援があったおかげだと実感しています。この4年間での経験を生かして、これからも社会人生活を頑張っていきたいと思います。本当に4年間ありがとうございました」

 

――ありがとうございました。

 馬場勇一郎(政経4=中京大中京)

馬場

――2日間馬場選手がされていたことを教えてください。

 「1月2日はまだエントリーに入っていた状況だったので、沿道で応援することはなく何かあったときのための準備をしていました。1月3日は6区の付き添いということだったので、前日に三島の方に移動して堀(颯介・商2=仙台育英)と一緒にホテルに泊まって、朝練に出てそこで体調が問題ないということだったので、そこからサポートに回るといったような形で、直前まで一応選手としての準備はしていました。6区の堀を送り出してからは、8区のスタート前の綾(一輝・理工1=八千代松陰)のところと、7区尾﨑の応援をしに行って、最後に大手町で古井(康介・政経2=浜松日体)のゴールをタオルを持って待つというような仕事をしていました」

 

――6区堀選手の走りはいかがでしたか。

 「普段の練習の時でもすごくいい走りをしていて、一斉スタートで16人っていうすごく多い状況だったんですけれども、最初からしっかり攻めている姿をテレビで見ることができて、僕としては彼の走りにすごく救われたかなというふうに思いました」

 

――堀選手が身に着けていた腰ベルトは馬場選手のものですか。

 「そうです。彼が着けて走りたいと言ってくれたので、当日腰に巻いてあげた感じです」

 

――腰ベルトに書かれていた『敵は常に自分自身』という言葉は、普段から馬場選手が意識されている言葉ですか。

 「あの腰ベルトは高校2年生の時から着けていて、U18の全国大会で勝った時とか、インターハイで3番だった時、アスレチックチャレンジカップの1500メートルで3分42秒を出した時など全部のレースで、練習でもずっと着けている腰ベルトなんで、そういった文字っていうのをちゃんと見てから、いつも練習だったりレースには臨むようにしていました。縁起のいい腰ベルトだと思います」

 

――復路の朝にはラインを送られたと伺いました。

 「ライングループには『4年生吉川と僕が10区ゴールでタオルを持って待っています。来年がある、次につなげるなんて思わないでほしいです。5区間でついた差は5区間あれば取り戻せるはず!全員が「このまま終わらせてたまるか」と思い続け、最後は意地を見せましょう!』というものを送りました。こんなに頑張ってきたのに自分としては箱根の舞台に立つことができなかったので、せっかく走れる機会ですし、往路がどうだったからとか関係なしに、自信を持って走ってほしいという思いで自分は送りました」

 

――報告会では涙を流されていました。

 「泣くつもりは全然なかったんですけど、自分は8月に中距離から長距離に移行してきて、最初はCチームで練習をしていたので、Aチームだけではなくて全員と関わる機会がすごく多かったかなと思います。いきなり入ってきたのにみんな快く受け入れてくれて、頑張ろうってすごく励ましてくれていたので、そういった仲間と最後勝ちたいなって思いがすごく強かったです。今でもすごく悔しいですし、人生の中でこんなに悔しいなって思うことはないぐらい、すごく悔しい思いをしました」

 

――後輩に向けて何かメッセージをお願いします。

 「本当に期待していますっていうのがもう全てです。特別なことをこの5カ月は本当にしていなくて、ただケガなく練習のスタートラインに立つことと、もう一つは練習が箱根の本番とか記録を狙うチャンスのタイミングだっていうような緊張感を持って練習に臨んでいました。これは誰でもできることで、その二つのことを徹底してやってきただけで5カ月でここまでの成果を出すことができました。今の1年生だったら3年間、あと2年間、1年間と自分の倍以上の時間があると思います。最初からできないと決めつけるのではなくて、こういった自分の姿を少しでも頭に入れて、できないと思われていたことができるっていうような選手がたくさん出てきてほしいなと思っています」

 

――競技を続けてきた12年間馬場選手を応援していた方たちに向けてメッセージをお願いします。

 「一番はいい意味でも悪い意味でも、応援が本当に力になりましたっていうことをすごく伝えたいです。結果が出ている時はその応援や喜んでくれる姿がすごくうれしかったですし、結果が出ない時期は、批判の声はもちろん辛かったですけど、その中でも応援してくれている人の声っていうのがすごく力になって、ここまで競技の結果自体も出すこともできました。結果以外のところでもこの学生生活でしか経験、成長できない部分がすごくあったと思うので、そういったところに感謝というか、ありがとうございましたというふうに伝えたいです」

 

――ありがとうございました。

 

[萩原彩水、松原輝]