(184)箱根駅伝事後インタビュー③/杉彩文海

2024.01.05

 第100回を迎えた箱根駅伝(以下、箱根)。悲願のシード権獲得を目指した明大だったが、往路での出遅れが響き総合20位とまさかの結果に終わった。失意の中で選手たちは何を思うのか。今回はレース後の声をお届けする。

 

第3回は3区を走った杉彩文海(文4=鳥栖工)のインタビューです。(この取材は1月4日に電話で行われたものです)

 

3区 杉彩文海 区間順位11位 1時間3分30秒

――総合20位という結果に対して率直な感想を教えてください。

 「走る前の目標だった8位とシード権獲得っていうところで、そこから大きく遅れて20位という結果になったことは自分の中では非常に悔しい結果です。何よりも尾﨑キャプテン(健斗・商3=浜松商)を中心に下級生が今年度はとても頑張ってくれていたんですけど、結果的に4年生が最後まで足を引っ張る形になってしまい後輩たちに何も残せなかったのでとても悔しい気持ちがあります」
 

――2区の児玉真輝選手(文4=鎌倉学園)から22位で襷が渡ったときはどんな心境でしたか。

 「正直中継所にいてあまり見てなかったというか、中継で大湊(柊翔・情コミ1=学法石川)が前の方でレースを進めてくれて、児玉につないでちょっと苦戦しているという情報で止まっていました。一応最悪の想定はして動いていたので、あまり走る前に動揺したりせずにレース自体にはしっかりといつもの平常心のまま臨めたのかなと思います」
 

――児玉選手から襷を受け取る際にどのような言葉をかけましたか。

 「とにかく大きな声で『おーい』と呼び掛けました。あとは児玉も4年間2区を熱望している中での今回の箱根だったので『4年間最後だぞ、ラスト50メートル思いっ切り行け』みたいな感じだったと思います。児玉の姿が中継所から見えて大体50メートルぐらいだったので、残りの50メートルを後悔がないように全力で行けというようなことを言ったかなと思います」
 

――3区のコースや天候はいかがでしたか。

 「コース自体はやっぱり前半下って中盤以降はずっと平坦が続くっていうところで、昨年度の7区と似たようなコースだったのでそれをイメージして走りました。天候については走り出す前は比較的曇り空で普段通りだったので、あまり冷え込みなどは予想していなかったです。ただ途中から小雨が降り出して、走り終わってからその小雨でとても体温を奪われていたことに気付きました」
 

――山本豪駅伝監督から今回の戦術やレース展開について話はありましたか。

 「想定としては1区も出遅れる可能性がありましたし、2区も他大に強い選手がいっぱいいて、その中で勝ち切ってくるというのはやはり難しいという想定は一応受けていました。しっかりと3区、4区、5区で流れをまた作ってシード権内でレースを進めていこうというような指示を受けていました」

 

――3区のレースを振り返っていかがでしたか。

 「3区のレースを振り返ると自分としては最初の2、3キロで突っ込んで入ってしまいました。それが中盤まで響いてしまって大きなタイムロスをしてしまったので、最初焦って突っ込んで入ったりせずに冷静にレースを進めることができていたら良かったんじゃないかなと感じています」
 

――難しい立ち位置でのレースだったと思いますが、それに関してはいかがですか。

 「最初突っ込んで入った分、立大の選手を捉えることができてそこまでは良かったです。そこから立大の選手にどんどん離されていくというところで、立大が冷静にレースを進めている中で自分は本当に駅伝だと典型的な失敗のレースというか、前半突っ込んで結果的に離されるというところでした。離れていく立大の姿を見てもうちょっとそこに食らいついていきたいっていう反面、やはり体が付いていけなくて難しいところだったのかなって思います」
 

――レース中はどんなことを考えていましたか。

 「最初突っ込んで入ってしまった分、最初の2、3キロぐらいで余裕がなくなってしまったときにあれしておけば良かった、これしておけば良かったっていうちょっとした後悔がありました。しかし走っていて自分の頭の中で整理ができてない状況の中でも『明治諦めるな』『明治まだ行けるぞ、シード権行けるぞ』という声が沿道からとても聞こえて、それが自分の中で励みになりました。前半はネガティブな気持ちになってしまっていたんですけど、中盤以降で立て直して最後は出し切ろうっていう心意気になって箱根を走りました」
 

――往路23位という結果の原因はどこにありますか。

 「往路23位という結果の原因は曖昧にはなってはしまうんですけれども、それだけ力のあるメンバーがそろっている中での23位っていうところで競技に対する取り組みの姿勢や私生活での過ごし方、心の持ち方といったところで勝負の神様に見放されていったのかなと思います。それで結果的に1年間で最大の目標だった箱根という大事なレースで外してしまうっていう結果につながってしまったのかなと思います」
 

――復路のレースはいかがでしたか。

 「復路に関しては全員が3年生以下のメンバーのレースでした。正直23位からシード権っていうのは絶望的なところにあったと思うんですけれども、復路を走ったメンバー全員がそれを本当に諦めていなくて、最後の最後まで自分たちの目標だった8位を目指して頑張ってくれました。本当に後輩たちの頑張りを見ていて心を打たれましたし、その気持ちを大事にして今後に生かしてほしいなと感じました」
 

――来年度の箱根出走に向けて後輩に伝えたいことはありますか。

 「今の3年生以下の後輩たちはとても力のある世代がそろっていて、箱根で実力を発揮できたら絶対勝てる世代だと思います。しっかりと自信を持って来年度以降また箱根で自分たちの成し遂げられなかったシード権獲得、8位以内っていう夢を追ってほしいと思います」
 

――今後は実業団として競技継続だと思いますが展望はありますか。

 「自分は三菱重工というマラソンで活躍している選手が多く在籍しているチームに行きます。今の状態では通用しないと思うんですけども、ゆくゆくはフルマラソンでしっかりと活躍していけるように、まずは土台作りっていうのをしっかりと積みたいです。またフルマラソンに挑戦してMGCだったり日の丸を背負えるような選手になって明治の関係者だったり指導者の方々だったり、お世話になった方々にいい報告をしていけたらと思います」
 

――ありがとうございました。

 

[石井遥]