
(159)【特別企画】箱根駅伝100回記念大会 明大OBインタビュー 中国電力編/岡本直己
今回で100回を数える箱根駅伝(以下、箱根)。第1回から出場している明大は数多くのトップランナーを輩出してきた。今企画では箱根路で活躍した明大OBらをお招きし、当時の心境や箱根、明大に対する思いを伺った。
現在中国電力に所属する、岡本直己選手(平19政経卒)のインタビューです。(この取材は11月22日にオンラインで行われたものです)
――大学時代を振り返っていかがですか。
「楽しかったですが、イメージ通りにはいかなかったですね。自分は1年生で箱根に出て、2~3年生でシード権を獲得して、4年生で優勝するという高校生が考えるような青写真を描いていたので、そこまでうまくはいかなかったです。なので、今の子たちが(自分の思いを)引き継いでくれればなと思います」
――明大競走部に対してどんなイメージを抱いていましたか。
「私の頃はこれから強くなる大学というイメージでした。西さん(弘美スカウティングマネジャー)がちょうど来られたタイミングで、明治にいた高校の先輩から少し情報を得て進学を選んだ経緯があります」
――西元監督はどんな方でしたか。
「明大のイメージに近いかもしれませんが、個を強くするというか選手を尊重したやり方でとてもやりやすかったです。私としてはやらされているというより自分から進んで練習をしていました」
――大学時代から今につながっていることはありますか。
「自分で考えて練習することを教えてもらって、そこは今にもつながっていると思います」
――自分で考えて練習するというのは具体的にどのようなところですか。
「体あっての競技なので、体と相談しながら練習を組み立てていくことを学びました」
――岡本選手が2年生の時に明大は箱根本戦に復帰しましたが、その時の心境を教えてください。
「素直にうれしかったですね。1年生の時に出場できなくて、2年生の時は戦力がそろっていたので出場できるとは思っていましたが、箱根駅伝予選会(以下、予選会)の独特な雰囲気の中ですごく緊張しました。全員がゴールした時点でおそらく通過したとは思っていましたが、呼ばれた時の感動は忘れられないものがありますね」
――予選会の独特の雰囲気とは具体的にどのようなものですか。
「1年生の時に出場できなかったということで、もう1年待たなきゃいけない緊張というかプレッシャーを感じました」
――箱根本戦に復帰できた要因はどんなところだと思いますか。
「元々選手がそろっているというのはありました。それでも1年生の時は出場できなかったので、やっぱりあの苦い経験をもう二度と味わいたくない思いで練習に取り組んだことが一番大きかったと思います」
――箱根の魅力はどのようなところにあると思いますか。
「関東規模の大会ですが、正月に何時間も全国生中継していることでの影響力はすごいと思います」
――箱根は今年度で100回を迎えますがその歴史について感じるものはありますか。
「私自身このブランドや歴史に憧れて関東の大学で走ることを選んだのだろうなと思います」
――岡本選手が大学生だった時と今の箱根の違いはどんなところだと思いますか。
「やっぱり世間の注目度じゃないですかね。私がいた時もすごいなと思っていましたが、今の盛り上がりは違うものだと思います。少し嫌な言い方になってしまいますが、選手がスターになっていると感じます」
――岡本選手は三度出走されましたが、一番印象に残っているレースはどれになりますか。
「3年生の時の1区です。結局は区間6位に終わってしまいましたが、勝負どころである18キロ付近の六郷橋で短い間でしたが全体のトップで走ったのは気持ちよかったです」
――4年生の時には2区を走られましたがいかがでしたか。
「エース区間と言われているので独特の緊張感がありました。また、最後の3キロがとてつもなくきついのでそこを走り抜く覚悟とかも含めて不安はありました。その中でもあの難しいコースを走ることができたのはうれしかったです」
――明大OBで多くの方が実業団で活躍されていますが、親交のある方々はいらっしゃいますか。
「やっぱりうちのチームで一緒にやっている中島大就(令2商卒・現中国電力)。あと鎧坂哲哉(平24営卒・現旭化成)はずっと付き合いがありますね。MGCを一緒に走った木村慎(平28商卒・Honda)とかも。あとは牟田祐樹(平28農卒・現ロジスティード)、横手健(平28政経卒・現富士通)。そのあたりとはまだ親交があって、会ったら喋ったりはします」
――他にも明大OBが実業団で多く活躍されていますが、活躍できる理由はどんなところにあると思いますか。
「大学時代に基礎ができているからその基礎をもとに活躍できていると思います。あとは、自分で考えて練習する方法が身に付くのでその辺も実業団にも向いていますし、自分自身の力の出し方が分かっているんだと思います」
――岡本選手は安定して成績を残されているイメージですが、大学時代レースを外さないために取り組んでいたことはありましたか。
「いや、大学の時は結構外していたと思いますよ。1年生の時は(大会に)出場することを優先してしまって結果が振るわなかったです。なので、2年生からはレギュラーは取って当たり前、その上で結果を残せるような攻めた調整をするようになりました」
――岡本選手は長いキャリアを送られていますが、現役を長く続けられる理由はどこにあると思いますか。
「良くも悪くも仕事だと捉えているところだと思います。走ることが仕事でそれによってお金を頂いていることが一番大きくて、陸上競技は好きですが好きだけでやっていない分浮き沈みが少ないから安定して成績を残せているのかなと思います」
――中国電力の魅力はどんなところですか。
「明治と似ているところがあって、自主性が強いので自分次第でどこまでも強くなれるチームだと思います」
――中国電力を選ばれたきっかけを教えてください。
「最後は地元に帰りたいという思いです。あとはマラソンで結果を出したくて、当時強い方がいたのでその人たちと一緒に練習すれば私も化けるんじゃないかと思って選びました」
――大学時代はどんな競技人生を思い描いていましたか。
「今の年齢より10年前くらいにオリンピックに出てメダルを取って、もう既に引退しているというのを考えていました。しかし、キャリアが長くなるとは考えていなかったので、加入した当時の強い中国電力なら正直3年くらいで首を切られるかなと思っていました」
――大学と実業団で変わった点はありましたか。
「責任感だと思います。大学はどちらかというとお金を払って走っていて、逆に実業団は走ってお金をいただいています。サポートしていただいている分結果を残さないとという責任感が大きいと思います」
――全盛期といわれる年齢を過ぎた現在でもPBを更新されていますが、その要因はどんなところにありますか。
「一番は靴の進化が大きいと思います」
――具体的にどのような点で変化がありましたか。
「疲労がたまりにくくなるって感じですね。エネルギーリターンがすごく良くて、脚に余裕ができます」
――引退後のプランは何か考えていらっしゃいますか。
「特にあまり考えていないです。せっかくここまでやってきたので、経験を生かしてサポートするみたいなことはしたいなと思っていますが、自分が主として指導することは考えていません」
――ゼミには所属されていましたか。
「ゼミは大六野耕作ゼミだったので、すごく印象に残っています」
――特に印象に残っているエピソードはありますか。
「卒業式の時に最後みんなで一緒に飲んで、何人かは朝までカラオケに行ってということがありました。最近はあまり会えていませんが、大六野ゼミの友達は結構連絡を取ったりしていますね」
――最後に明大の選手たちに向けてメッセージをお願いします。
「私たちが達成できなかったので偉そうなことは言いたくないですが、優勝する姿は見たいと思いますね。明大のOBとして私たちが達成できなかった目標を達成してほしいです」
――ありがとうございました。
[菊地隼人]
第100回箱根駅伝まであと12日。
中国電力インタビューの記事は12月21日発行の明大スポーツ第534号(箱根駅伝特集号)にも掲載します。ご購入フォームはこちらから!
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