(154)【特別企画】木村稜主将インタビュー

2023.12.17

 今年度のチームをまとめてきた木村稜主将(政経4=乙訓)。短距離ブロックのエースとして3年次には日本学生対校選手権(以下、日本インカレ)で200メートル2位入賞を果たすなど活躍を見せてきた。しかし、今シーズンは関東学生対校選手権(以下、関東インカレ)で肉離れを起こし、競技から長期間離脱するなど苦しいシーズンに。それでも懸命なリハビリで競技に復帰し、主将としてチームに大きく貢献した。今回はインタビューを通して彼の4年間の歩みを振り返る。(この取材は12月8日に電話で行われたものです)

 

――以前のインタビューで1、2年生の頃はケガが長引いたり、大学の自主性を求められる点についていけずに苦しんだと仰っていました。そのことを今思い返すといかがですか。
  「今では自分のリズムが確立されてきたというか、こうすれば良くなるなという傾向が分かってきました。なので、今思えばあの時は何をしていたんだろうと思ったりするんですけど、あの時にいろいろなことを試したからこそ楽しく陸上ができていると思います」

 

――年次のシーズンを振り返っていかがですか。

 「4月頃は自己ベストを日本学生個人選手権で出せて良かったのですが、その後7月頃まではなかなかうまくいかない時期が続きました。その時に改善点をいろいろと探って、日本インカレでも優勝を狙っていました。結果は2位でしたがあの時出せる力は出したのかなと思えるようなシーズンだったので、良くも悪くも収穫が多い年だったと思います」
 

――年生に上がるにあたって、競技面で課題としていた部分はありましたか。
 「本当に細かいところをいえば自分の課題がたくさんあったんですけど、一番に考えていたのは基本に忠実になることです。冬期の苦しいメニューの中でも基本に忠実な走りをひたすら行っていこうというテーマでやっていましたね」
 

――正しいフォームで走るために工夫したことはありますか。

 「練習の中で動画をマネジャーさんに撮ってもらって、逐一確認することは行っていました。自分が取り組んだことでいえば、短距離ブロックは練習メニューに入るまではフリーなんですよ。なので、アップの時間に陸上選手にとって基本となる動き作りを毎日行ってメニューに入ることで再現性を高めていました」
 

――競技に取り組む上で常に心に決めていることはありますか。

「自分の調子が悪かったらなかなかできない話にはなってしまうのですが、尊敬する高校時代の顧問の先生がずっと言っていた『楽しんで走れ、伸び伸び走れ』という言葉を大切にしていました。もちろん闘志も必要だと思うんですけど、その中でも楽しく陸上をやることは心にとどめてやってましたね」
 

――私が取材させていただく中で、木村選手は常に笑顔が絶えない印象がありました。そのことについてはご自身でどう感じていますか。
 
 「そこまで深くは考えてなくて、そういうふうに思っていただけたらうれしいなって感じなんですけど(笑)。でも、去年の12月くらいに主将の役職を頂いた時から、特に短距離ブロックの中では自分が主役じゃなくてもいいからみんなが笑いながらできるような、和やかな雰囲気でやりたいなと思っていました。なので、練習の中でそういうふうに見えていたのであればうれしいですね。それと、試合にはいろいろな種目で後輩と一緒に行っていることが多かったんです。その中で少しでも楽にというか頑張るだけではなくて楽しくやろうという思いもあったのかなと思います」

 

――競技に取り組む上でご自身の身長や体格はどのように捉えていますか。

 「特に見た目での体の優位性でいえば、目を見張るようなものがないということは自覚しています。その中で自分は体格の割に大きく走れる方なのでそこは強みだと思っています。中学校の頃からずっと自分が小さくてみんなが大きいということには慣れているのでそこに対してハンデを感じるというか、負けそうだなと思うことはあまりないです」
 

――関東インカレの個人種目における振り返りをお願いします。

 「今思えば結構焦りがあったのかなと思いますね。日本選手権で世界選手権の代表を狙っていきたいということは去年の冬からずっと言っていたんですけどなかなか調子が上がらなくて。日本選手権まで1カ月を切っているあの大会で少しでも手掛かりをつかみたいと必死になり過ぎている感じがありました。それが肉離れにつながったのかなと思っています」
 

――肉離れを起こした決勝レースを振り返っていただけますか。

 「自分は肉離れをすることが初めてだったので、起こった瞬間に痛みは感じたのですが、アドレナリンが出ていたおかげで最後まで歩けてゴールもできました。内心ではこれが肉離れかなと思いつつ、そうであってほしくないなっていう心境で結構ドキドキしていましたね」
 

――ゴールした直後にこの先への不安は芽生えましたか。

「ゴールした直後は本当に分からなかったんですけどトレーナーさんに来ていただいて、これは肉離れだと言われた時には泣いちゃいましたね」

――世界選手権に出たいという気持ちが強かったからこそ、そういう心境になったのでしょうか。

「そうですね。去年のインカレが終わったぐらいから、来年は絶対(世界選手権に出たい)と思っていたので、その思いの強さかなという感じです」
 

――診断を受けた時の心境はいかがでしたか。
 
 「確か病院の空き具合で診察まで3日ぐらい空いたのかな。そこで気持ちの整理はついていたというか、肉離れだということは信頼しているトレーナーさんに言われていたので、かなり落ち込んだんですけど診断の時にはもう落ち着いていましたね」
 

――これまでに大きなケガをして競技から離れた経験はありましたか。

 「小さいケガというか、肉離れのだいぶ手前のケガみたいなのはあったんですけど少し休んだらすぐに回復できるものばかりだったので、今回のようなケガをしたのは初めてですね」
 

――気持ちの切り替えはうまくできましたか。

 「切り替えは正直できなくて。やっぱりSNSとかを通して他の選手のいい記録が見えるので、もうそれは徹底的に見ないようにして悲しい、悔しい気持ちにならないようにしていました。でも、競技場に向かえばトレーナーさんが今だからこそできることをたくさん教えてくださったので、陸上競技自体はすごい楽しくというか新しい学びが多かったです。モチベーションは高かったのかなと思いますね」

 

――周囲の人からの声掛けや励ましはありましたか。

 「特に陸上関係の友達にはすごく心配してもらいましたね。メッセージをもらって、人によっては『自分も同じような経験をしたよ』と言ってくれる人がいたのですごく支えられました。親ももちろん励ましてくれてうれしかったんですけど、距離が離れていてやり取りができるのはメッセージ機能だけでした。なので、その時一番心の支えにさせてもらったのはトレーナーさんです。体のケアはもちろん、心の方もケアしてくれたおかげで何とかできたかなと思います」
 

――リハビリ期を通して集中的に取り組んだメニューはありましたか。

 「メニューもケガが回復していく中でその都度新しいものを組んでくださりました。その中で特に取り組んだところとしては体幹部の安定性をすごく重視しました。自分が肉離れになった原因も体幹が抜けてしまい足に負担がかかっていたということがあったので、今後そういうことがないように体幹を強化しようと意識してやっていました」
 

――体幹を鍛えるためにどんなトレーニングをしてきましたか。

 「ハムストリングスを伸ばせずにトレーニングの幅が狭まってしまう中でも、腹圧を高めることを中心的にやっていました。それは寝転んでもできることだったので筋力トレーニングに加えてそれを中心的にやっていましたね」
 

――走ることから離れる中で、焦りを感じることはありましたか。
 「結構(復帰までは)長くなってしまうなと思ったので焦りはあまりありませんでした。もちろん不安もありましたけど、こうなったからにはどうしようもないなと思って割り切ってやっていました。ただ、少しずつ走り出して復帰が見えてきた時期になると焦りや不安がすごくありましたね」
 

――焦りや不安はどのような面で感じましたか。
 
 「最初は全く復帰の目標自体がなくて、少しずつ取り組む中で今シーズンの試合に出られたらと思っていました。なので、あまり他大学の選手と比べることはなく自分のペースでやろうと考えていました。でも復帰するにあたって出場した二つの記録会で、どちらも走る直前にケガの瞬間がフラッシュバックしてしまって。そういう面では競技復帰にあたって不安はすごく大きかったですね」

 

――メンタル面のケアで気を付けたことはありますか。

 「体を動かせない時期には食べたいものを食べるなどストレスのない生活をしていました。そこから少しずつ競技に向かう時期になると、走るという経験を積み重ねることを意識しました。走る経験はとにかく積み上げていくしかないので、とにかくちょっとずつでも走れるようになる経験をかみしめて取り組むことで、もう足は大丈夫なんだよと暗示をかけるようにやっていましたね」
 

――今でも、関東インカレの時にケガをしていなければと後悔する時はありますか。
 
 「キャプテンとしてこういうことを言っていいのかとなると少し怪しいんですけど、日本選手権までにちょっとでも手掛かりをつかみたいなというところがあって、練習の一環で関東インカレに出ていました。それでもやっぱり決勝に残って点数は絶対に(チームに)持って帰れるなという気持ちで、疲労がかなりある中で試合に臨んでしまいました。それが肉離れにつながっているので、すごく後悔はありますけど今は楽しんでいるのでそれで良いのかなと思いますね」
 

――もしケガをしたレース前に戻れるとしたら何をすると思いますか。
 「戻れるとしたら、そうですね‥‥。もうちょっとちゃんと調整してやっていれば良かったのかなとは思います。でも、関東インカレの最終日に向かっていくにつれて、明治が1部に残れないかもしれないとなった時に200メートルがあったんです。その時に自分がここで落ちちゃったら明治は終わりなのかと思ってしまっていたので、チームに対する気持ちがあったのかな。戻ったとしても多分どうせ全力で頑張るんだろうなっていうと、なんかちょっと気持ち悪いですけど(笑)。僕は割と結構考えなしに突っ込んじゃうタイプなので多分変わらずに走ったんだろうなと思います」
 

――日本インカレの前は競技復帰のタイミングについてどのように考えていましたか。

 「日本インカレまでに2試合に出たんですけど、2本とも途中でケガの時がフラッシュバックして怖いと感じてしまい、途中からは全然力を入れていないようなレースでした。その状態のままで日本インカレを迎えたので、ケガをしないことを一番に考えて今の自分の力を見てみようという感じで走りました」
 

――競技復帰するにあたって苦しんだことはありますか。

 「レース感覚以前に、自分が思っている力に対してスピードが出ていなかったりすることがすごく頻繁にありました。なのでそこのギャップがちょっと辛かったですかね。自分の中では走れていると思って動画を見たら全然そんなことはないみたいな感じで」
 

――日本インカレに出たことで、今後に向けたビジョンが見えてきましたか。
 「200メートルはレースとしては全く駄目だったんですけど、100メートルは自分の中でいい感覚をつかめているというか、すごく兆しが見えたレースでした。なので、良い面もあれば悪い面もあったんですけどこの先に向けていろいろなことが見えた大会だったのかなと思います」
 

――今年度は競走部主将と短距離ブロック長を務められましたが、振り返っていかがですか。

 「まず主将としては、集まりの時とかに喋ることはあるんですけど競歩、短距離、長距離にそれぞれブロック長がいるのであまり自分がやることはなかったのかなと思います。でも、今思えばもっとやれたことはあったかな、なかなかうまくやれなかったかなと思いますね。ブロック長としても同じようにもっとやれたことがあったかなという思いはあります。それでも、僕は1年生の頃に精神的にしんどい時期があったので、できるだけ1年生の子が伸び伸びできる環境を作りたいなと思っていました。その結果、下級生がどう思っているかは分からないですけどずっと元気そうにやっていたのでそれを見ていたらブロック長として頑張ったのかなと感じますね」
 

――もっとできたかもしれないと感じるのはどのような部分ですか。

 「チームとしての方向性、足並みをそろえることも必要だったのかなと思っています。例えばあいさつをちゃんとできない学生がいたりした時にもっと自分から伝えるとか。そういう基本的なことを徹底して全体を一つの足並みにそろえることができれば良かったのかなと思います」
 

――主将として自身の競技結果に思うことはありますか。

 「やっぱり結果で引っ張ることに一番説得力がありますし、それが自分のスタイルだと思っていました。そういう面でケガをしてしまったことはチームに対しては良くなかったのかなと思っています」
 

――ケガをしたからこそチームに還元できたことはありますか。
 「なかなか難しいですね(笑)。還元できたことはあまりなかったかなと思っています。正直自分が競技にうまく復帰するために必死なところが大きくて、自分のトレーニングで手一杯だったので、みんなを見てあげたり何かしてあげることはできなかったのかなと思います」
 

――今年度の短距離ブロックはどんなチームでしたか。

 「短距離はみんな元気いっぱいだったので楽しくもあり大変でもありという感じでした。でも本当にそれぞれが自分の色を持ってやってくれたので、自分の中では楽しかった思い出が大きいですね」
 

――来年度の短距離ブロック長は決まっていますか。
 「はい。松下かなう(法3=大分東明)がやります」
 

――松下選手を選んだ理由はありますか。

 「彼は性格の面で人になかなか強く言えないような本当に優しい性格をしているので、初めはキャプテンには不向きかなと思っていました。今年度も結果を出しているので来年度は競技に集中させてあげたいなと思っていたんですけど、いろんな人と話をする中で役職によって成長できる部分もあるんじゃないかという意見もたくさんもらって。かなうならやってくれるのかなと思って任せました」


――期待することはありますか。
 
 「もちろん結果については特に今シーズンは良かったので、来年さらに伸びると思います。彼なら多分やってくれると思うので待しています。チームとしては、後輩たちに話を聞くとすごくうまくやっていると聞くので何も心配していないです。いいチームを作ってくれると思いますよ」
 

――来年度の短距離ブロックはどんなチームになると思いますか。

 「今年度はほとんどの人が自己記録を更新して、今までは楽しみながらも結果を出そうみたいな感じだったんですけど、今はより結果が求められる強いチームになりつつあると思います。過度な期待は良くないと思うんですけど、結果を出してくれるようなチームだと思いますしほぼメンバーも変わっていないので(笑)。ずっと下の代は元気だったので変わらず元気に楽しくやるんじゃないかなと思います」

 

――チームのムードメーカーになる選手はいますか。

 「全体を楽しませるような子があまりいなくて。それぞれのコミュニティというか、人数が少ないなりにもすごく仲がいいグループはやっぱりあるじゃないですか。そういう感じでそれぞれが楽しんでいるのでなかなか難しいですけど、どうかな‥‥。竹尾拓真(農2=明星学園)がチームを小さい輪じゃなくて、もっと大きい輪になるように声を掛けられるようになったら面白いチームになりそうだなと思いますね」
 

――次に木村選手自身の今後の目標を教えてください。
 
 「今後は社会人になるので、国際大会に出ることは自分が競技を継続するためには大事なものになってくると思います。また、自分自身そういう活動をしていきたいと思っているのでそこを目標にやっています」
 

――最後に4年間応援してくださった明大競走部のファンの皆さんにメッセージをお願いします。
 
 「4年間やってきた中で、現地ではもちろんSNSでも応援してくださるファンの方のことは自分たちも追っています。見てくれていることはすごくうれしいことなので、今後もぜひ明治大学の競走部を応援していただければうれしいです」

 

――ありがとうございました。

 

[松原輝]

木村稜主将の記事は12月21日発行の明大スポーツ第534号(箱根駅伝特集号)にも掲載します。ご購入フォームはこちらから!

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