(75)第533号ラグビー明早戦特集号企画面拡大版 西妻多喜男氏「ものすごくありがたく大切な4年間」

2023.11.30

 今年度創部100周年を迎えた明大ラグビー部。私たちは「明大スポーツ第533号ラグビー明早戦特集号」発行にあたり、明大の著名なOB5名にインタビューを行った。本企画では紙面に載せきれなかったインタビューの拡大版を公開します。

 

 第2回は西妻多喜男(昭51商卒)氏のインタビューをお送りします。(この取材は9月28日に行われたものです)

 

――現役時代、早大戦にはどのような気持ちで臨んでいましたか。

 「(明大に)入った時に早稲田に16連敗ほどしていて、1年生の時は対抗戦(関東大学対抗戦)は負けたけど、日本選手権は逆転して勝ったんですよ。16年ぶりに勝って、2年、3年ではまた(決勝で)負けて。そして4年の時に勝ったから、4年間全部早稲田と明治が決勝でやっているんですよね。他に簡単に勝ったわけでもないですけど、やっぱり早稲田に勝つということが学生時代のラグビー部の子たちの一つの目標であったことは間違いないです。試合の当日は、八幡山の近くの神社にお参りしていました。精神的なものを集中させる早稲田に対して、どっちかというと『やることは決まっているし、普通通りやればいいか』みたいな明治という構図があるんですけど、そういった試合の持っていき方などを見れば、早稲田だと違いますよね。そういうところが早明戦の面白いところなんじゃないかと思います」

 

――北島忠治氏から私生活について何か言われることはありましたか。

 「北島先生は隣に住んでいましたが、合宿所にしょっちゅう来て文句言うなどは一切なかったです。寮生活は学生がやっていることだし、学生の寮長もいたので、その人たちにずっと任されていました。上下関係ももちろんありましたけど、試合や練習になると、もう全然関係なくて。逆に言うと、早稲田と試合するにしても、他と試合するにしても、一軍にならなければ試合に出られないのだから、中での競争がものすごく激しいわけですよ。それも4年生だから出られるわけじゃないし、あくまでも実力の世界で、親父(北島氏)とかコーチが誰を選ぶか次第なわけですよね。その中で若い選手をかなりいっぱい出していました。一気に4年がいなくなっちゃったりすると、一気に弱くなっちゃうから、それを多分考えていたんだと思います。あとは下の若い選手を出すことによって、上の人がふてくされるか、それとも頑張るかというところをモラルアップさせて頑張らせる、みんなで頑張る雰囲気を自分たちでつくらせるというところをいろいろ考えていたんじゃないかなと思います」

 

――4年次の選手権・早大戦では決勝トライを決めましたが、その時の心境を教えてください。

 「あの時覚えているのは、松尾(雄治)の弟がフルバックをしていて、サインプレーか何かでヒュッと抜けて内側に入ってきたんですよね。ナンバーエイトやフランカーは外側に走って行っていましたが、彼が内側に入ってきたので、ロックの僕がブレークしそのまま真っすぐ走ったら彼に追いつけたのね。ひどいパスでもう取れるか取れないかのパスだった(笑)。あの後『よくあれ取りましたね』とか言われました(笑)。それを取って、走ってのトライでした。4年間で唯一のトライです。でもトライするとかしないとかは、そんな大きなことではなく、集大成として勝てたというのが良かったです」

 

――OBという立場から今の明大ラグビー部に必要なことを教えてください。

 「きれい事は言っても、精神だけじゃ勝てません。結局フィジカルが強くないと、インパクトも弱いわけですよね。やっぱり必要なのは食べることだと思います。たくさんいいものを食べるということにかけるお金やトレーニングの設備は、他の強豪校と比べると段違いの差がありますし、例えば1人当たりの食事にも差があるんですよね。それが負けている原因とは言わないですけど、一つの原因に僕はなっていると思うんですよ。だから気合ももちろん必要だけど、その前提となっている仕組みは改善していく必要があるんじゃないかなと思います。また、今は6時半から練習して、ラグビーだけじゃなくて勉強もして、少なくとも二兎は追っている。それはとても大変なことだと思いますけど、学生の時にそこまでやったという自信があれば、社会人のための4年間になるんじゃないかと思うので頑張ってほしいです」

 

――明大ラグビー部が創部100周年迎えたことに関して、どのような思いがありますか。

 「昭和4年から67年間、100年のうちの67年間、親父(北島氏)が監督しているわけですよね。だから、この100年間というのは〝北島忠治〟の100年間だったと僕は思います。戦後、食べ物がない時は、明治に試合をしに来た時だけ『腹いっぱい食えた』と早稲田や慶應の人はみんな言うんですよ。そういったラグビーの試合以外の部分でもラグビー界に貢献されてきたわけで、やっぱりこの100年は親父の100年であると思うし、今年は次の100年になるための年。100年後、どういう年にするかというのは大事だし、明治大学にとっても大事になる年だと思います」

 

――ご自身の人生の中で、明大ラグビー部で過ごした4年間はどのような存在になっていますか。

 「なかったら今の存在はないでしょうね。会社がラグビーの考えと全く一緒なんです。フェアで自己犠牲というか、自分が率先してやっていく、自分の痛みを恐れない勇気を持ってやる。また、チームビルディングを優先する。公私の別をなくしてやる。それからグローバルなものを考えるなど。挙げたらキリがないですが、4年間ラグビーでやってきたこととは会社とほとんど同じなんですよね。そもそも4年間は、上下関係がはっきりしていますから、あいさつとかは当たり前のことですし。だから社会に出て障害になるようなことは全くなかったですね。多分4年間でそれらを勉強していなかったら、全然違う社会人の生活を送っていたんじゃないかなと思います。一言で言うと、ものすごくありがたい4年間で、大切な4年間です」

 

――ありがとうございました。

[森口絵美理]

 

◆西妻 多喜男(にしづま・たきお)昭51商卒。1954年3月12日生まれ、福岡県出身。

現在、明大ラグビー部OB会会長を務める。1976年1月4日に行われた第12回全国大学選手権・決勝では後半37分にトライを決め、大学日本一を決定づけた。「ラグビー部を支援する仕組みをOB会が先導して作っていきたい」と、OB会長として明大ラグビー部のさらなる発展を図っている。