
(73)ONE TEAM ONE MEIJI〜100代目の誇りとともに〜 神鳥裕之監督「必ず結果はついてくる」
「全員で日本一の集団を作る」。廣瀬雄也主将(商4=東福岡)が今年度のスローガン『ONE MEIJI』に込めた意味だ。100周年という節目の年。悲願の関東大学対抗戦(以下、対抗戦)、全国大学選手権(以下、選手権)優勝に向けて一人一人が鍛錬に励み、ラストシーズンを迎えた。4年生に明大での4年間の感想と、最後の戦いに向けての意気込みを伺った。11月1日より連載していく。
第30回は神鳥裕之監督(平9営卒)のインタビューをお送りします。(この取材は10月24日に行われたものです)
――昨年度は選手権・準々決勝敗退でしたが、当時を振り返っていかがですか。
「もう、よく覚えてないんだよ。それぐらいショックだったかな。やっぱり勝たせてあげられなかったというような思いがすごく大きくて。吉平(石田・令4文卒・現横浜キヤノンイーグルス)を始め、4年生たちは本当によく頑張ってたんで、正月に国立(競技場)で試合させてあげることができなかったという申し訳ない気持ちがすごくあったのは覚えてますね。長く指導者という仕事させてもらっていますが、社会人のチームも含めて、ここまで敗戦に対して自分自身ががっくり刺さったようなことは今までにない経験でしたし、それだけやはり勝ちたかった。勝たせてあげたったという思いでした」
――今年度のチームの特徴を教えてください。
「タレントがそろっていますからね。ラグビー面で言えば、下級生からレギュラーを張っていた選手たちがたくさんいる世代なので、その選手たちがいよいよ最上級生になって自覚も芽生えて、ここ数年見ても非常にレベルの高いチームなんじゃないかという思いはありますよね。一方でチームづくりという視点でいえば、恐らくそういう影響もあって、チーム内においての発信力っていう観点で、廣瀬(雄也・商4=東福岡)キャプテン以外にもいろんな発信をしたり、リーダーシップを発揮したり、そういう風なことができる選手たちがまだたくさんいると思います。結果的にキャプテンが1から10まで常に引っ張り続けなきゃいけないというような環境ではないと思います。非常に頼もしい4年生が中心となっているチームなので、これを見ている3年生以下ああいう4年生になりたいと思って成長してほしいなと思います」
――チームの基盤ができている中で、さらに上のレベルに行くためには、どのような部分がポイントになってくると思いますか。
「ちょうどこの前ミーティングをしたところだったんですけど、常にその先を見据えられるようなモチベーションが出てくると、チームの潜在能力ともっと引き上げられるのかなと思います。もしかしたら我々指導陣の課題でもあると思うんですけれども、 例えば、試合に今出てないような選手は絶対に次は試合に出たい。ジュニアに出場した選手だったら次は紫紺を着て、俺たちが対抗戦で出るんだっていう気持ちでやっていく。Aチームに関しては、大学ラグビーを引っ張っていくのは自分だとか、もっと言えば次のワールドカップで日本代表になるんだとか、常に先を見ていくような目線で、自分を高めていけるような雰囲気ができてくれば、このチームのポテンシャルっていうのは、もっともっと引き上げられるんじゃないかなと思っています。今はそこをうまく我々としても引き合わしていきたいなと思っています」
――今年度、明早戦の勝負のカギを教えてください。
「いかに明治の強みを出せるかでしょうね。あとはセットプレーとフィジカル。ここで相手を圧倒できれば必然的にうちのBKはタレントそろいで縦横無尽に走るようなスペース出てくると思いますんで、まずはその接点のぶつかり合いだと思います。あとはスクラムとラインアウトで相手にどれだけアドバンテージをつくれるかというところに尽きるかと思います。BKは黙っていてもトライを取ってくれるんじゃないかと思います」
――創部100周年ということで、現役時代について振り返っていただきたいのですが印象に残っている試合はございますか。
「勝ったことより負けたことの方印象に残っていますね。大学3年生の時、早明戦で負けちゃったんですよね。3点差で勝っていて、ロスタイムで明治がボールをキープしていて、今で言ったらもう外に蹴り出したら終わりだったんですけど、当時はそういうルールがなかったので最後まで全力でプレーをしなきゃいけませんでした。最後まで全力でプレーした結果、敵陣の22メートルでノックオンしちゃったんですよ。そのノックオンしたところを拾われて、最後60メートルぐらい走られて、トライされて逆転されて終わりました。呆然でしたね。ちなみにその年の大学選手権の決勝はまた早稲田が相手だったんですけど、その時は当時の最大得点差で勝ったんです。ひっくり返しました。でも、勝った試合よりもその早明戦で負けた方の試合の方が鮮明に覚えています。地鳴りのように(早大が)騒いでましたね。明治の悲鳴と早稲田の応援がすごかったのは覚えています」
――北島元監督とは関係性はどのようなものだったのですか。
「2年生の半ばで倒れられて、そこから療養生活に入られたので、現場でお話させてもらったのは1年間だけでした。だから、僕は(指導を受けた)最後の世代だと思っています。北島先生のことが多分田中(澄憲・平10文卒)前監督などはほとんど見ていないと思うんですよね。彼らが1年生の時にすぐ倒れられたんで。僕が4年生の時に亡くなって、貴重な長い明治100年の歴史の中で、1年だけ黒襟で出場した代ですし印象的ですね」
――北島元監督と思い出に残っていることありますか。
「大した会話はしてないです。でも、1年生の時に『どこの高校だ』と言われて、今でいう常翔学園の『大阪工業大高校です』と言ったら僕が知らない先輩の名前を出して『そいつの子分か、お前!』って。『はい』とか言って。でも、僕にとってみればすごく思い出ですね。1対1で喋ったのはその1回だけなので。あとはグラウンドに来られていきなり司令塔に登られて、『みんな集まれ』と言って集まって走り方の指導を受けました。でもそれは1対90なので。1対1で喋ったのはさっきの高校のやり取りだけですが、うれしかったですね。立ち止まって2人で話したので思い出です」
――今後の意気込みをお願いします。
「最終目標が日本一というのはもうブレのないことです。その過程においての早明戦というのは、一つしっかり戦わないことには、その目標にもたどり着けないというような見方です。本当に4年生にとってみれば、残80日切るか切らないかぐらいの限られた時間しかないので、その1日1日や1分1秒を絶対に無駄にしないで、後悔のないような過ごし方をしようと常に言っていきたいなと思っていますし、そうやっていけば必ず結果はついてくる。このチームは本当にそれだけのタレントがそろっているし、そこを信じるということですかね。そういったメッセージを常に出していきたいなという風に思いますね」
――ありがとうございました。
[安室 帆海]
◆神鳥 裕之(かみとり・ひろゆき)平9営卒
2013年度より、リコーブラックラムズ(現リコーブラックラムズ東京)の監督に就任し8年間指揮を執る。2021年6月1日より明大ラグビー部の監督に就任。昨年度は監督1年目でチームを全国大学選手権(以下、選手権)準優勝へと導く。大学時代にはナンバーエイトとして活躍し、大学1、3、4年次に選手権優勝に貢献した。
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