
(71)ONE TEAM ONE MEIJI〜100代目の誇りとともに〜 山本嶺二郎「日本一になるチームの行動をしたい」
「全員で日本一の集団を作る」。廣瀬雄也主将(商4=東福岡)が今年度のスローガン『ONE MEIJI』に込めた意味だ。100周年という節目の年。悲願の関東大学対抗戦(以下、対抗戦)、全国大学選手権(以下、選手権)優勝に向けて一人一人が鍛錬に励み、ラストシーズンを迎えた。4年生に明大での4年間の感想と、最後の戦いに向けての意気込みを伺った。11月1日より連載していく。
第28回は山本嶺二郎(法4=京都成章)選手のインタビューをお送りします。(この取材は11月1日に行われたものです)
――明大に進学した理由を教えてください。
「確か1年生の頃から声を掛けていただいて、それまで全然知らなかったんですけど、徐々に興味持つようになりました。最終的には明治と帝京で迷っていたんですけど、ちょうど福田健太さん(平31法卒・現トヨタヴェルブリッツ)の代の試合をずっと見ていて、健太さんの代で優勝したので、その時に明治に決めました」
――他の大学にはない明大の良さを教えてください。
「帝京との比較になるかもしれないですけど、練習時間が短くて、濃い内容の練習だなとすごく感じます。両方の練習を見に行って、直で感じたんですけど、明治の方が短期集中で、練習中もコーチが話すよりも選手同士で話すことが多い選手主体なところが魅力の一つだと思います」
――入学前と入学後でイメージは変わりましたか。
「いつも思うのは、みんな努力を隠したがるなって(笑)。僕元々ウエートめちゃくちゃ嫌いで、全然していなくて。1、2年生の頃は周りのそういう話もあまり聞かなかったので、してないのかなって思ったら、意外とみんなめちゃくちゃしてたっていうのを後から知りました(笑)」
――ずっと紫紺を着続けている中で、プレッシャーを感じることはありましたか。
「1年生の時はありましたね。リザーブでずっと入れてもらっていたんですけど、負けているときに僕が出てもあまり状況は変わらないかなっていう風にすごく痛感していました。実際そんなに出場時間も多くなかったので振り返ってみるとすごく悔しいです」
――出場時間が短い中で心掛けていたことはありますか。
「相手の流れや試合の流れを見て、どういうプレーが求められてるのかっていうのをしっかり考えながらプレーしていました」
――ご自身のロックとしての強みを教えてください。
「地味なプレーの仕事は自分自身ロックのいいところかなと思っています。もちろんラインアウトもそうなんですけど、それ以外のフィールドのところで、目立ったボールキャリーとかはできなくても、一つ一つの出方であったり、リリースの部分であったり、あとはブレークダウンの仕事の部分です。それができたところですごいっていう風にはならないですが、そこを欠かさずに常にし続けるっていうのは強みとして自信を持っています」
――副将として意識していることを教えてください。
「選手の意見を聞いたり、アドバイスしたり、試合を見てあげたりとかそういうところを意識してやってきました。とにかくコミュニケーション量を増やすようにしていました。特にFWは結構聞きに来てくれるので、すごくいい状態ではあると思います」
――4年間を一言で表してください。
「『前へ』ですね。(入学するまで)大学ラグビーを見てなかったので、明治に入って初めて『前へ』の精神を学んで、北島(忠治)さんも初めて知って、っていう状態だったので、最初はよく分かってませんでした。でも明治でプレーしていくうちに上級生が『前へ』を大事にしていることがすごく分かりました。4年生になってからは、100周年記念式典で伝統の『前へ』の精神をどう受け継ぐかっていうのを考える機会もあったので、そういう意味ではこの先も『前へ』の精神は自分の軸になるのかなと思います」
――山本嶺選手にとって今年度のスローガン『ONE MEIJI』にはどのような思いが込められていますか。
「みんな言ってるかもしれないですけど、やっぱり選手、スタッフ、ファンの皆さん、OB・OGも一体となって優勝を目指すということを目標にしています。でも日本一になるというよりは、まず日本一のチームになりたいと思っています。日本一になれればなんでもいいわけじゃなくて、私生活の部分とか挨拶とか、そういうところから日本一になるチームの行動をしたいです。ONEは日本一のチームっていうところも入っているのかなと思います」
――ありがとうございました。
[森口絵美理]
◆山本 嶺二郎(やまもと・れいじろう)法4、京都成章高、191センチ・110キロ
ジャンパーになったのは中学2年次。「初めてジャンパーした時は、下手すぎてリフターの新品のズボンを破いちゃいました(笑)『やばい』と思ってめちゃくちゃ練習したら徐々に上手くなったので、その出来事が今に生きているのかもしれないです」
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