
(65)ONE TEAM ONE MEIJI〜100代目の誇りとともに〜 萩原周「チームにプラスになるように自分が行動する」
「全員で日本一の集団を作る」。廣瀬雄也主将(商4=東福岡)が今年度のスローガン『ONE MEIJI』に込めた意味だ。100周年という節目の年。悲願の関東大学対抗戦(以下、対抗戦)、全国大学選手権(以下、選手権)優勝に向けて一人一人が鍛錬に励み、ラストシーズンを迎えた。4年生に明大での4年間の感想と、最後の戦いに向けての意気込みを伺った。11月1日より連載していく。
第23回は萩原周(商4=大阪桐蔭)選手のインタビューをお送りします。(この取材は10月26日に行われたものです)
――ラグビーを始めたきっかけを教えてください。
「最初はラグビーボールが家にあってずっと触っていて、ある日『行ってみるか?』って言われて。それで小学校のラグビースクールに行ってみたら楽しかったので、そこでやろうって決めてすぐ入りました」
――明大に入学を決めた理由を教えてください。
「最初は筑波大にいこうと思っていたんですけど、明治のキヨさん(田中澄憲前監督・平10文卒)から話をもらいました。もともと大阪桐蔭から明治っていうルートがあまりなくて久しぶりでした。最初は明治は強くて出られるか分からないので、明治に行くのは嫌やなって思っていたんです。でも『出れなくてもいいから挑戦してこいよ』って親父に言われて決めました」
――田中前監督にお話をいただいた時なにを言われたか覚えていますか。
「僕らの同期の大越勇気(営4=茗溪学園)が先に決まっていて『大越がいるけどどう?どう思ってる?』みたいなことは聞かれた気がします。それで『いや、勝ちます』と言った気がします」
――4年間で一番印象に残っている試合を教えてください。
「早稲田に負けた去年の選手権です。なにもできなかったし、自分のいいプレーもできませんでした。春からも順調に来ていて優勝できるチームだって思っていたから、こんなところで負けるって思っていなかったです。なにもできなかったのが印象的で悔しかったです」
――3年次からスタメンに定着しましたが、責任やプレッシャーはありましたか。
「すごくありました。3年生から9番だったし1、2年の頃はあまり試合に出て経験してこなかったので。自分が足をつったら替えがいないし、脳震とうとかケガとかしたら、もうおしまいだったので。プレーというよりもケガなどを考えちゃうことはありました」
――4年生になってから意識していることなどはありますか。
「後輩がプレーしやすいようにコミュニケーションを取るようにしています。円陣を組むときも『なんかある?』とか後輩に聞いていて、後輩も思ってることはあっても言えない環境は良くないので積極的に聞いています」
――ご自身が思うスクラムハーフの理想的な形はどのようなものですか。
「やっぱりアタックもディフェンスもハーフから起点になるし、みんなから信頼されてるハーフが絶対一番手だと思います。アタックもディフェンスも両方スキルフルじゃないといけないというのが自分のハーフの理想の形です」
――4年間でテーマはありますか。
「試合に出ることです。親父にも『出れへんくても頑張ってこいって言われたので』。紫紺を着て試合に出るっていうのがテーマで、そういう面で親孝行をしたいです」
――萩原選手にとってスローガンである『ONE MEIJI』とはどのような意味だと思いますか。
「やっぱり一つにまとまるっていうことです。チームもそうだし、OBからも応援されるようなチームになるために、まずは一つになることが大切だと思います。そのためにも後輩が発言しやすい環境をつくれればと思います」
――引退が迫ってきていますが今だからこそ後輩に伝えたいことはありますか。
「本当に頑張った方がいいということですね。4年間しかないし、こんなに注目されるのは大学くらいだと思うので、試合に出るためにどんなことがあっても頑張らなあかんっていうのを伝えたいです」
――目標は日本一だと思いますが、個人として日本一になるためにどのようなことができると思いますか。
「自分に足りない課題をしっかり修正するために、自主練とか日頃もラグビー中もコミュニケーションをしっかりとってチームにプラスになるように自分が行動できたらいいなと思います」
――ありがとうございました。
[豊澤風香]
◆萩原 周(はぎはら・しゅう) 商4、大阪桐蔭高、173センチ・76キロ
亀井茜風(政経4=長崎北陽台)とは2年連続の同部屋。4年生の人数が多いため、同学年が二人いるイレギュラーな形になったそう。「茜風は毎日寝る時にすみっコぐらしの人形を肩に乗せて寝ています(笑)」
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