
(46)イベント関係者インタビュー/神田スポーツ祭り2023
10月最後の週末、スポーツの街・神田は多くの人でにぎわっていた。街行く人々のお目当ては、今回で29回目となる神田スポーツ祭り。小川広場や靖国通り沿いには約30のスキー場ブースが並び、スキー場情報の発信や早割リフト券の販売が行われたほか、加盟店の感謝祭も実施された。今イベントには学生団体・明大まちづくり道場も参加。ボッチャ体験会などで、地域の活性化に貢献した。ここではイベント関係者の声をお届けします。
明大まちづくり道場
浦彩香さん(法3)
――明大まちづくり道場とは、どのような団体なのでしょうか。
「明大まちづくり道場は地域と社会と関わっていく学生団体で、明大の宇崎竜童さんが設立してくださいました。主に神保町、御茶ノ水、神田の音楽イベントだったり、こういうスポーツ祭りだったり、来週あるカレーグランプリだったりといったイベントのお手伝いをさせていただいています」
――その中でも特に音楽の活動に力を入れているのでしょうか。
「主は音楽のイベントのお手伝いをしていて、千代田音楽連合会さんのイベントのお手伝いをやっています。御茶ノ水駅の目の前のサンクレール駅前広場でライブをよくやっていて、それのお手伝いです。 先週はサークル内でバンドを決定したんですけど、それで半年間ぐらいみんなで練習して、そのイベントの時に披露したということもあります」
――このスポーツ祭りでこれまでやった企画内容を教えてください。
「ボッチャは去年からやっていて、それより前だったら金メダル作りとかですね。絶対に毎年ボッチャをやっているわけではないです」
――スポーツ祭りについて、今後の展望を教えてください。
「スポーツ祭りは1年に1回しかないイベントで、私たちもこうやってボッチャなどで遊ぶ機会も全然ないので、このままお子さたちにも楽しんでもらいつつ、私たちも一緒に遊んで楽しんでいけたらと思っています」
――団体の活動全体として、今後はどういった活動をしていきたいですか。
「全体としては、この団体は地域の方と関わって協力しながらイベントを行うサークルなので、これからも地域の方たちとコミュニケーション取りながらより良いものを作っていきたいし、活性化にもつなげられたらと思っています」
神田スポーツ店連絡協議会会長
角谷幹夫さん
――神田スポーツ祭りの始まりときっかけについて、教えてください。
「30年前には、まだ神田スポーツ店連絡協議会などのスポーツ店の組合っていうのはなかったんです。1993年、バブルの終わりの方の頃はここら辺にたくさんの人がいて、にぎやかでした。お店によっては道路の反対側に商品を並べるなど、昔の竹下通りみたいに交通量があまりにもひどかったんです。それで最初にビクトリアさんとミナミさんとミズノさんの三者が、神田警察の方からなんとかしてっていう形で指導を受けたのがきっかけですね。それで連絡協議会ができました。ミズノさんが初代会長でビクトリアさんとミナミスポーツさんが副会長っていう感じで始まりまして、その中でうちも幹事会をするということでした。最初はボランティア活動や地域の清掃活動、交通事業などを行っていましたが、やはり商いの集まりでもあり、じゃあスポーツ祭りをやろうとなりました。最初は10月10日の体育の日でしたが、寒くなるのがだんだん遅くなってきたことと、千代田区ではそれまでスポーツ祭りはスポーツ祭りで勝手にやっていましたが、他にも古本祭りなどと横の連携をしようということがありまして。今、千代田音楽連合会さんがありますが、当時はなかった。そこでいろいろ連携しようということで、体育の日が第二月曜日に移行したのもあって、じゃあ10月最後の土日にやろうとなって、古本祭りさんや音楽フェスとお店を出し合ってできるということになりました。最初は小川広場で神田プロレスとか学生プロレス、体力測定とかを試行錯誤してやっていました。今の形になったのはコロナになってからで、どうしても一般の店舗も出したりすると、コロナ対策で人の規制をして、通るなって言えないじゃないですか。それで小川広場で先に申込していただいてという形で、それから一方通行で出てくるようにと、いろんな工夫をしました。おかげさまでコロナの時もずっと継続できました。そしたら結構評判がよくて。それが取材してもらっている今のスポーツ祭りの形ですね」
――イベントをしていて、来場者や加盟店の様子などはいかがですか。
「やっていると加盟店はやっぱりやっていて良かったと。こういう風な形で売り上げにも貢献できたのかなという風に思っています。来場者の方でも、例えばスキー部関係の人が来ると、みんな小川広場で待ち合わせして集まってというような形で来るので、そういうところでも来ていただく動機づけにもなりますね。メトロさんの駅でもポスターなど協力していただいて大変助かります」
――明大まちづくり道場は、いつからこの祭りに参加されていましたか。
「最初に千代田区の方で呼ばれた時に、まちづくり道場を作った宇崎竜童さんという明大の軽音楽部OBで今はそこの代表をやっている方が、町に対して恩返しを何もしていないということで、じゃあ街に恩返しをしようとなりまして。楽器店の方の組合でも集団を作っていたときに、最初の頃はスポーツ祭りの方に来て演奏していただいたんです。だから、今でも明大まちづくり道場さんのキックオフがあった時に、私やそれから音楽関係などの関係者が集まっていますね。だから、宇崎さん主導っていう形でご協力していただいて、それからずっとご縁があって、長い歴史になったっていうことなんです」
――この街には、近くに明大駿河台キャンパスなどもありますが、学生の地域への関わり方は、今どのように感じていますか。
「道場生の方は、スポーツ祭りに限らずアートピクニックとか、音楽公演もやっていて、すると色んなところに同じメンバーがいて知った顔がいますので、そういうところでまた会えてコミュニケーション取れるのでいいなと思います。学生の方は、そういう活動をしている中で、ここに居場所を作ったらどうかなと思います。そうすると、今度は卒業しても、もしくは結婚しても、こんにちはって言えるような、そういう風な街と学生の付き合いになってくれればいいですね」
――神田や神保町の、街の活性化というところで、今後どのようになっていってほしいとお考えでしょうか。
「本の街・神保町、スポーツ店街のある小川町、そして楽器街が駿河台にあって、千代田区さんの方でもね、街の特性を生かしながら、特色ある街のいいところを伸ばしていければなと。食場として、カレーや中華も結構多いですよね。神保町には昔は中華料理の学校もあったので、そうしたゆかりある街を生かしながら、そして今度はまたその街と同士がエリアとして連携していけば楽しいですね。ただ街が発展しても、渋谷みたいになっちゃうとまたちょっと違うので、文化の街として伝えて、またキープしていければいいかなと思います」
――ありがとうございました。
[渡辺悠志郎]
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