
(39)シーズン後インタビュー 山隈太一朗
掲げた目標の達成を目指して、今シーズンをひたむきに戦い抜いた。今年度の日本学生氷上競技選手権では20年ぶりにアベック優勝を果たし、チームとしても目覚ましい結果を残した。その中でも、近い将来を見据えながら歩み続ける選手もいれば、今シーズンでスケート競技から引退した選手もいる。それぞれが感じる思いを、選手の言葉を通じてお届けする。
(この取材は3月8日に行われたものです)
第9回は山隈太一朗(営4=芦屋国際)のインタビューです。
――明治法政 on ICE 2023を終えての今の心境はいかがですか。
「明法は本当に後輩たちがよく頑張ってくれて素晴らしいショーになったなと思っています。やはり入場が少し遅れてしまったり僕の演技でちょこちょこトラブルがあったりはあったのですが、お客さんを入れて関係者もたくさん入れて、なおかつ今年度からグループナンバーを取り入れたりとか、新しい試みが多かったですね。運営側に関しては、昨年度までは4年生が主体で動いていたのですが、やはり4年生が主体で動くと次の年いないわけで。4年生がいないとまた一から物事のイベントを作らないといけないし、僕らOBになっていくのですが、OBは仕事が忙しかったりしてなかなか手が回らなかったりするとなると、どうしてもイベントの運営が進まなくなってしまうというのを感じていたので、今年度からは本格的に3年生、明治だったら2年生の堀見華那(商2=愛知みずほ大瑞穂)ちゃん含め、進めてもらうようにしました。僕とかもサポートの立場でいたし、ほとんど彼らがやってくれました。それでまず有観客での開催までこぎつけているので僕は開催しただけですごいなと思いますし、そこからショー自体もすごくクオリティの高いものになったと思います。もっともっといろいろなことはできると思いますが、自分たちの良さをしっかり出していけたかなと思います。僕個人に関しては、むしろトラブルがあってくれてよかったなと。あれのおかけで会場がすごく温かくなったと感じましたし、最後盛り上がって、光翔(大島光翔・政経2=立教新座)と僕のステップがあって、グループナンバーで僕が主演みたいなことをさせてもらって、最後ずっと会場が温かくて、自分が最後の時にこんなに会場が盛り上がってくれて温かい中で見送ってもらえて、幸せなショーだったなと思います」
――今年度から下級生が主体で進めるという案は山隈さんが考案したのですか。
「そうですね。僕が主将になったタイミングで絶対にやろうと思っていたことの一つで、仕事を振るというのは明治大学のフィギュア部門に関してはうまくできていませんでした。すごく優秀な先輩が何人かいたおかげで組織として回っていたみたいなところが少しありました。そこをどうにかして変えたいと思っていたので、特に明法は僕も昨年度ドタバタで運営をお手伝いしていたので、このイベントを開催する大変さは身に染みてよく分かっていました。だから最初から3年生にしようと思っていたし、かなり早い段階、昨年度が始まってすぐくらいには、早め早めに動いてもらいました。だからこれだけの規模でのショーができたのかなと思います。これは僕がやりたかったことなので、うまく行ったかなと思います」
――人に仕事を振るのはなかなか難しいことだと思いますが、主将を経験された山隈さんから見て、上に立つ仕事をするにはどのようなことが重要だと思いましたか。
「大変だとは思いますが、なるべくたくさんの人を巻き込んだ方がいいかなと思います。全て自分でやるのは自分の仕事量自体は増えるけど、全て自分の責任だからすごく楽です。でも組織をうまく回すという意味では、みんなを使った方がいいです。それで、みんな帰属意識ではありませんが『自分も部の一員なのだ』という意識が芽生えて結束につながると思うので、とにかくたくさんの人を巻き込めるように、たくさん仕事をみんなに振るというのはすごく大事だと思います。あとは競技面、学校生活でも自分がまず文句がないような模範的な生活をするというのはすごく大事だと思うので、僕も単位を落とさないようにしていました。競技に関して、やはり結果というのは努力が報われるものではないですが、ただ、努力をすることは大事だと思うので、自分にとって常にベストな練習をするように心がけていました。普段の生活からしっかりするということといざ主将として仕事をするとなったら、うまく人を使えるようにするということが大事だと思います」
――数人ではなく、なるべく多くの人を使うということですね。
「もう絶対たくさんの方がいいです。数人だけだと、その数人しか動いていないから周りの人たちは『あの人たちがやってくれる』と思ってしまう。誰かがやってくれるという意識になったら誰もやらなくなるので、結果的にはやることの規模もどんどん狭まってしまいます。みんなが能動的に動く状態がベストだと思うので『あの人たちがやってくれる』という意識をなくさなければいけないと思います。後輩たちが『これしなくていいですか、あれしなくていいですか』と言ってくれる状況が理想ではあります。なかなかそこまでは作れないし理想だとは思っていますが、やってくれた子もいます。その状況を作れたらリーダーとして素晴らしいのではないかなと思います」
――部を発展させていく中、後輩との関わりで印象に残っていることはありますか。
「1年生3人は、僕が進める部練だったりたまにやるミーティングだったりとかにできるだけ出席してくれました。もちろん彼女たちは海外試合とかもありますし毎回は厳しかったですが、出られるときは毎回来てくれました。今一番いい成績を出している彼女たちが、部に対して真摯に取り組んでくれているということがとても大事なことでした。1年生に部というものをしっかり示せたのはよかったなと思います。あれだけ素晴らしい彼女たちが入学当初から、部活動というものを意識させることができたというのはすごく大きなことだと思っています。自分が入ったときは、部はそんなにバラバラだったわけではありませんが、部練があったわけでもなくて部活動がなかなかなかったので、部という意識を持っていませんでした。一番きつい時に彼女たちが入ってきてくれてこれだけやってくれたというのは、将来的にどれだけやってくれるのか楽しみですね」
――今シーズン全体を振り返っていかがですか。
「今シーズンは、引退すると宣言して臨んだシーズンだったので、前半は怖かったです。今シーズンもし取返しのつかないようなミスをしたら、もう二度とやり直せないのだと、引退を宣言したのに撤回するのは、僕のポリシーとして少し嫌でした。だから辞めると宣言した以上は『男に二言はない』と言うように、今年度でやり切らなければという気持ちがありました。でも、東日本選手権(以下、東日本)が今年度は4枠しかないというところで本当に緊張しましたし、あそこが今シーズンで一番苦しかったところでしたが、そこを乗り越えて、最後全日本選手権(以下、全日本)くらいからはいい思い出しかありません。幸せをずっと感じられたシーズンでしたね。自分の最後ということでいろいろ人がすごく大きな愛を持って僕を見てくれているのが分かったし『この人の演技はこれがラストなのだ』と見るみんなの目が本当に温かくて、今年度は今までの試合に比べて全ての試合が、意味合いが強くてすごく楽しかったです。東日本だけは本当に死にそうなくらい緊張しましたし、光翔とかも昼食に何を食べたか分からないというくらい緊張していたという話を二人でしていました。個人的なベストパフォーマンスは全日本でした。全日本のパフォーマンスはスケート人生でベストだと思うし、演技をしながら『ああ、この演技はもう超えられないな』と感じられた試合でした。すごく完璧で理想的な最後の全日本を過ごすことができて、そこですごく満足した分、その後の2試合はどうかなと思いましたが、一番難しかったのはインカレ(学生氷上選手権)ですね。自分のパフォーマンスとしては安定していたのですが、ミスも重なってしまって、結果を出しに行ってしまいました。でも優秀な後輩がいてくれたおかげで、4年間ずっと目標だったインカレの総合優勝ができたし、アベック優勝もできたし、結果に関しては申し分ない試合ができました。もう本当に嬉しかったです。国体(国民体育大会)に関しては、自分のパフォーマンスというより、これだけみんなに愛されていたのだと、すごく愛を感じられた試合でした。僕の理想の引退像は、みんなに惜しまれながら見送ってもらうことだったので、自分が思い描いていた理想の何百倍も素晴らしい引退ができたなと感じられました。ファンの人たちなどみんなが見に来てくれたリンクサイドの光景が忘れられないです。これだけの人が自分の最後の演技に集まってくれるのだと演技前から感動しました。演技中も、一つ一つの動き、要素全てにみんなからのすごい声援を感じられて、本当に幸せでしたね。全日本は、個人的なパフォーマンスの最高潮、なおかついろいろな方からのものすごく温かい雰囲気の中で演技をすることができました。国体は自分のパフォーマンスではなくて、周りの人からすごく慕ってもらっている、すごく愛されているなと感じられました。だから全日本と国体がスケート人生含めても一番印象的な試合で、一生忘れないだろうなと思います」
――海外のショーの道に進むと決めた経緯を教えてください。
「僕も2年前は、就職すると言っていました。『この世界からは去ります!』と明言していたのですが、大学3年生ぐらいの時に本当にフィギュアスケートが楽しくて。大学に入ってから成績自体は落ち込んでいるし、結果としては毎シーズン苦しかった。でもそれに相反するようにフィギュアスケートの奥深さというものを感じていて、とても楽しかったです。で、自分の身体がどんどんよく動くようになっていったのを感じたし、自分のピークはまだまだ先なのではないかというのをすごく感じていました。よくスケーターで体力が衰えたとか、どんどんしんどくなってくるとか動かなくなってくるとかよく聞きますが、全く逆で、どんどん動けるようになってくるし、いろんな動きができるようになるし、まだまだ可能性を感じられて、フィギュアスケートの奥深さというものがまだまだあるのではないかとそう思えば思うほど楽しくて。そんな時にもう自分はあと2年しかないのかと考えると『いや、もったいない』とすごく感じました。この先もう一度スケートをやりたいと思っても、おそらく社会に出たら帰ってこられないと僕は思っていて、それなら僕の身体が動くうちにもっとやりたいだけフィギュアスケートをやろうと思いました。でもそうすると、金銭的な問題が出てくる。自分の体一つで稼いで競技生活分の資金を調達できなればプロになろうと3年生の時にそう決心して、1シーズン過ごしました。結果的には、自分だけで十分な資金を調達できるだけの成績は残せなかったから、ショーの世界に入って、自分の身一つで、自分で仕事にしながらフィギュアスケートを続けようと思いました。就職は今難しい時代ですが、もしかしたらこの先もできる可能性があります。でもフィギュアスケートは今しかできないということで、昨年度の全日本が終わった後にショースケーターを目指そうと決めました」
――ショースケーターとして目指す演技の理想像はありますか。
「ショーは求められているものが競技とは違っていて、分かりやすいところで言えば、ジャンプが7本もいらないんですね。4回転とか難しいことをやればいいというわけではないところ、あと世界観を作り出したり、表現だったり、そういう部分が僕にとっては強みなので、それが生きるのはショーの方だと思うので、その強みをまず生かしたいです。また、グループの中でいかに目立つかということが大事で、表現や雰囲気でお客さんに伝えるというところで勝負できる世界です。まずはショーを良いものにするという意識で、なおかつ自分が一番輝くようにと思うことが必要なのかなと思います。誰も僕の事を知らないけれど、ショーで僕を見た時に『あ、この人いいな』と印象に残るような、何にも知らない人が見て『なんだかいいな』と印象付けられるスケーターになりたいです」
――山隈さんの語彙力と言語化能力はどのようにして培われたのですか。
「語るのが好きなんですよ。しゃべることが大好きで、放っておいてくれたら永遠に話しているくらい好きです。インタビューがどうしても長くなってしまうのですが、とにかくたくさん話しているし、語るのが好きだし、しょっちゅういろいろなことを考えています。それをうまく話すにはどうすればいいのだろうとすごく考えていて、考えながら話すというのを常にやっています。いろいろな映画とかドラマとかの言い回しで、分かりやすいものがあったら『これ分かりやすいな』と思ったりなど、ずっと頭を回転させているというのはあるのかもしれないですね」
――山隈さんにとってスケートとはどのような存在ですか。
「ここ19年間は、フィギュアスケートから離れたことがなかったし、それが全てだったので、本当に人生ですよね。スケートこそが。この先もずっとフィギュアスケートがいろいろな行動の礎になってくると思うから、本当に僕の人生そのものだろうなと思います」
――スケートから学んだこと、成長したことはありますか。
「演技面だと、どう相手に伝えるかで一番大事なのは気持ちですが、それを体現するための技術も必要ということで、技術と感情のバランスがとても重要だなと思いました。どちらが自分にとって足りていないのかをきちんと分かって練習することで、自分のやりたいものに近づけるということが分かったので、まずは分析することが大事だなと思いました。分析することが他のことにいい形でつながってきているなと思います。それこそ言語化能力も最初は分析することから始まったというのもあるし、技術などを誰かに分かりやすく伝えるというのはすごく自分にとっても勉強になることで、それをし始めてからいろいろな人としゃべっていて有意義な話をしやすくなりましたね。スポーツですから結果が良い時も悪い時があります。僕の場合はほとんどのシーズンが悔しいなと思って終わっていましたが絶対そこで諦めないとか、逃げずになぜ駄目だったかを分かってもう一回チャレンジするというチャレンジ精神みたいなものは養わせてもらったし、フィギュアスケートを通じていろんな国に行ったりいろんな文化の人と触れ合ったりすることができて、そのおかげで広い視野でいろいろな物事を見ることができるようになったので、フィギュアスケートをやったおかげで人間的な広さみたいなものを学ばせてもらいました。それにファイターの心というか、とにかく戦う心、いろいろな物事に対して諦めずにどうすれば状況がよくなっていくのか常に模索するという前向きな姿勢が身に付いたし、僕の今の性格はほとんどフィギュアスケートによって培われてきたと思うので今の自分があるのはスケートのおかげだなと思います」
――同期の4年生にメッセージをお願いします。
「僕の同期は本当にキャラクターが濃くて、フィギュアスケートのレベルもすごく高くて、なおかつ単位もしっかり取っている人たちだったから、自分にとってはすごい存在でしたね。本当に面白い同期だったなと思うし、彼女たちと関わることでいろいろなことを勉強させてもらったので、同期として一緒に卒業してくれてありがとうと言いたいです」
――後輩へのメッセージをお願いします。
「後輩に恵まれたなと思っていて、彼らのおかげですごく楽しい明治大学スケート部の1年を過ごせました。今年度のメンバーは一緒に集まる機会が多くて、すごく楽しい思い出がたくさんあって、スケートのレベルがすごく高くて、合宿をしていてもすごく刺激を受けたし、駿(佐藤駿・政経1=埼玉栄)の4回転なんかは世界的にすごいですから、それを間近で見られてうれしいですし、後輩たちみんなの性格もすごく真面目で、部に対して真摯で、彼らのおかげですごく楽しくこの1年を過ごせたのでありがとうと言いたいですね」
――お世話になった方々へのメッセージをお願いします。
「すごい数の人にお世話になったし、みんなのおかげで今の僕があります。まずはどんなに調子が悪くてもどんなに朝が早くてもどんなに夜が遅くてもずっと送り迎えしてくれた自分の母親と、ずっとフィギュアスケートをやってなおかつ東京の大学に行ってとすごくいろいろ大変だったけど常に支えてくれた父親、もう本当に両親には感謝してもし切れないし、ここから少しでも恩返ししていけたらなと思います。これまでお世話になったコーチ、僕は本当に面倒くさい生徒で、こだわりも強いですしうるさいですし、大変だったと思うけれど、それでも僕を捨てずにずっと根気強く向き合ってくれてそのおかげで最後までスケートをやり切ることができたので、本当にありがとうございます。それからファンの皆さん、常にいい成績を出していたわけではなくて、たまに宝くじが当たるくらいの確率でいい試合をするのですが、それくらいの確率でしかいい試合がないのにこんなに応援してくれて、良い時も悪い時も常にみんなが応援してくれたから頑張れました。みなさんの前で滑るのが自分の一番のモチベーションで、みなさんの声援のおかげで幸せにスケートできたので、感謝しています」
――ありがとうございました。
[布袋和音]
(写真は本人提供)
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