
(190)箱根駅伝事後インタビュー①/富田峻平
〝返り咲け明治〟。復活を誓うスローガンを胸に挑んだ箱根路。10区間中2区間で区間賞を獲得するなど紫紺の戦士たちが躍動するも、結果は総合12位。3度目の正直とはならなかった。今回はレース後の選手たちの声をお届けする。
1区を走った富田峻平(営4=八千代松陰)のインタビューです。
1区 富田峻平 区間順位1位 1時間02分44秒
――1区を走ると決まった時の心境はいかがでしたか。
「今年度は多くの試合に出てきて、主にトラックレースではラストの競る場面で負けることが多くありました。それをまたしてしまうのではないかという不安が頭をよぎりました」
――走る前に緊張はされましたか。
「ものすごく緊張しました。1区はその後の流れを決める重要な区間ですし、長年明治が課題としてきたので、明治が持つ1区の意味合いは他大よりも大きいです。そこを任されたというのは、正直とても責任を感じました」
――レースプランはどのように考えていましたか。
「直前に山本佑樹駅伝監督からも『スローな展開になるかもしれないから、その時はじっくりと耐えて六郷橋を過ぎてから一気にいこう』と言われていました。ですので、それだけを考えてじっと耐えていました」
――他大との駆け引きで意識していたことはありましたか。
「ずっと集団で人数の多い状態で走っていたので、仕掛けるならば一発で勝負を決してしまうような飛び出しをする必要があると考えていました。六郷橋を下り終わって、前を行く選手の間が少し空くのが見えたので、もうここしかないと思って飛び出しました。スタートの飛び出しは正直オーバーペースなところがあったと思います。ただそこで他の選手に付かれるのではなく一気に引き離すことが最後の差につながると思い、後半苦しくなることを覚悟の上で、ここで一気に片を付けようと思いました」
――スパートしてからも最後まで引き離していくことができた要因は何ですか。
「集団の中でずっと耐えて後半のために足を残せられたことと、精神的な強さが最後区間賞を取れた要因かなと思います」
――精神的な強さというのはどうやって培ったのですか。
「4年次に多くの試合を経験したことが大きいと思います。度胸だったり、自分が絶対いい走りをしなければいけないという責任を毎回レースのたびに強く感じました。最後、そこが生きたのかなと思います」
――集団走でよく周りを見ながら走っている印象でしたが、それは何か意識していましたか。
「レースに集中した方がいいと思われるかもしれないですが、自分は周りをよく見て走った方が気持ちも楽に冷静に走ることができたので、あえて周りをよく見るようにしていました」
――今までの箱根駅伝(以下、箱根)を1年ずつ振り返っていかがでしたか。
「1年次はエントリーメンバーの16人にすら入れずに、同期の加藤(大誠・営4=鹿児島実)や櫛田(佳希・政経4=学校法人石川)がいい走りをしているのを見て、本当に自分にもできるのかなと思ったりもしました。2年次は箱根路に臨むことができて、でもそこで箱根の洗礼を受けて、出るだけでは駄目なんだなと痛感させられました。その反省を生かして練習を重ねた結果、3年次の箱根は自分の殻を一つ破ることができた大会になったと思います。最後の箱根は、自分が大学に進学してからずっと欲しかった1位をついに取ることができたので、本当に良かったなと思います」
――3年次の箱根では襷リレー後に涙もありましたが、その理由は何でしたか。
「いい走りをできてうれしい思いもあったのですが、それよりも何よりシード権獲得という方が自分としては強い意味を持っていました。なので、まだシード権に届いていない状態で襷を渡してしまったことに対して、後は他の走者に任せるしかなく自分のできることがゼロになった無力感を感じました。今回の箱根ではより良い位置で襷を渡すことができたので、とてもうれしかったです」
――今回の全体の結果をどう受け止めていますか。
「またしてもチームの結果を達成することはできず、悔しい思いと同時に、これから入ってくる高校生も含めた後輩たちに対して、予選会という苦しい試練を課さなければいけないことが非常に申し訳ないです」
――今後は実業団で競技を続けられますが、進路を決めたきっかけを教えてください。
「きっかけとしては、大学2年次に出た5000メートルの記録会で13分41秒を出すことができたのが大きいです。高いレベルに挑んでいくことができるタイムを出せたと思って、次のステージへ進みたいと思いました。そこで地元のチームである日立物流に興味があると山本駅伝監督に話しました」
――これからに向けての意気込みを教えてください。
「実業団ではさらに厳しい競争を勝ち抜いていかないといけないですが、しっかりとレベルアップして、また明治OBとして後輩たちに活躍を見せられるような選手になりたいと思います」
――ありがとうございました。
[覺前日向子]
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