
(30)全日本選手権直前インタビュー 松原星
いよいよ冬の大一番、全日本選手権(以下、全日本)が開幕する。最高の演技を目指し日々練習を重ねる選手たちに懸ける思いを伺った。大舞台でそれぞれの熱い思いを表現し、今年度一番の感動を届ける。
(この取材は12月11日に行われたものです)
第8回は松原星(商4=武蔵野学院)のインタビューです。
――全日本開幕が近づいていますが、率直にどのようなことを思っていますか。
「もう12月なのかと思いますし、スケート人生最後の全日本が始まって、それが終わってしまったら全日本という舞台は一生来ないのだなと思います」
――やはり最後ということを意識する部分はあるのですか。
「最後だからどうというよりは、この先大きな舞台でお客さんの前で踊るということがまずないと思うので、それを味わえる最後の機会なのだなとは思いますね」
――演技の仕上がり具合はいかがですか。
「東日本選手権(以下、東日本)で構成を落としたのですが、東日本が終わった後に同じところをケガしてしまって。東日本とほとんど同じ構成になってしまうのですが今できることを全力でやるしかないかなと思っています」
――ケガは右足の捻挫ですか。
「そうですね。1回目は東京選手権(以下、ブロック)が終わってから2、3日後に捻挫してしまいました。ブロックが終わって捻挫してしまって、結構良くなっていてルッツとフリップを再開できるのではないかと思っていたところでまたひねってしまって。完全に治っていなかったからこそ、今回かなり腫れてしまいました」
――現在、右足の状態はどのような感じですか。
「東日本の前と同じような状態に戻っています。完治するわけでもないですし、東日本に向かうときも完治する感じではなかったです。捻挫は複雑で1カ月そこらで治るものではなくて、3、4カ月ないと完治しなくて。完治できないのはもう分かっているので、悪化させない、またひねらないように気を付けるしかないですね。痛くて動けないというわけではないので、トレーニングしながら腫れたりしないように気を付けながら練習しています」
――ブロックの後に捻挫した時、どのような気持ちでしたか。
「大学1年生の時にも捻挫してしまっていて、それもあって『終わってしまった』と正直思ってしまった部分もあって。本当に捻挫はつらいし、動けないし、すぐまたひねってしまう恐怖もあるというのが分かっていたので、1年生の時にそれで苦しめられたからこそ『あ、ちょっと……』と思ってしまう部分もありました。ですが、本当にラストですし諦めてしまっていいのか、諦めたくない気持ちが一番強かったからこそ、東日本を通過できました。それでまたケガしてしまって何しているのだろうという思いの方が多いのですが、今できることをしっかりやって、技術面では一番元気な時のレベルのものはできないとしても、採点基準が変わって上のことをやるからといって点数が出るわけでもないし、他の部分で補うことができるような採点方式になっているので、そこをプラスに考えて頑張っています」
――捻挫はどのようにして起こったのですか。
「1回目も2回目も同じで、ジャンプで回って降りた瞬間に横滑りみたいにつるっと滑ってしまって。着地する前に横滑りで転ぶと同時に滑ってしまう感じです。防ぎようのないと言いますか、エッジの位置を変えてみたりしたのでもうひねりたくない、いつもひねりたくないですけど、もうならないことを願っています」
――リハビリやトレーニングはどのようなことを行っていますか。
「捻挫してしまってから1週間くらいは固定していないといけなくて、体幹トレーニングにせよ足を使ってはいけないので膝を付いてやるトレーニングにして工夫したりしました。動かせるようになってからは体幹や腹筋、背筋、思いつく限りやって、リハビリにも通って1日中トレーニングしていたかなと思います」
――足を動かせるようになってからは、氷上での練習はどれくらいやっていましたか。
「いつものようには練習できなかったですが、そんなに極端に減らしたわけでもなくて、ある貸し切りはしっかり乗って集中して、曲をかけられるならできるだけ曲かけして、少しでもみんなと差がついてしまった分を取り戻そうと頑張っていました」
――ジャンプを跳ぶ時に恐怖心はありましたか。
「1回目の方が怖くて、久しぶりに捻挫したので降りた時に痛いのかなど、怖かったのですが、2回目はまたつるっと滑ってしまわないかそちらの恐怖があって。1回目は跳ぶ時の恐怖だったのですが2回目はまた転んでしまったらどうしようという恐怖でした」
――ケガをした時にコーチやご家族から声掛けやサポートはいただきましたか。
「今さら大丈夫とかではなかったので、ラストで何しているのという、だいぶ呆れられた感じで。自分自身が一番落ち込むというか、落ち込むを通り越して無というか、だいぶ『……』という感じで何すればいいのだろうとなっている時もありました。1回目に捻挫してしまった時は本当に東日本を通過できるとは思っていなかったので、こんなに頑張ってきたスケートが終わってしまうのかなと落ち込みましたが、目の前のことに集中したら結果通過することができました。それでまた2回目ひねってしまって、落ち込んでショックでしたが、またやれることやるしかないのかなと切り替えました」
――東日本に向けてはどのような練習をしていましたか。
「捻挫する前、ルッツがかなりまとまってきていて、ブロックではひどかったのですがそこから少しまとまってきた頃にケガしてしまって。捻挫しても何としてでも跳ばなければいけないというのはあったのですが、本当に痛くて着くのが怖いし、それで1年生の時に怖い思いをしながらもルッツとフリップを練習してまたひねるといった感じで1年生を過ごしたので、同じ失敗はできないなと思いました。ある程度跳んで、ジャンプを戻せないなと思ったので、すぐにルッツとフリップは2回転でいくと決めて、跳ぶことのできるサルコウとトーループの連続ジャンプ、アクセルとトーループの連続ジャンプとループを中心に練習して、スピンとステップのレベルは絶対落とさないようにして、できることを最大限やって通過できた感じです」
――東日本の演技直前はどのような気持ちでしたか。
「出発前日の夜もSPのサルコウとトーループの連続ジャンプが全然跳べなくて、練習でも全然跳べず『ああもうだめだ』とだいぶ落ち込み気味で、でもやることやるしかないかと思ってだいぶ平たんな気持ちでいました。ですが、会場に入って前日の練習があってそこでFSでノーミスすることができて、少し戻った感じがしてそこから上がっていった感じです。結果的にループは成功させられなかったのですが、アクセルとトーループの連続ジャンプもサルコウとトーループの連続ジャンプも続けてなかなか跳べなかったりしていたのですが、群馬に入って体が動いてきてうまくまとめられたので、自信や緊張という次元のものではなくて、今できることをやって跳んだら通過できるかもと思って挑みました」
――東日本が終わった時に感じたことは何かありますか。
「アクセルとトーループの連続ジャンプ、サルコウとトーループの連続ジャンプが跳べたら通過できるかもしれないと思っていたのですが、東日本のレベルも上がってきていて一緒に公式練習した時にみんなルッツやフリップを跳んでいたので、やることをやっても、もしかしたら通れないかもしれないと思ったりもしていました。ですが、自分がやることやっていないとそういうことも言えないなと思って、まずは自分の演技をしっかりしようと気持ちを切り替えて演技しました」
――終わった後に安心感はありましたか。
「『良かった。つながったな』と思えました。ここで終わってしまうのかなと本番の2、3週間前はそう思っていたので。引退が先に延びて良かったなと思いました」
――東日本の演技を振り返っていただいて、課題として残ったことや逆にできていたことがあれば教えてください。
「ループですね。SPでルッツとフリップができないからこそ、サルコウとトーループの連続ジャンプを決めることはもちろんとして、ループがこれまでスケートを続けてきてSPで決められていないジャンプなので、それを絶対に決めないと全日本でSP通過できないと思いますし、そこが一番の課題かなと思います。体力も戻っていなかったからこそこの1年弱教わってきたスケーティング、それほど力を使わないエコな滑り、体力を使わなくても滑るスケーティングを吸収できているのかなと思うのでそれが発揮できたのかなと思います」
――名前入りのめいじろうのぬいぐるみを持っていると思うのですが、いつから持っていますか。
「あれいつだろう、全日本の時かな、上から投げてもらったのかプレゼントでもらったのかちょっと覚えていないのですが、明治をいつも応援してくださる方がくださって。私はふくろうが大好きでめいじろうをずっと欲しいなと思っていたので、名前入りでもらえて本当にうれしくて毎回持ち歩いています」
――この1年のレッスンを通じて教わったことや成長したところを教えてください。
「一番はスケーティングかなと思っていて、点数に出ているかは分からないですし、見た目で分かるかと言われたら正直分からないかもしれないですが、自分の中でどうやって滑るかなどは今まで考えたことがなかったですし、少ない力でどうやって滑るかというのは考えたことがなくて、それを一番最初から教わってきているのでそれが一番身に付いたかなと思います」
――ご自身の体感として滑りやすくなったというのはありますか。
「ケガして体力がなくて最後までもたせられるようなスケーティング、これまでなら押さなかったらその分だけスピードが出なくて、でもこがなければといった感じで負のループをしていたような気がするのですが、滑らせられるところで滑らせて、必要なところで体力温存するという力配分が少しうまくできるようになったのかなと思います」
――今まで出場した全日本の中で特に印象に残っている年の全日本を教えてください。
「高校3年から出場していて今年で5回目の出場なのですが、最初に出た全日本ですかね。小さい頃から憧れていた舞台で、クリスマスにリビングで見ていたテレビで、真央ちゃん(浅田真央)など本当に憧れの選手が出ていたり、フラワースケーターで出たり、いつか自分が出られるとは逆に考えたことがなかったような一番大きな試合だなという位置づけが小さい時にあって。その舞台にようやく立てる喜びを胸に、わくわくした気持ちで行って、そのとき後半グループに入れてもらえて、舞依ちゃん(三原舞依・甲南大大学院)と花織ちゃん(坂本花織・神戸学大)の後で、本当に盛り上がっていて、その年花織ちゃんが優勝していて、優勝者の後に滑るというすごい経験もできたし、これまで味わったことのない拍手や歓声で、その拍手と歓声で自分の体が浮き上がってしまうのではないかとずっとふわふわしたまま練習していました。緊張はもちろんしているけど緊張とはまた違ったようなものがあって、その感覚は今でも忘れられないですね。SP通過することができてFSもまとめることができて自分の中ではいい演技ができたかなと思います。新人賞も取ることができましたし、終始楽しかったという感想しかないです(笑)」
――今回の会場は東和薬品RACTABドームですね。
「初めて出た全日本がその会場だったので、最後の全日本をその会場で締めくくれるのは感慨深いものがありますしうれしいです」
――SPの見どころを教えてください。
「SPは今年で2年目になるので、構成はだいぶ落としてしまっていて自分の中では悲しいことではありますが、それ以上にスピンやステップで洗練とまでは言えないですが曲に溶け込んだスピンステップができているのかなと思いますし、ステップが好きで一番盛り上がるところでステップをして、振り付けもかなり好きなので、その部分を見てもらいたいなと思っています」
――FSの見どころを教えてください。
「構成がなんとも言えないのですが、曲の構成や移り変わっていく曲調が19年やってきたスケート人生を物語っていくような感じです。冒頭は始めたてのような高い音、途中で苦悩や壁に当たったような曲になっていて、後半でそこから解放されるような印象を与えられるので、19年のスケート人生を演技に込められたらなと思います」
――全日本の舞台でどのような演技をしたいですか。
「19年続けてきたスケートで、本当にたくさんの方々と関わってきたからこそ今の自分があると思うので、これまでお世話になった方々への感謝の思いやここまで続けてきたスケートへの思いが一人でも多くの方に伝わるような演技をしたいと思います」
――捻挫をした中で迎えた東日本を乗り越えたご自身に対して何か思うことはありましたか。
「思い返せば常にケガをしていたなと振り返る19年なのですが、いろいろな壁があって乗り越えてきたから今の自分がいるし、ここまで成長してこられたのかなと思います。最後の最後まで健康に安全に平たんにはいかせてはくれないのだなと思っていますね。もうこれ以上ケガしたくはないですし十分痛めつけられて十分壁が立っているので、そこを乗り越えてまた頑張るしかないですね。東日本は頑張ったということで、全日本もまた頑張ったと言えるように頑張ります」
――ここまでたくさんの壁を乗り越えてきたのですね。
「私はジャンプが好きなのでどうしてもジャンプにこだわってしまうところがあって、今年本当にこの構成でいくのかという葛藤があるのですが、できないものはできないですし、通過することとどちらを取るのかと言われたら通過する方を取るので、覚悟を決めてしっかりまとめようと思って。だから全日本は次こそはと思っていたのですが、そう思っていたところでケガをして、またやれることやるしかないとなってしまいましたね」
――全日本での目標をお願いします。
「感謝を込め、全力で楽しむことです。感謝を込めるというのは、全日本が日本で一番大きな大会ということもあってたくさんの人に感謝を伝えられる大会だと思うからこそそのように思っています。全力で楽しむというのは、昨シーズンの全日本のFSがかなり楽しくて、あまり試合で楽しいと思ったことがないと言うと悲しい話ですが、いつもジャンプに必死で楽しいと考えている余裕もない感じで。全日本という特別な舞台で演技の前に先生に楽しんできてと言われて、そのとき『確かに』と思い、楽しまなければと思ったのもあって楽しかったFSなので、今年も感謝を込めてそして楽しんで笑顔で終えられたらいいなと思います」
――全日本を見てくださる皆さまに向けてメッセージをお願いします。
「19年続けてきたスケートで、全日本という舞台が最後になってしまうのが寂しいのですが、19年続けてきた中で関わってくださった方々への感謝でしたり、スケートへの思いが一人でも多くの人に伝わるような演技ができたらなと思っています。頑張ります」
――ありがとうございました。
[守屋沙弥香]
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