
(162)【特別企画】韮山高・川口雅司監督インタビュー
この1年間、明大の主将としてチームをけん引してきた小澤大輝主将(政経4=韮山)。今回はそんな小澤の高校時代の恩師である韮山高校・川口雅司監督に、知られざる小澤の高校時代について赤裸々に語ってもらった。(この取材は11月22日にzoomで行われたものになります)
――小澤選手と出会ったのはいつですか。
「中学時代に何度か声掛けをさせてもらっていました。小澤の学区は一つとなりで、進学校で言うと沼津東高校の方が近いです。ですが、小澤のおじいちゃんが韮山高校出身だということもあり、韮山高校の存在は知っていたみたいですし、周りの子たちも成績のいい子が何人かいました。、法大に進学した河田や中大に進学した小木曽や大学では走ってないですが渡辺など、ちょうど4人3000メートルで全国大会に行った子たちが声を掛け合ってきてくれました」
――小澤選手はどのような主将でしたか。
「まず自分が引っ張っていく感じです。周りはもう少しのんびりやりたかったりするかもしれないけども、僕が『こうやってやるぞ』と言ったら他の部員にそれを伝えなきゃいけないし、他にも女子との関係や、短距離との関係もある中でバランスを取らなきゃいけないつらい立場だったとは思います。ですが、そんな中で努力して結果を出していくことで回りの子たちも理解してくれて『あいつに付いていけば大丈夫』といった信頼も生まれていたと思います」
――チームとして全国高校駅伝出場(以下、都大路)のために取り組んでいたことはありますか。
「うちは小澤と河田と小木曽の3人は14分10~30秒のエース格でしたが後は15分10~30秒程度でした。だから全員を集団走させることはとても難しくて。その子たちのペースに合った練習をしないと長距離は強くならないですが、かといって全員で同じ練習をしたら余裕のある者とない者が出てきてしまいます。その辺で両方をうまく補うためにはどうしたらいいかという工夫はしました」
――小澤選手は高校3年次の東海高校総体大会(以下、東海総体)で5000メートルで優勝されました。
「東海総体は3日間の大会なのですが、1500メートルが初日に、5000メートルは3日目にありました。小澤はスピードがあったので、1500メートルは全国入賞、5000メートルは全国出場を狙っていました。ですが、1500メートルは7着で全国には行けませんでした。本人も泣いて悔しがって僕も仕方ないなと思っていたのですが『このまま泣いて悔しくて、いつまでもぐじゅぐじゅしているやつとここで切り替えて明後日の5000で勝負するやつとどっちが(都大路で)勝つと思う?』と早く気持ちを切り替えさせて2日後の5000メートルに向けて調整させました。そうしたら、うまく流れの中で走った中で最後スパートを掛けることができて優勝できました。走り終わった後に『1500メートルで優勝すると駅伝に向けた距離練習を始める時期が遅くなるから、お前に1500メートルを捨てさせて都大路には行くためにそれしかないと神様も言ってくれたんじゃないか』ということを本人と話もして、いい意味で一つ切り替ることができたと思います」
――昨年度の箱根駅伝は4区で小澤選手と河田選手が走られましたがいかがでしたか。
「車の中で『河田来てるぞ』とか『小澤来てるぞ』とかお互いの監督が声を掛けてくれていたみたいです。(小澤は)ある程度突っ込んでいかなければいけない順位で(襷を)もらってしまい、本当はもう少しいい順位でもらってほしかったです(笑)。で、小澤はそういう性格だから(突っ込んだレースをするので)、そこを落ち着いて入れればもう少しいい結果が出たのかなと思います」
――最後にメッセージをお願いします。
「最後ですから主将としての思いも責任感もあるかもしれないです。ですが、最終的に主将の仕事は自分の区間でいい走りをすることだと思うので、最後の局面は自分で走ってうまく襷をつないでください。頑張ってください」
――ありがとうございました。
[菊地隼人]
第99回箱根駅伝まであと14日。
川口雅司監督の記事は12月22日発行予定の明大スポーツ第525号(箱根駅伝特集号)にも掲載します。ご購入フォームはこちらから!
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