(64)~road of 〝AHead〟~ 楢﨑海人「努力を続けて常に準備しておくことが大事」

2022.11.13

 「しっかり頂点だけを見つめる」。石田吉平主将(文4=常翔学園)が今年度のスローガン『AHead』に込めた思いだ。4年ぶりの大学選手権(以下、選手権)優勝という頂点の地へ。闘球に魂を込め、たくさんの汗を流した日々。4年生にこの4年間とラストシーズンに懸ける思いを語っていただいた。11月1日より連載していく。

  

 第11回は楢﨑海人(法4=筑紫)のインタビューをお送りします。(この取材は10月10日に行われたものです)

 

――明大に進学した理由を教えてください。

 「僕が入学する1年前に明治大学が日本一になった試合をテレビで見て感動してここでプレーをしたいと思ったからです」

 

――入部当初尊敬していた先輩はいますか。

 「1年次に同じ部屋の4年生だった松岡賢太選手(令2商卒・現コベルコ神戸スティーラーズ)がAメンバーに絡んでいて、その松岡選手と一緒にプレーをすることを最初は目標にしていました。あとは同じ筑紫高校の出身である山﨑洋之(令2法卒・現クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)選手もずっと憧れでした」

 

――4年間を振り返っていかがですか。

 「1年生から試合に出ることが目標でしたが、入学してすぐに前十字靭帯を断裂してしまって1年間リハビリに充ててしまいました。大きいケガが続いて思うようにはプレーできませんでした」

 

――ケガから学んだことはありますか。

 「ケガをしていても自分にできることはないかと探して常に何か行動していくことと、どうすればチームに携われるかを常に考えながら行動していました。常にチームと関われるに練習や試合の映像は必ず見るようにしていました」

 

――一番印象に残っている試合を教えてください。

 「初めて明治大学に入学して紫紺を着たのは昨年度の東海大学の試合だったのでそれは覚えています。ラストワンプレーで明治大学が逆転したのですが、そのフィールドの中にいられたことが印象に残っています」

 

――日体大戦で関東大学対抗戦デビューを飾りましたが、その試合を振り返っていかがですか。

 「日体大戦はバックアップメンバーに入っていて本来は試合に出ることができない状態でした。しかし直前でメンバーの選手がケガをしたこともあり、試合の始まる5分前にバックアップである僕が出場することになりました。急でしたが準備を万全にしていたことで試合に対応することができたかなと思います」

 

――寮での思い出はありますか。

 「僕は人見知りのところがあって高校までは寮生活などをやってきませんでしたが、4年間も過ごしてみれば人見知りの部分も解消されて常に周りに人がいることを好きになっていった気がします」

 

――今のチームの状態はどのように見ていますか。

 「去年までは試合に出ていた選手とそうでない選手の間で気持ちに差があったように感じていましたが、今年はそういうこともなくチームが一丸になっていると感じます」

 

――ルビコンで頑張っている後輩たちに伝えたいことはありますか。

 「僕の日体大戦での出番もそうですが、チャンスはいつ誰にめぐってくるか分からないので努力を続けて常に準備しておくことが大事だと思います」

 

――最上級生になって変わったことはありますか。

 「あまり僕は人前で話すタイプではなくプレーで引っ張るタイプの選手なのですが、最上級生になって練習や試合でも声を出したり、周りに指示を出したりすることが増えました。最初は人見知りだったのですが徐々にそういったことも言えるようになったことは成長だと思います」

 

――明大のファンの存在はどういった存在ですか。

 「明治に入って部員として試合を見させてもらって、初めてファンの大事さや偉大さに気付いた部分がありました。毎回試合があるたびに応援しにきてくださるファンの方々はとても力になっています」

 

――スローガン『AHead』に込めた思いを教えてください。

 「去年あと一歩のところで日本一を逃してしまい、あと一つを取りに行くという意味でも今年こそ日本一を取りに行きたいという思いを込めています」

 

――最後に意気込みをお願いします。

 「4年間あまり試合に出られず結果は残せていないですが、今年こそは試合に出て活躍して、そして明治の日本一に貢献したいと思います」

 

――ありがとうございました。

 

[牛嶋淳太郎]

 

◆楢﨑 海人(ならさき・かいと)法4、筑紫高、183センチ・101キロ

趣味はラジオを聞くこと。特にテレビプロデューサー・佐久間宣行さんがパーソナリティーを務める水曜日のオールナイトニッポンが一番好きだそう。