
(37)Roots〜〝今〟をつくる人、モノ〜 齊藤誉哉編
主将、副将のルーツを探る本企画。普段はチームのことや試合のことなどについて伺う機会が多いが、一体彼らの〝今〟はどう形成されていったのか。それを探るべく、今まで影響を受けた人やモノについてお話を伺った。
第2回は齊藤誉哉(文4=桐生一)のインタビューをお送りします。(この取材は8月16日に電話で行いました)
――今まで特に影響を受けたと思う人を3人教えてください。
「恩師である高校の監督である霜村(誠一・桐生一)監督と元ラグビー選手のトニー・ブラウン選手と吉平(石田主将・文4=常翔学園)です」
――霜村先生にはどのようなことを学びましたか。
「ラグビーをする前に、一人の人間としてどうあるべきなのかということが大事だという指導をしていただきました。桐生第一という看板を背負ってやっている以上、地域からも学校からも応援されるような普段の生活、高校生としての振る舞いという点を大事にすることの大切さを学びました。ラグビー部が率先して、地域や学校の行事に参加していましたし、そういう考え方は今も根強く残っています」
――ラグビーの面ではどのような指導を受けましたか。
「とにかくのびのびとラグビーをさせてもらいました。時折、厳しいことも言われましたが、自分のやりたいことをどんどんチャレンジさせてくださり、僕をここまで成長させてくださいました」
――霜村先生と会う前と会った後で変わったと感じる部分はありますか。
「そうですね。ラグビー選手としてはもちろんのですが、人間としてとても成長することができたかなと感じています」
――今でも霜村先生と交流はありますか。
「時々、高校に顔を出した時に世間話をしたりしています。今の活躍などもとても褒めて下さるのでとてもうれしいです」
――トニー・ブラウン選手を選ばれた理由を教えてください。
「僕がラグビーを好きになったのは保育園の頃なのですが、最初に好きになった選手がトニー・ブラウン選手でした。彼が所属していた三洋電機ワイルドナイツ(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)はとても地域との距離が近く、練習試合を見に行ったり、サインをもらいに行ったりもしていました」
――トニー・ブラウン選手のプレーが今の齊藤選手のプレーに影響を与えていますか。
「彼はスタンドオフだったのですが、とても体を張る人で、ラックにどんどん突っ込んでいく選手でした。自分はそこに憧れがありましたし、そのようなプレーは今でも身に残っています」
――石田選手を選ばれた理由を教えてください。
「僕が高校3年生で学校として始めて花園に出場した時に、吉平がいた常翔学園と対戦したのが最初の出会いです。その試合でも彼にトライを何度も取られましたし、やはり全国はすごいと思わされた選手でした。チームメートになってからも彼は、1年生の時からオリンピックを目指して、人一倍努力していましたし、そのような姿は同期として見ていたので、感化される部分がありました」
――チームメートとして石田選手の存在はどのようなものですか。
「やはり心強いです。ボールを持てば何かしてくれるのではという雰囲気がありますし、人間としても人望が厚く誰からも好かれる人間なので。あのような人間がチームを引っ張ってくれることは4年生としてはありがたいですし、彼のような人間が代表などを背負って、第一線で戦っていける人間なのだと感じています」
――今後、石田選手とはどのように付き合っていきたいですか。
「とにかく今年はあいつを胴上げできるように頑張りたいです。卒業した後も交流を続けていけたらなと思います(笑)」
――最後に関東大学対抗戦に向けての意気込みをお願いします。
「対抗戦開幕まで残り1カ月を切った状況ですが、福島合宿でチームのやるべきことやシステムの再確認ができ、チームとしていい方向に向かっていると思います。今までに積み上げてきたことを発揮できるように、いい準備をして臨みたいです」
――ありがとうございました。
[廣末直希]
◆齊藤 誉哉(さいとう・たかや)文4、桐生一高、180センチ・90キロ
取材の前日、大賀(宗志・営4=報徳学園)と中村(公星・情コミ4=国学院栃木)とカレーを作って主務の小林を含めて4人で食事。おいしかったが、主務の小林は何も手伝ってくれなかったそう(笑)
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