(93) ~playback~ 飯沼蓮(前半)「信じられる強いものを持っていればチャンスは来る」

2021.12.04

 「強い明治を取り戻す」。新体制発足時、飯沼蓮主将(営4=日川)はスローガンに込める意味について言及した。3連覇の懸かる関東大学対抗戦、そして日本一奪還に燃える全国大学選手権(以下、選手権)へ。紆余曲折を経て迎える最後のシーズン。4年生に明大での4年間についてとラストシーズンへの意気込みを伺いました。

 

 最終回は飯沼選手のインタビューをお送りします。(この取材は11月6日に行われたものです)

 

――ラグビーを始めたきっかけを教えてください。

 「正直自分ではあまり覚えていないです。親には3歳からと言われましたが、両親がともにラグビー選手で、お父さんは日川高校から筑波大学に進んでNEC(現NECグリーンロケット東葛)でやっていました。お母さんも女子ラグビーの日本代表とそういった環境で育ってきたので気付いたらラグビーを始めていました」

 

――明大を選んだ理由を教えてください。

 「伝統校で、勝つ文化があり応援してくれる人も多く環境も良かったからです。あと高校のFWが弱くハーフだったらFWが強い方がさばきやすいし自分が生きるかなと思って重戦車の明治に来ました。小さいころから見ていた早明戦や対抗戦への憧れもありました。(入部当初の目標は)スタメンを取ることです。福田健太(平31法卒=現トヨタヴェルブリッツ)さんがいるのは知っていましたがとにかく早く紫紺を着てスタメンに出たいという思いでした」

 

――入部当初尊敬していた人はいますか。

 「福田健太さんです。最初は勝つ気でいましたが、実際見たら高校と大学で準備からナレッジやスキルが高く違うスポーツと感じるほどでした。健太さんは本当にうまかったですしそこで目標になってしまいまずはこの人を見習おうとなった時点で勝負にならなかったと思います。本当に学ぶことが多くてずる賢いし相手の嫌なところに仕掛けたりスキをついたプレーをしたりそういったところは僕にはなかったところなので学びました」

 

――初めて紫紺をもらったときの心境を教えてください

 「1年次の春の東海大戦でしたが秩父宮だったのでとても緊張しました。健太さんの後に出番なのでプレッシャーがすごかったです。でもその試合は緊張と興奮が入り混じってアドレナリンが出て必死にやってアタックの面では持ち味を出せたと思えるぐらい良かったです。でもディフェンスのオーガナイズが分からなくて僕が入った後から点を取られました。意味が分からなかったので僕のせいではないと思っていたら澄さん(田中澄憲前監督・平10文卒)にそれお前のせいだぞと言われて学ぶことが多かったです」

 

――2年生でスタメンに定着できた要因はどこにありますか。

 「負けない気持ちです。明治は春になったら昨年の成績とか関係なく調子のいい選手が出てくるので、1年生の時にリザーブで出ていたとか関係ないので絶対に定着しないといけないなと思いU―20とかも断って明治に専念しました。フィットネスでも絶対に負けないという気持ちでやっていました」

 

――2年次の全国大学選手権で準優勝に終わった原因を教えてください。

 「勝てるだろうという心のスキ、早稲田にも1回勝っていて普通にやれば勝てるだろうというのが負ける要素を生み出したと思います。早稲田は勝つという強い気持ち、明治は勝てるだろうという気持ちでその時点でチャレンジャーではなくなっていました。スキがあったからやられてパニックしたしうまくいくことしか考えていなかったです。でもそれは今になってはすごく学べたことだと思います。(負けから学ぶことは)とても多いです」

 

――学生スポーツでメンタルの重要性は大きいですか。 

 「大きいです。プレーに現れます。心のスキがあったり相手に合わせて準備を怠ったりうまくいくことだけを想定していて実際の試合で想像通りにならなかったらパニックしてしまいます。そうならないために想像通りではないところまで準備をしようとか、たくさん準備をしたら試合中リードされても想定通りだねとなりパニックせずにラグビーできます。また今年のチームのように明治タイムなど何か信じる強いものを持っていれば最後そこを信じて戦えられれば絶対チャンスは来るみたいなことが大切です」

 

――3年次を振り返っていかがですか。

 「コロナになって特に龍雅(箸本・令3商卒・現東京サントリーサンゴリアス)さんは大変だったと思います。それは4年になって感じました。自分も同じ立場になってしかもコロナが初めての年で大変だっただろうなと思います。自粛になったので何をしようかなと思って体を大きくしようとして春はウエートして体重も2、3キロ増やしました。それでシーズンになったら絞って澄(田中前監督)さんにも2年生で経験してきたからより絶対的な存在にならなければならないし、3年生だけどチームのゲームを指揮する選手にならないと駄目だぞと言われました。2年の時は必死にさばいていただけでしたが、ゲームの流れを読んだりチームをコントロールしたりをより準備してやっていました。ハーフはリーダーのポジションなので発言する機会も増えましたし考える時間も増えました」

 

――ありがとうございました。

 

[牛嶋淳太郎]