
(86)~playback~ 大石康太(前半)「常に上のチームに上がるために何が自分に必要なのかを考えた」
「強い明治を取り戻す」。新体制発足時、飯沼蓮主将(営4=日川)はスローガンに込める意味について言及した。3連覇の懸かる関東大学対抗戦、そして日本一奪還に燃える全国大学選手権へ。紆余曲折を経て迎える最後のシーズン。4年生に明大での4年間についてとラストシーズンへの意気込みを伺いました。
第24回は大石康太(営4=国学院久我山)のインタビューをお送りします。(この取材は10月29日に行われたものです)
――国学院久我山高では主将を経験しました。
「中学校の時は自分からやりたいと手を挙げて、高校では監督から頼むと言われた感じです。中学校からやっていたというのと高2から試合に出ていたということもあって、代のリーダー的なことはやっていたので、元々そういったまとめることは感覚的にはやっていました。心の準備はできたという感じですね。ただそういった幹部に慣れているとかそういったことではないです。自分なりにやっていたら、おのずとリーダーになっていたという感じです。だから、リーダーシップの質問をよくされますが、あまり答えられないです(笑)」
――国学院久我山高の土屋監督から教わったことを教えてください。
「私生活をしっかりした上でラグビーやろうという基本的な部分を教えてくださったのが土屋先生でした。土屋先生には本当に考えさせられました。あまり口数が多い先生ではなく、スキルとかそういったことも言わない監督でした。春シーズンは代に任せて、秋シーズンに近づくとアドバイスを徐々にしてくれる人でした。とにかく考えさせられました。ラグビーをする上で自分たちが考えながらすることが一番大切だと今も感じています。大きな試合の前とかは普段、声を荒げない方ですが、選手なんじゃないかぐらい鼓舞してくれて、多分一番先生が負けず嫌いだったと思います。何よりも選手を誰よりも見ている先生でした」
――花園ベスト8を振り返っていかがですか。
「日本一という目標を掲げて必死に練習していましたし、花園の時はチームでやりたかったラグビーがうまくはまって良かったという点もあれば、自分たちのラグビーを貫こうとするあまり、最終的には自分たちでやりたかった舞台(決勝)ではできなかったです。一生懸命やっていた中で、視野が狭くなっていたところもありましたし、この年で若さとか言いたくないですが、まだまだ若かったですね。自分たちのラグビーを相手にぶつけて優勝目指していこうという感じでした。結果はベスト8でしたが。同期とは今でも負けた試合のことを話します。自分的には練習をサボったわけでもないし全力でやってきた中での結果だったので、悔いはなかったです。次に向けて良い財産になったと感じていました」
――明大を選んだ理由を教えてください。
「自分が明治に行きたいと思った理由は自分に足りないと感じていた前へ出るところを明治大学が大事にしていたからです。明治に進学して、自分の足りないところを補いたいと思っていました」
――実際に明大に入って感じたことはありましたか。
「同期は最初、よそよそしかった気がします(笑)。雲山(弘貴・政経4=報徳学園)や児玉(樹・政経4=秋田工)であったり、同世代でも高い能力を持った選手が多かったですが、特にそこは意識しませんでした。紫紺を着られるかどうかは正直分からなかったです。自分がどのレベル感でやれるのかも分からなかったです。ただ入って分かったのは圧倒的にフィジカルが足りないことでした。求められていることができず、その期待に応えることができない自分がいました。チームとのギャップに苦しんだ期間もありました。練習の強度も自分たちで高め合っているところに高校との違いを感じました。特に印象に残っていることはキャリー練習の時に、松尾将太郎(平31商卒・現NTTコミュニケーションズシャイニングアークス東京ベイ浦安)さんが対面で相手に来たときに、引いて勝負できなかったことです。自分が憧れていた選手と同じフィールドでやるというマインドを持ち合わせていなかったです。勝負しにいってなかったところは振り返るともったいなかったと感じています。同じチームメートというよりはヒーローがいるという感覚でした」
――印象に残っている試合を教えてください。
「2年次の帝京大のC戦です。ジュニアが大敗して、自分はCでしたが、Cは勝てたんですよ。あの時は個人的にもチーム的にもいい内容で、上のカテゴリーは負けましたが下で勝ったということで、アピールできた試合でもありました。明治の2敗を抑えられたという意味でも良かったですし、ルビコンにいた人たちで試合に勝てたことはやっていることは間違いじゃないということを確認できました。自分が明治で出た試合で勝てた試合で初の試合ということもあったので、印象的です」
――ルビコンが続く中、意識していたことはありますか。
「ポジションがフッカーの時からフィジカルが課題というのは分かっていました。試合に出ている同期に対しては『なんであいつが出ているんだ』とかは全く思わなかったです。常に上のチームに上がるために何が自分に必要なのかを考えて、ウエートトレーニングを毎日行ったり、Aチームの試合や練習を繰り返し見たり、自分に足りないものをいかに練習時間以外で補えるかどうかにフォーカスしてやっていました」
――Aチームに選ばれない中でも努力し続けられた理由を教えてください。
「今でもそうですが、自分が間違ったことをやっていると思わなかったです。試合に出られないからといって、腐って、後で何が残るだろうと考えていましたし、2年、3年生でもまだ来年、再来年があります。冬はルビコンの試合も少ないのでメンタル的につらいところはありますが、自分の軸をしっかり持って来年のために今はこれをやらなければいけないというのが明確だったので腐ることはなかったと思います」
――ありがとうございました。
[内山嶺]
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