(85)「ラグビーはばかでもできるが、ばかでは勝てない」 国学院久我山高・土屋監督インタビュー

2021.12.03

 今年度副将に抜てきされた大石康太副将(営4=国学院久我山)。大石が尊敬する人にも挙げる、国学院久我山中学高校時代の恩師・土屋謙太郎監督にお話を伺った。

 

――大石選手が高校3年次には全国高校ラグビー大会(以下、花園)でベスト8でした。

 「生徒が頑張ってくれたからです。決してスーパーな子たちがそろっていたチームではなかったと思います。それぞれ特徴を持った子たちが組み合わさり、その中心には大石がいました。大阪桐蔭高に負けてしまいましたが、最後にトライを取ったのは大石でした。強いチームではなかったかもしれないですが、バランスの取れたチームだったと思います」

 

――印象に残っているエピソードを教えてください。

 「人前で弱みを見せない子で、花園で最後に負けた時のインタビューや新聞の取材はしっかりしていました。それが終わって、みんなが待つロッカールームの暗いところでは動けなくなってしまいました。負けてしまって自分の役割が終わり、感情的になった場面でした。あまり感情的な面を見たことがなかったので、スタンドの下の冷たい通路でぽつんと突っ立っている姿は印象に残っているかもしれないです」

 

――大石選手がチームに与えていたものを教えてください。

 「存在感です。彼の言う通りにしていればとりあえず間違いないというような安心感がありました。度量の大きさといったら大げさかもしれませんが、幅を持って人に接していたと思います」

 

――ラグビー以外での印象を教えてください。

 「基本的に勉強はしっかりしていたと思いますよ。成績で困ったりしたことや、宿題を忘れたため練習に来ないとかそういうことはなかったと思いますね。本人のためにもそういうことにしておいてください(笑)」

 

――現在でも連絡はとっていますか。

 「休みができると高校の練習に顔を出したいと連絡がきます。高校の子たちにアドバイスをしてくれます。副将就任が決まってからも2回くらい来てくれました。他に遊びに行くところはないのかよって言いますね(笑)」

 

――明大に進学が決定した時の心境を教えてください。

 「らしくないなと思いました。彼はチーム事情もあって、高校2年次はフッカーで、3年次はナンバーエイトで出ていました。大学進学を考えたときはエイトではなくフッカーでということで明治にお世話になりましたが、明治のフロントローのように100キロあるわけでもないです。明治のナンバーエイトいうとボールを持つと有無を言わさず行くという鬼のようなイメージがありました。選手としてはいい選手だと思いますが、明治っぽい選手かというとそうではないと思っていました」

 

――大石選手の持ち味を教えてください。

 「視野が広いことです。相手のスキを見逃さず、流れの中での判断の精度が高い選手です」

 

――土屋監督から考えるラグビーを教わったと言っています。

 「僕の口癖で、僕に教わった人はみんな知っていると思います。ラグビーはばかでもできるが、ばかでは勝てないとずっと言っています。練習環境を考えても朝練はやってはいけないなど、無駄をなくして工夫せざるを得なかったです。中学の時もヒントを与えて、やりたいことをやらせていましたが、方向性が変わったり違う方に行くと止めたりします。そこに正解はないですが、こうした方がいいよという理屈づけをしないと納得しないです。僕が納得できるような理屈づけをできるような工夫を彼らはしてきたと思います」

 

――ありがとうございました。

 

[豊澤風香]

 

土屋 謙太郎(つちや・けんたろう)