
(77)~playback~ 児玉樹「一つ一つの苦しかったことが自分の成長につながっている」
「強い明治を取り戻す」。新体制発足時、飯沼蓮主将(営4=日川)はスローガンに込める意味について言及した。3連覇の懸かる関東大学対抗戦、そして日本一奪還に燃える全国大学選手権へ。紆余曲折を経て迎える最後のシーズン。4年生に明大での4年間についてとラストシーズンへの意気込みを伺いました。
第21回は児玉樹(政経4=秋田工)のインタビューをお送りします。(この取材は10月20日に行われたものです)
――ラグビーを始めたきっかけを教えてください。
「保育園の時に友達に誘われたことがきっかけです」
――明大を選んだ理由を教えてください。
「僕が高校生の時は帝京大学が強い時期で、9連覇した時でした。それで帝京大学を倒せる大学はどこかを考えた時に早稲田や明治という選択肢がありました。僕の1個上の猿田(湧・令3営卒・現横浜キヤノンイーグルス)さんも明治に行って、僕と入れ替わりで梶村(裕介・平30政経卒・現横浜キヤノンイーグルス)さんも明治に行っていて、明治に引き付けられるものがあったので明治にしました」
――4年間で苦しかった時期はありましたか。
「正直、順風満帆な時期はなかったと思っています。1年生の時は仕事が大変だったし、高校生まではレギュラーは当然という環境でやってきたのですが大学に入ってからは高いレベルでスタメンに入れないということが多かったです。2年生の時は開幕の直前に大ケガをしてしまって、シーズン終了間際まで戻ってこられないことがありましたし、3年生の時はコロナの影響でチームに合流できなくて自分自身のコンディショニングが難しいこともありました。今までずっとうまくやってこられたことはなくて、一つ一つの苦しかったことが自分の成長につながっていると思います」
――4年間で印象に残っている試合はありますか。
「二つあって、2年生の時の選手権の早稲田との決勝と去年の対抗戦の最終戦の早稲田戦がすごく印象に残っている試合です」
――どうしてその二つが印象に残っていますか。
「2年生の時は、新国立競技場という素晴らしいところでできたことがうれしかったです。それまで早明戦の経験がなかったに等しかったのですが、あんな素晴らしい舞台で試合に出させてもらえたことがうれしかったし、30分くらいの出場だったのですが自分の持っている力を出せた試合だったので印象に残っています。去年の対抗戦の早稲田戦に関しては、それまでチームの状況的には慶應に負けて、その次の帝京戦は勝てたけど試合の入りが悪くて後半に上がっていくという感じでした。ですが早稲田戦は80分間すごくいい試合ができたと思うし、状態も良かったです。自分自身も80分出させてもらったことがすごくうれしくて、自分がグラウンドに立てた状態で2連覇を果たすことができたので印象に残っています」
――今の4年生の雰囲気はいかがですか。
「ルビコンとペガサスで分かれているのですが、一緒に練習できない時間というのはあります。チームの雰囲気としてはすごくいいとは言えませんが、自分の思っていることを言い合えたり、こうしたほうがいいんじゃないかという意見交換の場は設けられたりしているので、そこでは一人一人が意見を言えるので思っていることは伝えていると思います」
――ラストシーズンが始まりました。
「僕自身、ケガが続いていて思うようにできているかって言われたらはっきりとは言えません。ですが焦るとかそういう気持ちは全然なくて、自分の置かれている立場を理解して、Aチームと練習する時は倒すくらいの気持ちで練習できていると思います。その中で自分のパフォーマンスを徐々に上げていけば、それがチームの底上げにもなると思うし、個人的にもそれがシーズン終盤で自分が試合に出る時間が多くなればそれはそれですごくいい事だと思います。今試合に出られないことを焦るのではなく、目の前にあることを頑張っていきたいです」
――最後に意気込みをお願いします。
「1番大きな目標として日本一という目標があると思います。そのために一日一日の練習で日本一の練習ができたかとか、ミーティング一つにしても日本一のミーティングができたかというそういうところにこだわっていけば結果はついてくると思います。その積み重ねがあれば3年ぶりの日本一という結果も見えてくると思うし、今自分ができることをしっかり確認しながらやっていくことが大事だと思うのでそこを徹底してやっていけたらと思います」
――ありがとうございました。
[宇野萌香]
◆児玉 樹(こだま・いつき)政経4、秋田工高、192センチ・102キロ
生まれた時から大きく、小学生の頃は周りより頭一つ抜けるくらいだったそう。
また、ハーフっぽい顔立ちだが「純日本人です(笑)」。
関連記事
RELATED ENTRIES