
(63)~playback~ 宮崎航瑠「〝MEIJI PRIDE〟を下の世代に伝承していきたい」
「強い明治を取り戻す」。新体制発足時、飯沼蓮主将(営4=日川)はスローガンに込める意味について言及した。3連覇の懸かる関東大学対抗戦、そして日本一奪還に燃える全国大学選手権へ。紆余曲折を経て迎える最後のシーズン。4年生に明大での4年間についてとラストシーズンへの意気込みを伺いました。
第14回は宮崎航瑠(商4=札幌山の手)のインタビューをお送りします。(この取材は10月22日に行われたものです)
――明大に入った理由を教えてください。
「強いチームへの憧れみたいなものはあまりありませんでしたが、一個上の繁松哲大(令3政経卒・現NTTドコモレッドハリケーン)さんが高校の時に一緒に活動していたので、そのような先輩がプレーをしているのを見て、自分も行きたいと思い入学しました」
――目標にしていた先輩はいましたか。
「繁松さんはポジションが違うので目標という感じではありませんでしたが、とても尊敬している憧れの先輩でした」
――部での思い出を教えて下さい。
「出場はしていませんが、1年生の時に札幌ドームで帝京大と試合があり、その試合に勝ったことがとても印象に残っています。地元の札幌ドームで初めてやった試合だったのでとてもわくわくしましたし、その時の帝京大はずっと連覇しており、その強いチームに勝ったのが、自分が入った明大ということでとてもかっこよくて印象に残っています」
――寮生活の思い出を教えて下さい。
「何か一つ大きな思い出があるというわけではありませんが、常に誰かがいるのでそれは楽しいといつも感じていました」
――出場した試合で記憶に残っている試合はありますか。
「自分はずっと下のチームでプレーしていて、あまり上のチームに絡んでいないので出ている試合自体が少ないです。そのため、出場した全ての試合を一個一個大事にしていたので、出ていた試合は全部記憶に残っています」
――チームの状況はいかがですか。
「コロナの影響ですごく縛られる環境になってから2年目になり、ラグビーで優勝するためにたくさんのチームと戦わなければならないですが、いつもなら無いような病気との戦いということもあり、みんながぎくしゃくしそうになることも多いです。しかし、それを4年生は話し合ってまとめることにより一丸となって頑張っていると感じます」
――後輩に伝えたいことはありますか。
「やはり周りの選手たちは絶対に強いです。その中でびびってしまうと試合に出ることができなくなってしまうので、自信のある部分はしっかりやっていくということが大事だと思います」
――正直、苦しかったことはありましたか。
「1年生の頃から自分はずっと下のチームにいたのですが、やはり一緒にずっとやってきた同期がだんだんと上のチームに行き、何で自分だけまだここにいるのだろうと思いすごくつらく感じていた時はありました。しかし、上のチームに行く選手は表には出さないですが努力をしていました。その姿を見て自分も見習わなければならないと思い、ここまでやってきました」
――4年生になって成長した点はどんなところですか。
「昔と比べるとやはり人のことは考えるようになりましたし、4年生になってからは後輩のことを今までよりも考えるようになりました。また、自分のできることを相手もできるわけではないのでそれをどうすれば上手く伝えればいいのかということは寮生活などを通して考えるようになりました」
――改めて宮崎選手にとって、〝MEIJI PRIDE〟はどういった意味がありますか。
「明大の最上級生として1年生の時から見てきた明大のスクラムの強さや他の部分での強さというものを見せていかなければいけないですし、後輩に教えていかなければいけないという意味を持つ言葉だと思います」
――今後の意気込みを教えてください。
「自分は下のチームにいて後輩と関わることが多いので、後輩ができないということを自分たちが教えていくこととその教えていく過程で〝MEIJI PRIDE〟というものをしっかりと下の世代にも伝承していければと思います」
――ありがとうございました。
[廣末直希]
◆宮崎 航瑠(みやざき・わたる)商4、札幌山の手高、180センチ・106キロ
趣味は一眼レフのカメラで写真を撮ること
関連記事
RELATED ENTRIES