(21)「人として成長しているところを見られてうれしかった」田中澄憲監督退任インタビュー②

2021.06.02

 明大を復活させた名将が退任した。5月31日をもって、田中澄憲監督(平10文卒)が退任。ヘッドコーチに就任した2018年度は全国大学選手権(以下大学選手権)で準優勝。続く19年度には22年ぶりの優勝を成し遂げた。今回は偉業を果たした田中監督に明大での4年間を振り返っていただいた。6月1日より全3回で連載する(この取材は5月12日に行われたものです)

 

――コーチ経験がない中で監督に就任されました。

 「もちろん経験があった方がよいですが、コーチ経験があって何も学んでいなければ何も意味ないです。コーチ経験がなく、ここでヘッドコーチをやりましたが、僕がラッキーなのはサントリーで優秀なコーチと働いていたことです。良い見本、考え方を勉強させてもらったので、あとは自分が実践するだけでした。何でもそうですが、最初はまね事から始まる。まね事から始まって自分流に変えていく、アレンジしていく。勉強していくという意欲が出てきました。監督というのはコーチとは違います。難しさもありますが、経験がないから結果を出せないか、経験があるから結果を出せるかは違います。やってみて分かったのはもちろん経験も大事ですが、経験だけじゃ結果は出せないと感じました」

 

――監督をやる上で、サントリー時代の営業の経験は役立ちましたか。

 「それは非常に大きいです。僕は営業をやっていたので、営業は売り上げと言いますが、売り上げを上げるのに販促費、1万円の利益を出すのに10万円使ったら意味がないじゃないですか。そういった視点は営業をしている時に培われましたし、クラブ運営の時に現場での強化グループ運営のお金管理を任せてもらいました。そこで、何にお金がかかるか、こういったお金を抑えられるのではないかという大きいところの視点。何にお金がかかるのかは、どの組織行っても変わらないですが、抑えられるものというのは大体同じです。そういったところに着眼していくと、もっとできることがたくさんありました。企業ではないので、もうけだしたら意味がないですが、ただ余力というか腰を据えた状態で運営ができる、お金のことを常に気にして運営するのはとても大変です。来月の支払いどうしようかな、来月のスタッフの給料を払えないなと考えていたら、優勝なんてできません。こういったお金が余っているから、こういったコーチを呼べるかもしれない、こういった機材を買って選手に良い刺激を与えられるかもしれない。選手が成熟できる環境のためにはやはりお金は必要ですから、そういったところはできたのではないかなと思います」

 

――選手たちから教わったことはありますか。

 「教わったことは、特に大学の4年間は成長スピードが速く、1年生と4年生では全然違って少年から青年になります。彼らにはきちんと向き合って粘り強く話していけば成長していくなということを感じました。講演をする際に、社会人、管理職の人が若手の育成、扱いが難しいと話をされるのですが、確かに世代ギャップがあって難しいのかもしれません。ただ、世代ギャップということは仕方がないです。今の子は生まれたときからスマホが使える。俺らのときは何もなかったです。ですが、人間という根本は変わらないので、どう接するのがいいのではなく、やるかやらないのか。その人のことを真剣に向き合って成長させたいかということだけだと思います。任せすぎるというのは大学生の間では難しく、毎年同じことの繰り返しということです。その押すところと引くところのあんばい、感覚をつかめるようになったかなと思います。ある意味幅広い、優秀な社会人としか付き合っていなかったのが、鼻垂れ小僧ばかりの集団、彼らと付き合うことで幅広くコミュニケーションを取れるというか、入り込める。そういったところが成長させてもらえたなと思います」

 

――印象深い人、思い入れがある人はいらっしゃいますか。

 「各世代のキャプテンは深く関わってきたので、思い入れというのがありますし、キャラクターが違います。古川満(平成30商卒・現トヨタ自動車ヴェルブリッツ)は、みんな行くぞというお父さんみたいな存在でした。梶村祐介(平成30政経卒・現サントリーサンゴリアス)がお母さんみたいに口うるさくやっていく雰囲気でした。福田健太(平31法卒・現トヨタ自動車ヴェルブリッツ)は賢かったけどやんちゃで、選手としては素晴らしかったし、天真らんまんというキャラクター。彼が最後自分を変えていった、本音をさらけ出して4年生がまとまって、優勝という結果に持っていったことは素晴らしかった。武井日向(令2商卒・現リコーブラックラムズ)に関しては非の打ちどころがないキャプテンで、人間的にも素晴らしくてプレーも素晴らしくて、だからこそ勝たせてあげたかったなと思いますし、彼は社会人になって経験を生かすと思います。昨年度の箸本龍雅(令3商卒・現サントリーサンゴリアス)はコロナで本当に大変だったと思います。その中でも悩んで、歴代の主将の中で一番悩んだはずです。最後、天理に準決勝で負けましたが、同じ立場だったら気持ちが分かるというか、日本一までの欲にたどり着けないくらい疲弊していたのではないかと思います。自分でもっとそこをサポートはできるところはあったのではとも思いますし、かなり1人で背負っていたのではないかと思います」

 

――主将以外にはいかがですか。

 「あとは本当に印象に残っているのは、駄目だったやつです(笑)。良いやつよりも駄目だったやつ。駄目だったやつが変わっていくというか、『なんで明治にいるのか』という人が変わって成長していって、社会人になって会ったら本当に立派になって、大人になったと思います。そのため駄目だったやつが成長するのは一番印象に残っています。(直近だと)多田充裕(令3営卒)というスタッフです。彼は1年生の時に選手で明中から上がってきて、選手としては本当にひどかった。彼も大変だったと思いますが、一年終わって選手としては厳しい、スタッフに転向するということになりました。それでも最初は厳しかった。寝坊で何回遅刻したかなと。それが3年生になって少し変わって、4年生になって本当に変わって、誰よりもラグビーのことを知っていて、笛を吹かしてもしっかり指摘する、声も張る。学生スタッフをする人は1年生と4年生で全然違う、みんな良くなります。トップリーグだとまた違うかもしれませんが、学生指導していてやはり嬉しいのは勝つこともそうですが、人として成長しているところを見られてうれしかったです」

 

――印象深い試合はありますか。

 「やはり勝てばうれしいし、負けたら悔しいというところでしょう。印象に残っているのはやはり早稲田に負けた2019年の時です。もう一度やれと言われたら一番やりたい試合です。ああいった試合が印象には残っています。日本一になったことも学生がとても喜んでいたことは見られてよかったし。いろいろな幅広い思いをさせてもらいました」

 

――八幡山合宿所には常に通いでした。

 「きつかったです(笑)。きついスケジュールでした。そこはただもうやる以上はきついというよりはルーティンでした。普通の生活に戻ったときに朝、目が覚めちゃうかもしれませんね。濃い日々でした」

[田中佑太]

 

◆田中 澄憲(たなか・きよのり)平10文卒

ヘッドコーチ1年間、監督として3年間指導。在学時には監督不在の中主将を務め、チームを大学選手権準優勝に導いた。卒業後はサントリーサンゴリアスに在籍。2005年には7人制日本代表に選出、15人制日本代表キャップは3。2010年度に現役引退し、12年度からサントリーサンゴリアスのチームディレクターに就任。18年度には監督就任1年目にして明大を22年ぶりの大学日本一に導いた。