
(51)~highlight~ 遠藤孝一「スクラムには命を懸けて、4年間やってきた」
「一人一人、一つ一つ」。新体制発足時、箸本龍雅主将(商4=東福岡)はスローガンの込める意味について言及した。連覇の懸かる対抗戦、そして日本一奪還に燃える大学選手権へ。紆余曲折を経て迎える最後のシーズン。4年生が〝イマ〟見る景色とは――。
第3回は遠藤孝一(法4=国学院栃木)のインタビューをお送りします。(この取材は10月28日に行われたものです)
――明大での4年間を振り返って、どのような4年間でしたか。
「あっという間だったという人もいると思うのですが、自分はあっという間ではなかったと思います。本当に充実した4年間だったと思います。1年1年、1日1日が濃かったなと感じています」
――Aチームで数多く出場することはかないませんでした。
「すごく悔しいです。高校まで良い位置にいたというか、大きな挫折をせずに大学に入りました。1年生で入ったときにこのままではだめだなと思いつつ、結局今も試合になかなか出られなかったという悔しさは強くあります」
――明大に進んだきっかけはありますか。
「だいぶ上の先輩で塚原(巧巳・平29政経卒)さんという方が、国学院栃木の先輩で明治に進んで、すごく尊敬していました。1つ上の主将だった武井日向(令2商卒・現リコーブラックラムズ)さんも高校から一緒にやっていて、日向さんが明治に行くと決めたときにこの人に付いていきたいなと思ったことがきっかけです。中1くらいの時から明治のラグビーには憧れがあって、明治でやってみたいという気持ちは持っていました」
――プロップのポジションに強いこだわりはありますか。
「スクラムのこだわりは相当強くあります。高校の時から僕はスクラムだけで来たというか、スクラムには命を懸けてやってきたので、誰にも負けたくないという思いは持っています」
――4年間で印象に残る試合はありますか。
「1つは、初めて紫紺を着られた3年生の春の法大戦です。初めて紫紺を着られて、すごくうれしかったことを覚えています。親が見に来てくれて、短い時間だったですけど、スクラムでペナルティーを取れたり、楽しい時間でした。それにつながる試合で、春の東海大B戦で途中出場した時に、スクラムを僕がしっかりと押して、スクラムを評価していただいた試合も覚えています。その次の試合の帝京大B戦では、初めてB戦でスタートで出られて、安定したスクラムを組むことができました。苦手だったフィールドプレーも上手くいって、それがきっかけでAチームに上がることができました。3年の春のその3試合はとても印象に残っています」
――11月に入り、シーズンは佳境に入りました。
「置かれている立場で全力を尽くすことが第一です。ルビコンでFWリーダーを任せていただいているので、その役目を全うできるようにしたいです。上のチームも下の頑張りを見て、より頑張ってくれると思います。出られない人の分まで、上が頑張ろうと思えるようにチームを盛り上げて、やっていきたいと思います。自分は最後の決勝のメンバーが発表されるまで全く諦めていないので、諦めないということを1番に置きつつ、置かれている状況の中で全力を尽くします」
――遠藤選手にとってスロ-ガン〝One By One〟とはどのような意味ですか。
「一つ一つ、先を見ずに目の前にある相手を倒すことです。そのためにも一つ一つの練習を意識してやっていくことが大切だと思います。一人一人の気持ちを合わせて、最後までやり抜こうと思います」
――ありがとうございました。
[上松凜助]
◆遠藤 孝一(えんどう・こういち)法4、国学院栃木高、181センチ・110キロ
全学年に在籍する国学院栃木高出身者。以前には後輩の福田陸人(法3=国学院栃木)選手、中村公星(情コミ2=国学院栃木)選手をご飯に連れて行ったそう。下級生のころは先輩によく連れて行ってもらったとのことで、〝国栃会〟の伝統が受け継がれている
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