
(8)~J1・川崎フロンターレ戦直前特集~ 山本紘之アナウンサーインタビュー
第3回目は、明大サッカー部OBで現日本テレビの山本紘之アナウンサー(平23政経卒)の特別インタビューです。(この取材は6月26日に行われたものです)
山本アナは、かつて大学勢として史上初のJ1チームを撃破した2009年の天皇杯3回戦・対モンテディオ山形戦(〇3―0)にFWでスタメン出場。後半13分に値千金のゴールを決めチームを勝利に導いた。そのゴールは同大会を象徴するゴールに選ばれ特別賞として「SURUGA I DREAM Award」を受賞。ジャイアントキリングを起こしたとしてサッカー界の歴史に刻まれた。現在はアナウンサーとして活躍するなかで、合間を縫っては明大サッカー部の応援に駆けつける。今回は「卒業しても愛着のある場」である明大サッカー部の現役時代のエピソードと、川崎フロンターレ戦への期待をうかがった。
――山本アナが活躍した天皇杯・モンテディオ山形戦に臨む当時の心境は緊張感と楽しみな気持ちどちらが大きかったでしょうか。
「ワクワクでした。明大のサッカーを見せてやろうと思って臨みました。山形戦でのゴールは練習でもしたことなかったです。チームメイトもびっくりするくらいのゴールでした(笑)。今までやったことないようなパワーが引き出される舞台っていうのが天皇杯だと思うし、大舞台ならではの緊張感とワクワク感が自分の力以上のものを引き出してくれたと思います」
――1年時も天皇杯に出場されましたが、その当時の心境はいかがでしたか。
「日本平の緊張感や雰囲気はいまだに忘れられません。3年生の時はワクワクだけど、1年生の時はドキドキって感じですね。今でも鮮明に覚えています。岡崎慎司選手と競り合ったりして、大きく成長させてもらいました。まさか出られると思っていなくて、出たのは偶然というか理由がありました」
――どのような理由があったのですか。
「試合の前の週に国士大とのリーグ戦があって、ピッチが土砂降り明けでぐちゃぐちゃでした。なかなかパスを回せない中、山本をロングボールでとにかく走らせとけばいいんじゃないかという監督の判断でスタメンになりました。案の定ロングボールの戦いやセットプレーが多くなって、その試合ヘディングで2点取りました。それで、翌週にあった天皇杯の清水エスパルス戦のスタメンに起用されました」
――大学卒業後、アナウンサーという道を選んだのはなぜですか。
「広い世界を見たいというのが一番の理由です。サッカー界で極めるのも一つですが、もしアナウンサーになれたら自分はどんな経験ができるだろうなと想像をしました。10年後にどんな自分がいるかなと描いたときに、アナウンサーになることを決断しました」
――卒業した今でもサッカー部の試合を観戦にいらっしゃっていますね。
「今の明大がどういうサッカーをするのか気になるのと、愛着があるからです。毎年、選手を一から覚えて、今のプレーいいなとか、いい選手だなと発見することを楽しみにして観に行きます」
インタビューに応じる山本アナ
――川崎フロンターレとの対戦が決まりました。
「率直にうれしいです。なかなか普段のリーグ戦だと『こんなに活躍しているのに、こんなにうまい選手たちがいるのに』それが世の中に伝わらない。これは僕自身も経験しましたが、天皇杯は大学生たちの凄さ、技術が世の中に知れ渡るチャンスです。だからこそ、後輩たちには思い切り戦ってほしいと切に思います」
――先輩として選手たちに期待することを教えてください。
「とにかく勝ってほしいです。どんな試合展開になってもいいから、川崎フロンターレに勝つという結果を求めて頑張ってほしいです」
――実力差がある中で、勝利するために必要なことを教えてください。
「どうだろうな、まずやってきたことを100パーセント出すことですね。挑戦者なので、とにかく勝てるという強い気持ちを持って戦ってほしいです」
――選手たち自らがキャンパスでチケットを販売するなど盛り上げる活動をしています。
「今回本当にいいことは、学生が観に来られる等々力で試合ができるってことですね。僕たちは会場が山形でしたから。こんな機会はめったにないので、学生はぜひ観に来てほしいです」
――最後に、選手たちへエールをお願いします。
「勝って番狂わせを起こして、日本中に明大が強いということを示してほしいです。頑張ってください!」
――ありがとうございました。
[浅野拓磨・木田諒一朗]
◆山本 紘之(やまもと・ひろゆき)1988年生まれ。千葉県出身。平23政経卒。現役時代のポジションはFW。出演番組は「news zero」、「Going! Sports&News」など
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