
(23)ルーキー特集 第2弾 ~山隈太一朗編Ⅲ~「ジュニアからシニアへ」
毎年恒例のルーキー企画も今年で3年目。今年度のルーキーたちはかつてないほど強者ぞろいで、ファンの期待も高まっていることだろう。2人目は兵庫県から上京を果たした山隈太一朗(営1=芦屋国際)。今年度は全日本選手権で最終グループ入りを目指し、飛躍が期待される。
(この取材は3月11日に行われたものです)
――高校2年次の全日本ジュニア選手権をきっかけに奮起したのですか。
「あの全日本ジュニアがあったからと言われれば確かにそうです。あれがなければと思うことがあるのですけど、それ以上に転機となった試合は全日本ジュニアではなく、自分の中では今年あった近畿ブロックです。今年シニアに初めてあがったのですけど、変なプライドを持ち続けていたので、いつも惜しいところで負けていました。シニアに上がって初めての近畿ブロックで、それまでは結構ミスをしてもジュニアの世界では2位とかだったんですけど、近畿ブロックではボロボロで7位だったんです。近畿ブロックで7位って、人生でとったことがなくてすごくショックでした。人生で感じたことのない危機感を覚えて、このままじゃ本当に選手として終わってしまうと本気で思った試合でした。」
――ジュニアからシニアにあがるのに不安はなかったですか。
「正直自分では考えてなかったのですが、林祐輔先生が初めて僕に上がらないかと言ってくれて、その時にはっきりと思ってたわけではないですけど、ジュニアの世界が自分にとって息苦しくなったので、そろそろ世界を変えなきゃいけないというタイミングだったかなとは思います」
――どんなところが息苦しかったのでしょうか。
「自分が一番上になって、一番上になったのに成績で下の子たちに負けていて、下の子に勝たなきゃという狭い世界での窮屈なプライドがすごく大きかったと思います」
――今年シニアにあがって、そのようなことは考えなくなりましたか。
「すごく楽でした。シニアの世界が楽しくて仕方ないです」
――今シーズン印象に残っている試合はございますか。
「近畿ブロックが一番悪かったという印象ではあるのですが、いい印象の試合は全日本選手権ですね。全日本選手権はもう一生忘れないだろうなと思います」
――どのようなところが印象に残っていますか。
「自分の目標の順位が取れたし、何せ自分がずっと憧れてきて届きそうでずっと届かなかった試合だったので、やはり6分間練習とかリンクサイドに行く時に感動した覚えがあります。あんなに楽しい試合はなかったなという印象です」
――目標は何位でしたか。
「10位です。トップ10に入ることだったので、ぴったりでした。危なかったです」
――ジュニアの試合とシニアの試合で違うところはありましたか。
「シニアの試合は、誰にも勝てないと言ったら言い方がおかしいですが、みんな自分よりうまいのでそこが違います。あとシニアの試合に来た時の更衣室の中の雰囲気とかが、みんないろんな修羅場を潜り抜けてきた人たちの更衣室だなと。みんなシニアになると、それぞれがそれぞれ自分のものをもっていて、勝敗のようなものだけに囚われないじゃないですけど、そういうものがシニアの世界にあるなと思いました。ジュニアの世界では逆にみんなまだ荒削りだけど、ジャンプがやっぱりジュニアのみんなの強みだし、そういう強みがジュニアとシニアでは違うかなと思います」
――全日本選手権までは遠かったですか。
「遠かったです。一生出られないんじゃないかと思う日もありました」
[中澤美月]
◆山隈 太一朗(やまくま・たいちろう)営1、芦屋国際、177センチ、67キロ
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