(22)ルーキー特集 第2弾 ~山隈太一朗編Ⅱ~「苦しかった高校時代」
毎年恒例のルーキー企画も今年で3年目。今年度のルーキーたちはかつてないほど強者ぞろいで、ファンの期待も高まっていることだろう。2人目は兵庫県から上京を果たした山隈太一朗(営1=芦屋国際)。今年度は全日本選手権で最終グループ入りを目指し、飛躍が期待される。
(この取材は3月11日に行われたものです)
――高校時代を振り返ってみるといかがでしたか。
「やはりつらかったなと思います。高校3年間のうち、3年の時は自分の中で初めて人生で初めて納得できるシーズンを送れたのですけど、高1高2は本当に惨めでした。スケートをやっていて、すごく恥ずかしかったです」
――どのようなところがつらかったですか。
「中学3年生の時に全中で優勝したので、その時のプライドがずっとしがらみのようにありました。『俺は全中で優勝して結果残したのに、また試合で失敗しちゃった。それで成績もこんなで…』とずっと負の感情しか生まれなかったです」
――高校1、2年生でうまくいかなかったのはどのようなところですか。
「練習ですね。練習内容が全然ダメだったので」
――どのような練習ですか。
「ミスが多かったです。高校2年生のときに1回海外に一人で武者修行に行ったのですが、その武者修行しているタイミングは全然失敗せず、質もすごく高かったですしそのあとすぐに臨んだ試合は良かったです。しかしその後また自分のペースにどんどん落ちていってまたダメになって、練習がやはり悪いペースを作っている原因かなと思います」
――武者修行はどこへ行かれましたか。
「アメリカです」
――高校3年生になるにあたって練習は変えましたか。
「大きく変わりましたね。高校3年生になった時に新しい筋トレをトレーナーさんと始めて、その筋トレがすごくいい方向に向いて、靴の種類も変えました。そうするといい方向に少しずつ向いて行って、夏前くらいにすごく昨年の自分からしたらだいぶ良くなったなと感じるタイミングだったのですけど、そこから1回怪我をしてしまいました。夏休みの間に本当にスケーティングをたくさんして、ジャンプの練習ができなかったので、合宿とかでも周りのみんなが跳んでいるなか、自分だけスケーティングをしていたので、そういうところで基礎的なものが少しずつ上がっていったのかなと思います」
――高校生の間で心が折れそうになったことはありますか。
「あります。僕は全然泣かないんですよ。涙が全然出ない人なのですけど、初めて試合で悔し泣きをしました。高校2年生の全日本ジュニア選手権の時です。ちょうどその時は初めてトリプルアクセルをもって試合に行ったシーズンだったので、それまではトリプルアクセルを跳んでいる人に全然勝てなかったのですけど、初めて自分のトリプルアクセルをモノにして、シーズンに望みました。そのシーズンはトリプルアクセルだけ調子良かったです。僕はそれまで全日本選手権に全日本ジュニア選手権から出られたことがなくて、初めて全日本選手権に今年は出られるかもしれないと周りの人からも言われたし、自分でも行けると思ったし、すごく自信があったシーズンに、実際はトリプルアクセル以外を失敗して、6位まで全日本に行けるのですけど、結果は2点差とかで8位だったんです。ちゃんとやっていれば行けただろという点で負けたので、目の前で全日本に行く人たちを見て、何をしてきたのだろうと。本当につらい試合でした」
[中澤美月]
◆山隈 太一朗(やまくま・たいちろう)営1、芦屋国際、177センチ、67キロ
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