(1)4年生対談 ~中学・高校編~

4年間、明大スケート部(フィギュア部門)を支えてきた4年生3人。佐上凌主将(商4=武蔵野)、梶田健登(政経4=明大中野)は競技を引退し就職、鎌田英嗣(営4=獨協)は1年間限定で競技を続行と4月からそれぞれの道へ歩みを始める。そんな4年生3人の巣立ちを前に3人のスケート人生を振り返る対談をお送りする。

 

――3人が出会われたのはいつ頃でしょうか。

鎌田(以下:鎌)中1ですね。 東京の各試合や全中で出会っていました。

 

――3人で1番上手かったのは誰でしたか。

梶田(以下:梶)中1だったら俺じゃなかった?

:そうだね。

佐上(以下:佐)俺は7級取ってなかったから。

鎌:俺も6級で出てた。

梶:でもみんな同じ感じで、ダブルアクセルで転んでいる感じだったよね。

鎌:1人だけトリプルの数が多かったりして、かじけんはちょっと頭で出ていたよね。

梶:当時だったら、早かったかもしれないね。今だったら全然だけど。今はノービスもでトリプル5種類とか普通に跳んでいるからね。俺がやっている時はトリプル1個跳べればメダル獲得みたいな世界でしたから(笑)

 

――お互いの中学時代の印象はいかがでしたか。

佐、鎌:かじけんはゲーマー。

鎌:かじけんとは一緒の先生だったけれど、割と大人っぽい感じはあったかな。

梶:俺は普通だけどね。ひでが幼い感じがあったかな。

鎌:俺は幼すぎたけど、一般の中では相当ませていた方だけど。

梶:大人からしたら生意気で、マセガキだったもんね。

佐:ひでは出会ったことない人種だったけどね。

 

鎌:凌は喋らないな感じだったね。

佐:人見知りだったわ。

梶:あー、静かだったね。逆に俺以外誰と喋っていた?(笑)

佐:みんな顔は知っているけど、あまり喋らない感じだったかな。

梶:「かじけーん!モンハンしよ!(高い声)」って感じだったわ。

佐:でも中2の時はみんなモンハンやっていたので、それで打ち解けたみたいな感じはあったかな。

鎌:でも俺ゲームやってなかったから、1人だけ浮いているみたいだったな。

梶:モンハンの中では浮いているって感じだね。

 

――中学時代の思い出はありますか。

佐:中2の全中が1番印象に残っているかな。

梶:俺、中2は全中だけ出たわ。メトロポリタン。

鎌:俺メトロポリタンいたけど、親とずっと過ごしていたから、あんまり思い出ないんだよ。だけどメトロポリタンで、なんか夜楽しかったんでしょって。

梶:1年にしていろんなことが起こってたね。

佐:ずっとゲームしていたんだけどね(笑)

梶:ここじゃ言えないことだから(笑)

 

佐:会場行けば、みんな試合に集中していた感じはありますね。

鎌:中3の東日本はやっとみんなで出られたなという印象です。

梶:そこで初めてそろったよね。俺も中3の東はすごい覚えている。

佐:どこでやったんだっけ?

鎌:甲府

 

――高校時代の思い出はありますか。

梶:明大中野は頭髪検査が厳しくて、かじけんの髪きもーいと女の子たちに言われて、小学生の時長めだったから、嫌すぎだった。ある日家帰って、「ママー!今日で明中辞めるから、武蔵野高校行くから、よろしく!」って、凌に武蔵野の校則を聞いて、高校から武蔵野行くわみたいな話をしていた記憶があるな。

 

鎌:思い出はインターハイとかかな?

佐:そんなまじめにスケートやってなかった(笑)

鎌:かじけんが川越先生辞めて、伏見にいったイメージで、みんなシチズン、神宮、伏見で違うリンクみたいなイメージかな。

梶:仲は良かったけど、普段から行動を共にするって感じではなかったよね。でも東京男子って言ったら、この3人だったから。毎回国体の枠争いはしていたよね。

 

――ライバル意識はありましたか。

梶:正直なかった。

鎌:俺はかじけんを追いかけたのはあったから。

佐:俺はひでを追いかけてた感じで。ライバルというよりも追いかけていたよね。

鎌:確かに追いかけていたよね。でも高校1年生時、毎回試合被る度に、俺が勝って、かじけんが勝って、その次かじけんが勝っての繰り返しだったよね。

梶:あ、ひでに負けたと思ったら、次の試合勝って、全日本で負けて、インターハイで抜かしてみたいだったね。高1、2はたかんな時期だったからライバル意識は少しあったけど、高校3年生の方はなくなったかな。

 

【大西健太】

 

続きは明日27日アップ予定です。

お楽しみに!

 

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