(41)OBインタビュー 10区・卜部淳史氏
歴史に名を刻んだ男の今を追った。今回で60度目の箱根に挑む明大は、これまで優勝7度を含め、箱根の歴史を彩ってきた。今特集では各区にちなんだOBを取り上げ、当時の思い出とともに、明大と箱根の歴史を振り返る。
第10回は第85回(2009年)大会の10区で出走した卜部淳史氏を特集します。(この取材は11月17日に行われたものです)
◆卜部氏の箱根成績◆ |
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学年 |
個人成績 |
チーム |
1年 |
不出場 |
18位 |
2年 |
不出場 |
16位 |
3年 |
不出場 |
予選落ち |
4年 |
10区12位 |
8位 |
――4年間、当時の競走部を振り返っていかがでしたか。
「1年次は箱根でシード権が取れるというところまでは、見えていなかったんですけど、毎年、チームがだんだん強くなってきている印象はありました。3年の時に、予選会で落ちたことをきっかけに自分の中にもスイッチが入りました。残り1年で復活するのはもちろんだし、シード権は絶対取ろうというところでしたね」
――まさに転換期という感じですね。
「それは間違いないと思います。予選会落ちから、みんな結果が付いてきていて、戦力的に見ても、絶対にシードは取れるだろうなと思っていました。あとはその中で自分がレギュラーをつかむというところで、頑張っていました」
――4年次では49年ぶりのシード権を取りました。
「素直にうれしかったなというところと、チーム全員、10区の僕のところは心配だったんだろうなと思いました。スタート前にテントがあるんですけど、その時に往路を走った人たちは「一緒にご飯食べようぜ」とか僕の緊張をほぐしてくれて、逆にみんなに心配かけたなと思いました。
――10区はどんなコースでしたか。
「10区を走ることを言われたのはレースの3日前だったんですよね。車で1回、下見して、『最後のコースはこんな感じだから』と言われて、最後の3キロぐらいは見なかったんですよね。だからどこでスパートかけようとかは正直わかりませんでした(笑)。実際、走ってみると、スタートからゴールまでずっと人がいて、ラスト2キロは声援からの地響きがすごくて、体がフワフワ浮いているような感じでした」
10区を出走した卜部
――区間順位は12位でした。
「正直、区間順位は気にしませんでした。明治大学の襷がテレビにきちんと映るように『最初の1キロは襷を気にして、ジョギングみたいな感じで走りなさい』と監督・コーチか言われましたね(笑)。実際は18キロぐらいまでリラックスしすぎて、逆にペースに乗れませんでした。気づいたら色んなチームに追い付かれてしまって、『やばい』と思いましたね」
――8位でゴールテープを切ったときの気持ちはいかがでしたか。
「直線が何百メートルもあるんですけど、ゴールしたときは同期の東野と一個下の松本が出迎えてくれて、気づいたら胴上げしてもらっていました。気持ちよかったですね」
――箱根で得たものは何ですか。
「そこから10年経つんですけど、箱根を走ると『箱根で走ったんだ!』と言われ、話が弾みますね。得することはあっても損することはないなと思います。また気持ちの面で『絶対に負けられない』というプレッシャーはあったんですけど、そのような経験は、この先辛いことがあったときに役立つと思います」
――今の競走部の評価をお願いします。
「記録や結果を拝見させていただくんですけど、強いなと思います。学生スポーツはきっかけがあれば、急に成長したりします。僕らもシードを取る1年前にすごく悔しい思いをプラスに1年で変えることができました。シード権を取ってからの明治は強く、優勝争いができるところまでいったので、今年をきっかけに強い明治を取り戻して欲しいなと思います」
――注目選手はいますか。
「同じ高校出身ということもあり、期待を込めて坂口君(裕之・政経4=諫早)ですね。この前、東京でOBが集まったときに、山本佑樹駅伝監督や山本豪コーチが「坂口はメンタル面が強く、自分自身に厳しい」ということを聞きました。強い選手なのに、結果を出せていないと思うので、ラストの箱根で活躍してほしいですね」
――これから走る選手に激励の言葉をお願いします。
「箱根はすごく注目もあって、それを目指す選手もいれば、通過点とする選手とか色んな人がいます。色んなプレッシャーがあると思うんですけど、どんな形で関わろうとも財産になると思うので、自分にできることを、しっかりと精一杯やってほしいです。選ばれたメンバーは楽しく、自分の力を十二分に発揮できるようにリラックスしてほしいなと。そうするとおのずと結果は来ると思います」
――ありがとうございました。
[綾部禎]
箱根エントリー選手のコメントアップ日は12月23日(日)からです。お楽しみに!
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