(33)OBインタビュー 2区・東野賢治氏

2018.12.11

 歴史に名を刻んだ男の今を追った。今回で60度目の箱根に挑む明大は、これまで優勝7度を含め、箱根の歴史を彩ってきた。今特集では各区にちなんだOBを取り上げ、当時の思い出とともに、明大と箱根の歴史を振り返る。

 第2回は初代駅伝主将を務めた東野賢治氏(平21商卒)を特集します。(この取材は1113日に行われたものです)


◆東野氏の箱根成績◆

学年

個人成績

チーム

1年

7区10

18

2年

4区18

16

3年

2区11位(学連選抜)

予選落ち

4年

不出場

8位


――大学4年間を振り返っていかがでしたか。

「競技も含めていろいろな方に出会うことができて、私自身にとってとても貴重な4年間だったというのが、一番の感想ですね」


――印象に残っている大会やシーンはありますか。

「毎日の練習や毎日の学校生活も含めて貴重だったのですが、一番は最後の箱根駅伝でシード権を取ることができて。それが一番の目標にしていたことでもあったので、印象に残っていますね」


 ――大学競技生活での目標はなんでしたか。

「チームとしては箱根駅伝で結果を残すこと。予選会がずっと続いていたので、シード権がほんとに目標となっていたので」


――当時の部の雰囲気はどういったものでしたか。

「自由にできて、西さんも自主性を尊重してくれていたので、自分で考えてやる選手にとっては理想的な環境だったなと思います」

 

――実業団に進まれることに迷いはありましたか。 

「個人の目標は達成できずに、お世話になった人に結果で恩返しできなかったので、そういった意味で実業団で結果を残すという思いで実業団に進みました」


――学生時代との変化は大きかったですか。

「そうですね、みんな力をもった選手ばかりで、やはり学生スポーツではないので厳しさもあって、結果重視の中でやれたというのは大学とは違った意味でよかったなと思います」


――箱根駅伝でご自身が出走された3回について振り返るといかがですか。

 「個人での箱根の結果は思うようにいかなかったので、悔しいものがありました」


在学中、箱根に3回出走した東野


――初代駅伝主将を務められていましたが、当時の役割はどういったものでしたか。

 「前年がチームとして良くなくて、そこで主将を設けてもらって。そこでほかのみんながサポートしてもらってやっていたので私自身が何か特別なことをやったというのはなかったのですが、その分駅伝主将として結果を出さなきゃいけないというのが強かったですね。なので、示したかったのですが、なかなかうまくいきませんでした」


 ――最後の箱根は欠場で終わりました。

 「チームとして目標達成できたのですが、私個人としては悔しさの残る形となってしまって。その悔しさをもって実業団にいくことになったので、それは今となっては良かったのかと思います」


 ――最近の明大を見て、後輩たちはどうでしょうか。

 「私なんかが言えることはないんですけど、頑張ってほしいなと思います」


――今のチームは一昨年度本戦18位、昨年度予選落ちと東野さんが明大にいらっしゃった時と似た状況です。

 「そうですね、今3年生が力を持っていてというのも私がいた時と被るかなと思います。なので、3年生が強いんですけどその中で4年生がしっかりまとめることがいい結果につながるのかなと思うので、関係なくチームとして4年生がまとめられたらいいのではないかなと思います」


 ――今の学生にアドバイスを送るとしたら、どんなことを伝えたいですか。

 「自分自身、当時は箱根駅伝をあまり重くは感じていなかったんですけど、卒業してみるとやっぱり知名度があって。ニューイヤー駅伝出たと言うよりも箱根駅伝に出たっていう方が認知されることが多かったので。やっぱりすごい大会だったなっていうのは卒業してから強く思うので、学生の選手には精一杯4年間を頑張って箱根駅伝も思い残すことなくやってほしいなと思います」


――〝箱根駅伝がくれたもの〟はなんでしょうか。

 「人とのつながりが増えたと思います。今の私がいるのもその出会いのおかげなので。だから人とのつながりを与えてもらったかなと思います」


――ありがとうございました。


[高野夕]


次回のアップは12月12日(水)です。お楽しみに!