(32)OBインタビュー 1区・北條尚氏

2018.12.10

 歴史に名を刻んだ男の今を追った。今回で60度目の箱根に挑む明大は、これまで優勝7度を含め、箱根の歴史を彩ってきた。今特集では各区にちなんだOBを取り上げ、当時の思い出とともに、明大と箱根の歴史を振り返る。

 

 第1回は第86回(2010年)大会で1区区間賞を獲得した北條尚氏(平22文卒)を特集します。(この取材は1117日に行われたものです)

◆北條氏の箱根成績◆

学年

個人成績

チーム

1年

不出場

16

2年

不出場

予選落ち

3年

3区13

8位

4年

1区1位

10

――4年間を振り返ってチーム状況はいかがでしたか。

「当時の環境は他大と比べても良い方だと思います。チーム内にも大学トップクラスの選手が何名かいて、中堅の選手が良ければ、もっと上はいけたかもしれないです」

 

――チーム内での立ち位置はいかがでしたか。

「最低限の走りをするやつという感じでしたね。自分はそこまで強い選手でもなかったので、チームの支え役という立ち位置でした。ただ練習は一番継続してできた選手だと思います」

 

 ――2年次で箱根予選落ちを経験しています。しかし1年後には本戦で49年ぶりのシード権を獲得。そこまでのし上がれた要因は何ですか。

「予選落ちは自分自身の陸上人生の中でも一番大きい失敗といか、心に残る出来事でもありましたね。予選落ちを経験した後はみんながギラギラしていました。個人個人でもっと強くなりたいという欲がすごかったです」

 

――実際にシードを獲得したときの気持ちはどうでしたか。

「めちゃくちゃうれしいとまではいかなかったですね。もっと上を目指すというのがあったと思います。たぶんあの時は、シードを取ったら、次は一番目指すぞみたいな雰囲気はありました」

 

――翌年は1区で区間賞を獲得しました。

「楽な気持ちで走っていました。というのも、2区に走るのがキャプテンで(石川卓哉選手=平22政経卒・現中国電力)、3区は今も日本トップクラスの鎧坂(哲哉=平24営卒・現旭化成)でした。1区で1位を取るというよりは気楽に走れば、後の人が上位に持っていってくれるという思いでした」



4年次で1区区間賞を獲得した北條氏

――箱根はどのような大会でしたか。

「箱根を目指して4年間、練習していて、思い入れはあります。でもそれで陸上人生が終わってしまったのかなというのもありますね」

 

――箱根がくれたもの・今後の人生で糧になったものはありますか。

「1年間『こうやって調子を持って行こう』とか自分でトレーニングを考えるという計画力は身に付きましたね。それで上手くはまったので、ちゃんと計画を持って練習すれば、おのずと成績は上がってくるんだなというのは箱根を通して得たところですね」

――自主的なトレーニングが自分に合っていたということですね。

「言われてやるのは物にはならず、言われなくても自分でやった物が本物になると思っています。たぶん当時はそういう世代だったと思います。自分たちでどんどん長い距離を走るとか。それで強くなった世代であるので、そのような雰囲気をつくってくれた西さん(弘美スーパーバイザー)には感謝しています」

――卒業後は中電工に進みましたが、そこでの実績はいかがでしたか。

「ニューイヤー駅伝は走りましたけど、結果は振るわず、大学のベストも更新できませんでした。競技人生の中では大学4年間が一番良かったですね」

 

――現在は母校の浜松日体高で陸上部の監督をしていますが、指導する立場はいかがですか。

「自分たちがやってきたときよりは選手の性格も質も変わったなという感じです。昔ほどほっとける感じではないので、指導することは難しいですね」

 

――現在の競走部の評価はいかがですか。

「僕らがいたときよりも力のある選手が入ってきていると思うので、もっと結果が伴うと良いと思います。力のある子たちだと思うので求めて本気でやれば、目標には届きます。とにかく自分からやっていくという姿勢があれば、どのような代・チーム状況であろうと必ず上がっていけると思うので頑張ってほしいです」

 

――最後にこれから箱根を走る後輩に一言、よろしくお願いします。

「去年、箱根で走れなかった悔しさはあると思うので、それをぜひ今年にぶつけてください」

 

――ありがとうございました。

 

[綾部禎]

 

次回のアップは1211日(火)です。お楽しみに!