激動の平成 明、早、帝…移りゆく覇権

2018.11.28

 平成の大学ラグビーは優勝校とともに変化し続けてきた。始まりは故・北島忠治元監督の教えを貫き通し、覇権を握った明治。その後早稲田、帝京大と30年間、それぞれの色でしのぎを削ってきた。今季の明早戦をもって平成の対抗戦は全て終了。今号終面では平成大学ラグビーの覇権の変遷を軸に、激動の30年間を振り返る。


確かな教え

 平成は明治の黄金期と共に始まった。低迷した昭和40年代から徐々に復活を遂げ、迎えた平成。2年度には吉田義人氏(平3政経卒)が率いる明治が選手権決勝で早稲田を16―13で撃破。大学日本一に輝いた。北島ラグビー最終章となる平成初期は10年間で対抗戦優勝8回、選手権優勝5回。現在も語り継がれる常勝明治の時代となった。

 「強さの源は一貫したスタイルにあった」(丹羽氏)。北島元監督の教えである〝前へ〟の精神を徹底。戦術や戦略はなかったが「ボールを持ったら真っすぐ走る」。FWは愚直に体を当て続け、一歩でも進むことに注力。〝重戦車〟の名をとどろかせ、頂点に上り詰めた。


伝統の意味

 早稲田の復活と共に明治の時代が終わった。早稲田は13年度、清宮元監督就任1年目の対抗戦優勝から負けなしの7連覇と偉業を成し遂げた。それまで〝揺さぶり〟を重んじ〝BKの早稲田〟といわれてきた。しかし清宮元監督はFWにも力を入れ、ボール奪取から速いテンポで展開する、FW、BK一体となった戦術を確立。清宮元監督の手腕により、早稲田の伝統を保ちながら新しいラグビーで結果を残した。

 一方の明治は北島元監督という大きな存在を失い、スタイルがぶれてしまっていた。時代の波に乗り遅れ「個々の能力だけで戦っていた」(丹羽氏)。〝前へ〟の教えを具体化せずに試合へ。単にスクラムの勝敗だけにこだわっていた。新生された早稲田との差は大きく、19年度の明早戦では7―71。歴史的大敗を喫した。伝統とは何か。模索した時代が続いた。


復活の一歩

 帝京大の台頭は大学ラグビー界に一つの結論をもたらした。「昔のラグビーをしていても強くなれない」。帝京大は現在選手権9連覇中。そのスタイルはフィジカルを大事にし、最も世界のラグビーに近い。体を大きくするために体脂肪率を数値化するなど、論理的なアプローチをいち早く行い強豪校となった。

 明治も新たな強化法を取り入れている。食事面では栄養士と協力し、5年前に寮の食事を高タンパク低脂質なメニューへと変更。平成以前は3食外食が当たり前だったが、今では多くの選手が寮で食事を取るようになった。その結果、元年度には71㌔だったBKの平均体重も現在は84㌔。全員にフィジカルを求め、現代ラグビーに適した体へと変化している。

 完全復活は近い。春夏秋と王者・帝京大に3連勝。成果は確実に表れている。近代的な技術を取り入れ〝前へ〟進んでいる明治。平成最後に日本一の称号を掲げる。

【鈴木貴裕】