女子団体インカレ完全∨

2018.11.03

 創部から97年、新たな歴史を刻んだ。インカレ団体戦はAR(エアライフル)とSBR(スモールボアライフル)の2種目で争われた。女子は両種目の団体戦を制し、創部初の完全優勝。レギュラー5人中4人が下級生という若いチームが1年の最後に最高の結果を残した。だが一番の原動力となったのは女子唯一の4年生である劉炫慈(りゅうげんじ・商4=日大櫻丘)だった。


101821 全日本学生選手権(長瀞総合射撃場)

▼女子総合

 明大――1位

自分との戦い
 秋の夕暮れの中に何度も宙を舞った。「正直怖かったけど、みんなが笑顔だったことが本当にうれしい」(劉)。完全優勝の立役者は少し恥ずかしそうに笑った。2日目終了時点で2位との差はわずかに1・5点。団体戦のトリを務める劉は極度の緊張に襲われた。学生最後の団体戦。唯一の4年生としての責任感。2週間前の福井国体での予選敗退も、不安を増幅させた。
 それでも「緊張は悪いことじゃない」。そう言い切れる自信がある。元々、緊張しやすい性格。だからこそ自分と向き合い、うまく緊張と付き合う方法をずっと探し続けた。この日も思考はシンプル。「一発一発を丁寧に撃つ」。弾に息を吹き掛けるルーティンも繰り返した。積み重ねた120発が示すのは全選手中最高の1148点。4年間の集大成が創部初の快挙へと結び付いた。事後検査を終え、結果を聞くと「全てから解き放たれた気がした」と涙があふれた。

努力する才能
 性格は自他共に認めるストイック。練習の量と質は誰にも負けない。アドバイスをもらえば、自分に合うか試行錯誤。試合に負ければ、何日間も休まずに練習場へ。「細かいところもいろいろな人に聞いて、ひたすら練習している」(佐々木琉杏・農1=北海道科学大)とその姿には後輩も舌を巻く。ルーツは生まれ故郷の中国・天津市にある。10歳で日本に来るまでは朝から晩まで勉強漬け。激しい競争環境の中に身を置いた。何より影響を受けたのは祖母の存在だ。共働きの両親に代わって厳しく育てられた。「宿題が終わるまでおやつは出なかった(笑)」と冗談交じりに振り返る日々が、今も染み付いている。
 今年4月、祖母が来日した。授業、練習、試合を反復する孫の生活を見て「あんた、本当に大変だね。よく頑張れるね」と厳格な祖母も目を丸くした。「おばあちゃんのおかげだよ」。自然と出たのは感謝の言葉だった。

有志者事竟成
 祖母からもらった大切な言葉がある。『有志者事竟成(志ある所に道あり)』。4年前、18歳の少女は強い意志を持って明大へ。表彰台が遠かった当時の女子。それでも「私が明大を強くする」と入学を決めた。行きたかった留学も、友人からの誘いも諦めた。全てはインカレ優勝のため。「弱音を吐くところを見たことがない」(石田裕一主将・法4=金沢辰巳丘)。ただ前だけを向き続けて、つかんだものは4年間で2度のインカレ団体優勝。描いた青写真はいつしか現実になった。 思いは次の世代へと受け継がれる。今回のレギュラーは劉を除き、全員が下級生。1年生の平田しおり(政経1=金沢伏見)は「来年は全部の大会を優勝する」と早くも次を見据える。3年後には創部100周年を迎える射撃部。大会連覇、そしてその先へ。「節目に向かって頑張ってほしい」(劉)。道を切り開いたヒロインは後輩たちの背中を優しく押した。

【楠大輝】

♥劉炫慈(りゅう・げんじ)中国・天津市出身。10歳の時に両親の転勤に伴い来日する。当時日本語は全く分からなかったが、テレビを活用するなどして一から猛勉強。今では中国語と共に自由に操る。射撃との出会いは高校1年生。偶然行った射撃部の体験で運よく10点を当て、入部を決めた。将来の夢は小学生の時に文集に書いた「世界を股に掛けて活躍する」。2020東京五輪では審判の公認資格を取り、運営側として参加する予定。167㌢