現役明大生12年ぶりメダル 丹羽
卓球界に旋風を巻き起こした。リオデジャネイロ(リオ)五輪代表の丹羽孝希(政経4=青森山田)が団体で銀メダル、個人でベスト8と堂々たる成績を残した。日本男子団体のメダル獲得は史上初。現役明大生としてのメダル獲得は12年ぶりだった。前回のロンドン五輪に続き、2回目の代表選出となった丹羽。前大会は団体戦のみの出場だったが、今大会はシングルス4回戦で格上の黄鎮廷(香港)にゲームカウント1―3から逆転勝利。団体では前大会のベスト8を大きく上回る銀メダルと、自分の殻を打ち破った。
銀の勲章
人生懸けて手にしたメダルだ。リオ五輪団体準決勝ドイツ戦。男子団体初のメダルが懸かる中で、丹羽は1―1の場面、ダブルスで出場した。「(ダブルスを)取れば水谷さん(隼選手・平25政経卒=現ビーコン・ラボ)に回せる。そしたら銀メダル取れるって思ったので、やりがいを感じた」。ペアを組んだ吉村真晴(名古屋ダイハツ)とは相性よく、吉村のサービスから丹羽の強打で相手を崩し、ゲームの主導権を握った。第2ゲームは落としたものの崩れず、マッチポイントでも吉村のサービスから丹羽の3球目攻撃が決まり、ゲームカウント3―1で勝利。最後はメダル獲得へ王手をかけて登場したエース・水谷がシュテーガー(ドイツ)を破り、銀メダル以上が確定した。
決勝の中国戦では、丹羽は世界ランク1位の馬龍に0―3で敗れ、ダブルスでも惜敗。金メダルこそ逃したが、功績は限りなく大きかった。「男子はメダルを取れたら人生変わるといわれている。だから自分の卓球人生を懸けて挑みたい」。大会前語った一世一代の決意が最高の結果となって表れた。
リオ五輪前のワールドツアーは4大会連続で1回戦負けを喫した。丹羽を苦しめたのは、目前に控えた日の丸を背負う重圧。気持ちを切り替えるために、6月下旬に行われた韓国オープンから帰国後、10日間あえて卓球から離れた。リフレッシュし、夢舞台への集中力を高めたことが功を奏した。不調がうそのようにシングルスでベスト8に入り、団体戦でも丹羽らしい速攻で勝利に貢献。本来の「丹羽卓球」を取り戻した。
打倒中国
東京でリベンジする。「オリンピックが終わってようやくいろいろな技術を試す時間がある」。関東学生秋季リーグ戦から丹羽はバックハンドサービスを試みた。相手のフォアハンドの前に短く出し、強烈なバックハンドレシーブ〝チキータ〟をさせない効果がある。左利きを苦手とする丹羽にとって「左利きの選手に効く」このサービスは大きな収穫を得た。同リーグでは右利きにも通用。バックハンドサービスにより速攻がさえわたった。今月中旬の中国オープンでは、世界ランク4位の張継科(中国)にもこのバックハンドサービスを使うなど「丹羽卓球」が進化を遂げつつある。
「水谷さんが中国に勝てることを見せてくれたので、本気で金メダル目指して頑張っていきたい」。打倒中国へ、そして東京五輪で一番高い表彰台へ。まずは先輩の水谷が攻略した。次は丹羽の番だ。
【木村亮】
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