4カ月の離脱乗り越え 南ア戦で猛アピール 室屋もリオ!!
世界と戦う覚悟はできた。2月にサッカー部を退部し、プロの舞台へ進んだDF室屋成(政経4=青森山田・現FC東京)はプロ入り直後の左足ジョーンズ(第5中足骨基部疲労)骨折を乗り越え、リオ五輪日本代表に選出された。勝ち取った日の丸を背負い、日本初の金メダル獲得に闘志を燃やす。
復活
7月1日。リオ五輪開幕を約1カ月後に控え、U-23(23歳以下)日本代表が発表された。1月のアジア最終予選の23人から18人へと絞られた狭き門を、室屋はくぐり抜けた。
立ち込めた暗雲を自らの手で振り払った。プロ入り直後、2月の故障から約4カ月の戦線離脱を強いられた。最終予選で大車輪の活躍を見せた室屋だが、長期離脱でメンバー入りの当落線上に。6月29日のU-23南アフリカ代表との強化試合が、久々の代表戦であり、最後のアピールの場となった。「メンバーに入るか入らないか最後のところだったので、割り切って楽しんでプレーしようと思っていた」。大舞台でもブレない強心臓は健在だった。ブランクを感じさせない鋭い攻撃参加で、右サイドからアシストをマークするなど勝利に大きく貢献。復帰後4戦目にして初となるフル出場のおまけ付きで、代表入りを確実に手繰り寄せた。
感謝
「僕がいなくて首位なので最初はちょっと寂しかった」。6年ぶりに首位でリーグ戦を折り返したサッカー部を、室屋は冗談めかしくたたえた。2月にプロ入りが決まり、苦渋の決断で退部。戦うピッチは違えども、同級生を中心に躍進を続ける「仲間」たちから幾度となく刺激を受けている。「僕もしっかりと復帰して成長した姿を見せないといけない」。負けられない「仲間」がいるから、過酷なリハビリにも決して焦らずに、ひた向きに完全復帰だけを目指すことができた。
思いがけないアクシデントで幕を開けた「五輪を目指すため」のプロ生活。確固たる意志を持って飛び込んだからこそ、支えてくれる人への感謝もひとしおだ。「プロに行かせてもらったのに、すぐにケガをしてしまって、最初はすごく申し訳ない気持ちもあった。五輪に出場するという約束を果たせたことは良かったが、五輪で活躍することでさらに明治に恩返しができればなと思う」。
使命
掲げる目標は日本初となる五輪金メダル獲得だ。「周りの支えがなかったら代表に選ばれていなかった」。18人のメンバーに選出された室屋は、代表に選ばれなかった選手の思いを託された側。「選ばれなかった選手がいる中で情けないプレーはできないし、日本代表の誇りを持って戦いたい」。自分が一人ではないことを知っているから、ここまで強くなれた。託された思いを背に、リオのピッチで暴れまくる。
【鈴木拓也】
◆室屋成(むろや・せい) 大阪府出身。1994年4月5日生まれ。今年2月に現役明大生ながらFC東京に入団。9日のヴァンフォーレ甲府戦でJ1デビュー。リオ五輪日本代表での背番号は「2」。174㌢・65㌔
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