五輪2大会連続出場 丹羽リオ
8月5日(現地時間)に開幕するリオデジャネイロ(リオ)五輪。体育会現役学生では唯一、卓球部から丹羽孝希(政経4=青森山田)が出場する。丹羽は高校3年次にロンドン五輪を経験。その時にメダルが取れなかった悔しさを、この4年間ずっと感じ続けてきた。1988年から卓球が五輪の正式種目として始まってから、日本男子は一度も表彰台に立てていない。史上初となるメダルをつかみに行く。
メダル射程圏内
卓球男子史上初のメダルを狙う。昨年9月、ロンドン五輪に続き2大会連続となる五輪出場が決まった丹羽。圧倒的な反射神経を武器にハイテンポな展開をつくり出す「速い卓球」で、学生だけでなく常に世界を相手に戦ってきた。シングルスと団体戦の両方で出場するが、特にメダルが期待できるのは団体戦。3月の世界選手権で39年ぶりに団体準優勝。さらに同月のカタールオープンで丹羽は、吉村真晴(名古屋ダイハツ)と組むダブルスで世界ランク1位・馬龍と3位・許シンの中国ペアを破った。団体ランクも世界4位と、メダルを射程圏内に捉えている。
どうしても拭い去りたい過去がある。4年前のロンドン五輪、団体準々決勝の中国香港戦。勝てばメダルに近づく中、ラストを任された丹羽が敗れチームも敗退した。所有するスマホの待ち受け画面は当時の会場で使われた卓球台。「(見ることで)嫌な思いもする。忘れたくても忘れられない」。この4年間ずっとその待ち受け画面を変えず、悔しさを胸に刻み込んできた。
「孤」で磨いた個
五輪と五輪をつなぐ4年間、明治で個を磨いた。「代表は3人しかなれない。落ちるのはすぐ落ちてしまうので気が抜けなかった」と丹羽。遊びや飲み会といった誘惑の多い学生生活。それを避けるため、普段他の学生と群れることはなく、基本的に1人で過ごした。「前より頭の中で考えて、落ち着いてプレーができるようになった」(丹羽)。プレースタイルに大きな変化はないが、4年間で確実に円熟味が増した。
大学生活で特に丹羽を支えたのが髙山幸信監督だ。決して練習の強制はせず、自由にやらせてくれた。丹羽が個人で大会に出場する時も会場に足を運び、時には海外遠征にも駆け付けた。「体調も気に掛けてくれるし、すごく僕のことを見てくれる」。監督の手厚いサポートの下、個性を伸ばした。髙山監督はリオにも駆け付ける予定。大舞台も心強い味方と共に挑む。
リベンジマッチ
6日から行われた全日本大学総合選手権(団体の部)では優勝。日本代表合宿と日程が重なったが「周りが僕を必要としてくれた」と出場を決めた。五輪直前の大事な時期だったが、明大生として戦うことを選んだ。そして4戦全勝で貢献し、五輪への弾みにした。「(明治からは)代表が2人と少ないので、自分がメダルを取りたい。五輪は特別。卓球人生を懸けて挑む」。日の丸、そして明治の看板を背負う決意を改めて口にした。悔しさと向き合い続けた4年間。リベンジへ、培った全てをぶつける。
【吉田周平】
◆丹羽孝希(にわ・こうき)北海道出身。1994 年10 月10日生まれ。世界ランク19位(今年7月現在)。父と姉の影響で7歳の頃に卓球を始める。積極的に振る両ハンドのカウンタープレーが特徴。162㌢・51㌔
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