日本選手権復活V 平井彬
リオへ大きな一歩を踏み出した! 日本選手権の男子1500㍍自由形で平井彬嗣(あやつぐ)(政経4=市立船橋)が2年ぶりの優勝。タイムは15分01秒78と日本水泳連盟が定める国際大会の派遣標準記録から約3秒遅れ、3年連続の日本代表入りとはならなかった。それでも不調に終わった昨シーズンから見事な復活を遂げ、再び日本のトップに戻ってきた。悔しさと充実感を胸に、期待の若武者は来年のリオ五輪を見据える。
世界基準
笑顔なき優勝だった。序盤から積極的に飛ばし一時は独泳状態を築いたが、残り300㍍を過ぎてから隣を泳ぐライバルの山本耕平(ミズノ)が猛烈な追い上げ。わずかな差で何とか逃げ切ったが、派遣標準記録には3秒44及ばずに世界選手権出場とはならなかった。ゴール後、電光掲示板を確認すると何度も天を仰いだ。レース直後の優勝者インタビューでも無念さをにじませ「悔しいの一言に尽きる」と話すのが精いっぱいだった。それでも悲観するばかりではない。400㍍まで100㍍のラップを59秒台で刻み、3分56秒で通過。2年前に優勝した時は3分58秒だった。世界のトップ選手は3分54秒で泳いでおり、今回の平井彬のペースで泳ぐと体半分の差で食らいついていける。さらに中盤までは日本記録を狙えるペース。常に「世界」という言葉を口にする平井彬にとっては「可能性のあるレース」と手応えの残る内容となった。
敗戦から
どん底を味わった。連覇を狙った昨年の日本選手権は4位と惨敗。2カ月後のジャパンオープンでは山本に日本記録を樹立され、8月のパンパシフィック選手権でも本来の力は発揮できなかった。「結果を残さなければ代表チームにいるのかさえも分かってもらえない」。仲間が出場していたアジア大会はテレビ観戦だった。中学、高校で全国優勝し順調に競技人生を送ってきたが、初めて大きな挫折を味わった。水も見たくない状態で、当時は「水泳を諦めかけていた」と振り返る。転機は惨敗したパンパシから2週間後に訪れた。「正直出たくなかった」というインカレ。当時、明大のアシスタントコーチを務めていた佐野秀匡監督に「おまえは明治のエースなんだから日本一を取ってこい」と激励されて出場。タイムは平凡に終わったが、見事優勝した。「誰かが諦めるなと言ってるんだな」?そう感じた平井彬は昨年10月、日本選手権に向けて再起を誓った。「継続してこつこつやってきた」。水泳をやめる寸前の状態から、半年間で国内のトップに戻ってきた。
メダルを
「親孝行」が一番の原動力だ。母子家庭で育った平井彬。母・滋子さんは、1週間寝ないで仕事をしていたこともあった。兄・康翔選手(平25政経卒・現朝日ネット)は一足早くOWS(オープンウオータースイミング)でロンドン五輪に出場。決して恵まれているとはいえない環境でも、2人の息子を立派な水泳選手に育て上げた滋子さんに「兄弟2人でメダルを掛けたい」という思いを胸に秘めている。リオ五輪に全てを懸ける。2年前に初優勝し本気で目指すようになった夢舞台は、手の届く所まで来た。「確実に前に進めている」。今大会を布石に、エースはリオに向かって歩み続ける。
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