全日本単複王者 丹羽

2013.03.30

 水谷以来の超大物ルーキーだ併史上2人目の高校生全日本単複2冠を達成した丹羽孝希(政経1=青森山田)が入部。シングルス決勝では水谷隼選手(平24政経卒・現ビーコン・ラボ)を1―3からの大逆転劇の末に下し、初優勝を果たした。大舞台でも表情一つ変えない精神力と驚異的な瞬発力が武器。「日本で勝っても満足しない」と語る卓球界の新エースが、4年間でさらなる進化を遂げる。

 冷静、そして強気に攻めた。全日本シングルス決勝、最終第7ゲーム。丹羽は優勝まであと1ポイントと迫った。だが、2年ぶりの優勝を狙う水谷も、強烈なサーブとフォアハンドでポイント10―9と巻き返す。緊迫した場面。だが丹羽の表情は変わらない。最後は自慢のチキータ(バックハンドの攻撃的レシーブ)で振り切った。優勝の瞬間、控えめにガッツポーズ。1―3と追い込まれた状況からの大逆転劇だった。「本当にもう(優勝は)難しいと思ったけど、開き直ってできた」。窮地にも決して動じない、クールな新エースが誕生した。

世界で得た武器
高速カウンターが武器だ。天才的と称される反射神経とフットワークで、決して相手の攻撃にひるむことなく、わずかな好球も逃さない。偏りなく、両ハンドで強く振ることができ、対応力にも長けている。
課題克服へ努力を惜しまない。162㌢と小柄な丹羽はパワー不足が弱点。これまでも体幹の強さや高さを武器とする中国人選手相手では圧倒的なパワーの差で押し込まれることが多かった。そこで筋力強化へ、専属トレーナーを付け、ウエイトトレーニングを取り入れた。徐々に効果は表れ、全日本選手権では打球にスピードが増した。

世界に打ち勝て
世界での経験が精神面の成長を促した。14歳から日の丸を背負ってきた丹羽にとっても、初の五輪出場は特別だった。チームは団体ベスト8に終わったが、4年に1度の舞台に懸ける選手たちの闘志や気合いを感じたことは大きな刺激となった。ロンドン五輪後はドイツに渡り、卓球最高峰のプロリーグ、ブンデスリーガに参戦。言語も食べ物も違う、厳しい環境に身を置いた。「卓球しかやることがなくて精神力が付いた」と貴重な日々を過ごした。
今後もブンデスリーガに参戦し、5月にはパリで世界選手権が控える。世界中を飛び回る多忙なスケジュール。だが「チームに少しでも貢献したい」と学生大会にも出場する予定だ。
同じ左利きで高校時代は国内無敵を誇っていた水谷に憧れ、中学、高校と同じ道を歩んだ。「明治は日本一の大学。この選択は間違っていない」。日本卓球界の至宝が、明大から世界へ羽ばたく。