頼れるエース鎧坂

2012.01.13

 鎧坂哲哉はユニフォームの「M」の文字を指しながらゴールテープを切った。「明治を強豪にしたい」。その思いを最後に形にすることができた。

 


「走れないかもしれない」。昨年10月から抱えている座骨神経痛が悪化。12月は他の選手の2、3割しか練習できず、往路の出場を見送った。しかし、後輩たちの好走で往路は3位。「それぞれが力を発揮してくれた」と刺激を受けた。その日の夕方、鎧坂は西駅伝監督に電話で「行けます」と出場の決意を伝えた。

 最終10区。「不安はあったけど、無理しない程度に前を追い掛けようと思った」と鎧坂は3位の早大と1分13秒差で駆け出した。腰を気にかけながら「安全運転でいこう」という西駅伝監督の指示通り、ゆっくりとしたペースで入る。視界に早大をとらえると、内に秘める闘争心に火が付いた。15km過ぎで抜き去り3位に浮上。だが腰にしびれが出始めペースが上がらない。それでも「一つ一つに助けられた」。沿道の応援を力に必死に走る。最後はゴールテープを前に「もう明治のユニフォームを着ることがないと思うと寂しくて…」と思わず涙がにじんだ。「明治の競走部に入って本当に良かった。感動しました」。ゴール後、全員でつかんだ3位を仲間と喜び合った。

 「主将らしいことはあまりできなかった」。海外遠征で部を離れることが多かったエースは、そう振り返った。だがどんなに自分が苦しい状況でも、結果だけは残してきた。自分が何とかしたい。誰よりも強いその責任感は、常にチームに影響を与えてきた。「静かで寡黙で、だけど闘争心はある。こんな選手は滅多にいないですよ。彼が4年間で残した財産は大きい」(西駅伝監督)。明治を躍進へと導いたのは、鎧坂だった。