水谷、単復3連覇!全日本史上2人目、最年少19歳での快挙

2009.01.21

 水谷隼、単複3連覇達成併大会前大本命と見られていたが、何度も水谷をピンチが襲った。苦しんで手にした栄冠がもたらしたものとは――。

不安と勝利への執念

 全日本で勝ち続ける厳しさを誰よりも知る水谷だからこそ、「大会前は不安が募るばかりだった」。それでも優勝は譲れなかった。「明治に入学したから弱くなったとは言われたくない」。また、赤く染めた後ろ髪は勝利への執念の表れだ。「これで負けたら髪を染めたからだと非難されますね」。そう自らに重圧をかけた。

相方岸川との大熱戦

 何としても手に入れたい栄冠。その執念が垣間見えたのがシングルス準々決勝。相手はダブルスを組む岸川(スヴェンソン)。試合中、めったに感情をあらわにしない水谷が自らのミスに怒り、1本が決まるとほえた。「絶対に負けられない」。

 その思いとは裏腹に最終セット、8―4と水谷は追い込まれる。だが「あきらめなかった」。そこで出したのは全日本に向け「一番練習してきた」バックサーブ。ここから徐々に追い上げ同点に追い付く。1本が流れを変える大事な場面。ここで水谷のドライブが決まった――、そう思ったボールがきれいに水谷の横を抜く。もうダメか……。しかし、「次の1本を取ることだけを考えた」。冷静にかつ強気の姿勢で攻め続けた――11対9。その瞬間水谷は力強く拳を握った。

選手が選手を育てる

 水谷の勝利と同時に明治の選手団からも大歓声が上がった。「絶対優勝してもらいたい」(原(直)・文2)。そして、訪れた歓喜の瞬間。過酷な戦いに終止符を打ち、水谷は安堵(あんど)の表情を見せた。「この優勝はみんなの力なしにはなかった」。「隼の必死に戦う姿を見習いたい。チームにとってもいい優勝」(平屋主将・政経3)。選手同士が高め合う、そんな環境が常勝・明治をさらに押し上げる。

[臼井俊文]

◆水谷隼 みずたにじゅん 政経1 青森山田高出 172cm・66kg

共に戦った監督の存在

 全日本学生で敗れ、落ち込む水谷と同じくらい歯がゆい思いをしたのはほかでもない、高山監督だった。「試合を見てやれなくて、負けた後声を掛けられなかった」。だからだろうか、全日本前から水谷と行動を共にし、青森合宿にも参加。そして今大会、混合複を除く水谷のベンチには常に高山監督がいた。「一緒に戦ってた」(水谷)。優勝の瞬間、2人は固く握手した。「ホッとしてます」。そう言って高山監督は満面の笑顔を見せた。