副将特集(2) 中村裕喜
――現在のチームの調子はいかがですか
ここまで成績的には例年通りで来ています。でも例年に比べて、冨田(千愛主将・法4=米子東)もいなくて全員で合宿に行くわけではないので、そういう中で戸惑いがあります。4年生も就活があり例年通りのことができない環境なので、新しいことをしていく中で試行錯誤している段階です。
――今年の男子部のクルー編成の意図を教えてください
エイトをシーズン前半まで対抗種目に据えてきて、そのメンバーをフォアと付きペアに分けました。基本的にはフォアの種目を対抗クルーにして、なしクォ、なしフォアは2連覇、3連覇が懸かっています。これがファーストクルーというのはないんですけど、4人乗り種目を特に強化しています。大久保(亮・農2=猿投農林)と森(猛・商2=岐阜県立加茂)はケガをしていたので、2人はクォドからダブルに合わせて様子を見ながら練習しています。古田(直輝・政経1=米子工)もワールドカップに行っていたので、シングルスカルという形になっています。できるだけ古田と4人乗り種目と付きペアで優勝して、他のダブルやなしペアでメダルを狙っていければなと思います。特になしペアは2人ともインカレ、全日本でのメダルの経験がないので、そこでチャレンジしていってほしいなと思います。
――新チーム発足後、ここまで特に取り組んできたことはどんなことですか
個人の主体性を持って行動するというところです。もともと4年生がチームの意思決定を行っていたことを、1、2、3年生の代表を持ち回りで決めさせて、幹部と一緒に話し合いました。1年生も意思決定に参加するという自覚を持たせて主体性を持って行こうとしています。これまで1年生がやっていた掃除も全員で分担してやって、悪い意味での体育会的な部分をなくしました。個人が成長して戦える集団にしていければと思っています。マネジャーに関しては、ずっとご飯だけを作りに来るというところがあったので、もっと船に関わって欲しいというところから普段の練習でもタイムを取ってもらったり練習に入ってもらう環境づくりをやっているところです。
――下級生も意思決定に参加するというのはどういう目的があるのでしょうか
昨年までは意見を紙に書いてそれを4年生に渡して、4年生の中で意思決定をしていたんですけど、4年生から下級生にレスポンスがなかったので、どういう風にこの意見に対して考えたのかというのを感じてほしかった。考えている過程も含めて下級生に体験してもらいたかったので、一緒にミーティングをしています。
――そういう取り組みをしたことでチームが変わっているという実感はありますか
ありますね。今の4年生がトップになるまで、チームがなかなか変わらないというところがあった。これまで下級生のときにやりたいなという意見を溜めておいて4年生になってからするというところがあったので、そういう意見をすぐにあげてもらっているので進化のスピードは上がったかな思います。でもそこらへんは実際に下級生に聞いてみないと分からないと思います。今の下級生は先輩に臆することなく斬新な意見を言ってくれるので、ある意味対等に戦える集団になっているのかなと思います。
――軽量級では2年生の大久保君がなしクォのクルーリーダーを務めましたね
クルーリーダーにした意図としては彼も人間的に未熟な部分があって、小さい視野で見ていたところがあったので、クルーを客観視してチームのために自分がどう動けるのかというのを考えてほしいという思いがありました。クルーの最上級生をリーダーにするというのはなくして、どんどん下級生にもやらせていこうとしています。今も河井(京介・法2=関西)が対抗のクルーリーダーをやっているんですけど、競技性はあっても人間的に成長してほしいなというメンバーにあえて重要なポジションを与えています。上級生も乗っているのでサポートはしっかりして、次の代を担えるようにしています。特に今チームとして戦力が伸びていて、彼らの代が黄金世代になってくると思うので、数年後を見据えて人間的にも力のあるチームになってほしいかなと思っています。
――クルー全体にはどういう影響がありますか
4年生がメニューを決めてこうしていこうと言うと、上から押さえつけるというのが自然と出てくると思うんですけど、下級生に役職を与えることによって意見も言いやすくなると思うんですよね。それを見て他の下級生もどんどん意見を発しやすい環境は作れているかなと思います。
――競技面で取り組み始めたことはありますか
アップで朝早い時間から艇庫に来て静的なストレッチをやっていたんですけど、ベッドに入ってすぐストレッチというのは上手くいかないところがあったので、まずは最初から立って円になって声を出し合っています。ナショナルトレーニングセンターにOBの方がいらっしゃってその方に指導をしていただいて、動的なストレッチとラダーやサーキット形式のアップを取り入れています。アップの時間も抑えて、すぐに体を温められるように、可動域を増やして練習に耐えられるようなアップをすることによって、ケガの予防と練習の効率を上げるようにしています。朝の時間が短い中で、だらだらしたストレッチを10分ぐらいやっていたので、その時間を削って動くストレッチ、アップをして練習時間を長くしました。練習メニューに関しても、最近やり始めたんですけど、メニューを決める段階でクルーリーダーを集めてコーチの意見も踏まえながら話し合っています。コーチが勉強されている内容を説明しながら、こういうメニューはどういう意味があるんだと考えてメニューを作ることができるようになったと思います。与えられるメニューよりは考えるメニューが増えたと思います。
――ここまでの取り組みはレースの結果、内容に結びついていますか
インカレが終わってみないと分からないですね。そのためにインカレはやるしかないです。冬を通じて、昨シーズン結果を出していない選手が今シーズン伸びてきました。齋藤(光希・法2=田名部)や渡邉(健正・法3=富士河口湖)、山吹(啓太・営2=今治北)は春以降、対抗メンバーに入ったり結果を出してきたので、伸びる選手が出てきたと感じています。選考段階でタイムが上位にいる選手が増えたかなと思います。自分は選考に関わっていたので、そういった面では選ぶのに苦労するだけのメンバーが揃ってきたかなというのはあります。選手層の厚さは実感しました。そこはコーチも言っていたので、間違いないかなと思います。
――話は変わりますが、ここまで明治でのボート生活を振り返っていただいていかがですか
正直言うと、ここまでやれるとは思っていませんでした。僕自身はそんな強い高校を出ていなくて、高校時代の成績も全然駄目だったので、最初の1年目はとりあえず試合に出られたらいいかなと思っていました。冨田にしてもそうですけど、すごい伸びることのできる環境がありました。戸田という環境やコーチの存在があって、僕らの同期もみんな高校時代の成績は良くなくて、男子は順位もついたかついていないかも分からないメンバーばかりです。そういった中でみんなが全日本級でメダルを持っているというのは、同期が全体として伸びたと思います。特にここ数年は毎年チームの成長を感じることができました。最初の1年目は男子は一つもインカレで勝ててなくて、メダルを獲れればいいやという環境だったのが、今は日本一を目指している。2年生のなしフォアが一つ壁を突破して日本一になったというのが大きいと思うんですけど、できれば日本一というのが、日本一をしっかり見据えられるような環境になっている。そして何種目も勝っていこうと成長の過程を見れたことは大きかったと思います。
――ここ数年で大きく変わってきたのですね
徐々に、1年1年人が変わるごとにという感じです。スカウトの方も変わったかなと思いますが、強い子が毎年入ってくる中で下級生に負けずに上級生も練習を頑張れたと思います。毎年日本代表の子が入るようになりましたけど、上位クルーに上級生は残っているので、そういった面では下級生の新戦力を入れることによって、負けないように上級生は練習を頑張るようになっているのかなと思います。いつ選考で落とされるか分からないという緊張感によって、能力が上がっていると思います。
――先ほど「ここまでやれるとは」とおっしゃいましたが、戦えるという実感はいつ頃からありましたか
1年目のインカレで2位だったので、それまでの過程はきつかったんですけど上級生に鍛えられて、やればできるんだなという実感はありました。2年の冬にJAPANの選考で、その年が日本代表の選考方法が変わってエルゴの基準がなくなって自由にエントリーができて、みんなが日本代表にチャレンジできる環境になりました。男子もほとんどの人が挑戦して、目指すレベルが上がったかなと思います。僕自身もインカレだけではなく、もっと日本のトップレベルを目指そうという環境や、日本トップレベルとの差を冬季で自覚できるようになりました。毎月のようにトライアルがあり、1年中伸びる機会、モチベーションをつくる機会ができました。日本代表のシステムの変化で、一番伸びることができたと思います。これまで他のメンバーに助けてもらってメダルを取れていたというのがあったので、そこで自分の力を試す機会を与えてもらってある程度成績を残せたことは自分の自信につながりましたし、同じクルーに意見を発信できるようになりました。そういった意味では大きかったかなと思います。
――再び話は変わりますが、ボートを始めたきっかけを教えてください。
不純な理由で言うと、京都出身で府に5校ぐらいしかなかったので、全国大会に行きやすいかなと思っていました。ただ、ボートをすることによる非日常感というのは楽しくて、他の人とは違った珍しいスポーツをやっているという特別な感じは良かったです。
――明治に進学を決めた理由は
もともと明治とかは雲の上の存在だったので、入る予定はなかったと思うんですけど、何年か前にうちの高校から明治に進学された方がいて、そのご縁もあってぎりぎりでスポーツ推薦の枠に滑り込みました。スカウトされたとかではないんですよね。勉強をさぼっていて国公立に行くなら浪人かなと思っていて、高校のボート部を強くしたいという思いがあったので、そのためにはトップレベルのチームに入ってフィードバックできればと思っていました。京都の大学からも声は掛かっていたんですが、やっぱり戸田の一番のレベルのチームに入って、出場できなくても学べることはあると思ったので、チャレンジしようと思って明治に来ました。
――高校へのフィードバックというのはどんなことをしているのですか
なかなか帰る機会がなくてあまりできてないかなと思うんですけど、京都の国体の予選会では高校生と一緒に泊めてもらって話したりしています。ここ数年で大学でもボートを続ける子が増えていて良かったかなと思います。やっぱり先輩が大学でもやっているというので、大学でも続けようとなってくれて、その子たちも高校にフィードバックする機会が増えるので、高校のチームが強くなって良かったと思います。
――副将という役割はいかがですか
意外と居心地がいいです。外に向けて挨拶することもないですし、権力もなくて執行部のミーティングができるので、面白いポジションかなと思います。特にこれをやらないといけないという仕事もないので、どんどん新しいことをやっていけます。ただ仕事が多くて、自分でつくった仕事が多いです。練習のビデオを全部YouTubeにあげていて、そういうのが忙しいかなと思います。昨年の6月から始めていて、この前2万ビデオ達成しました(笑)。
――明治大学端艇部の良さはどんなところですか
それは明スポが一番知ってるんじゃないんですか(笑)。明治の今の良さは伸びているというところですかね、やっぱり。毎年成績が上がっているというのは他のチームにはない、うちの強みかなと思います。その中で新しいことにチャレンジし続けて、現状維持に満足せずにやれているのは良いところだと思います。毎年毎年変わろうという環境があります。歴史があっても、それにとらわれずにやっていくというところがあります。今までこうしてきたというよりは、なんでそれはこうしてきたんだろうというチーム体制です。過去にとらわれることなく、新しいところにチャレンジしています。あとはやっぱりうちのチームで伸びる人が多いというのがあります。明治の端艇部に入って伸びて大学で活躍するというのは、他大の私学ではなかなかないと思うので、そこはボート界でのうちの強みです。
――どうして明治には伸びる環境があるのでしょうか
高校時代の成績にとらわれずに、その時の実力で選考してチャレンジする機会を与えて、コーチ陣も勉強して指導をしていただいたり、伸びようと思えばどれだけでも伸びることができる環境です。それを邪魔するものを取り除いていきたいなと思っているので、それで伸びているのかなと思います。伸びようと壁を突破しそうな子に対して、強い選手をペアでつけさせて成長を助けています。
――中村さんもこの環境があったから成長できたという思いはありますか
そうですね。僕自身も1年生のときに選考のシングルで2位か3位になって、先輩と組ませていただいて変わったところがありました。そういった強い選手と一緒に乗って、これまで順位決定だとかそこらへんの世界しか見えてなかった人たちを、メダルだとかそういったところに持っていける環境があると思います。逆に乗れなかったメンバーもそれを見て腐らずにいける環境もあると思います。腐る人を助けることもあれば、腐るのを許さないというのもあります。僕らが入ってからはそういった雰囲気でやっていると思います。
――最後に改めてインカレへの意気込みをお聞かせください
僕たちの代は新しいことにチャレンジしてきたので、その分責任感や緊張感があります。3年半いて周りのOBの方や保護者の方からの応援や支援はすごく感じているので恩返しをして、ボート界や明治大学に自分たちの力を見せ付けられるレースをしていきたいです。
――ありがとうございました。
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